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【下書き供養】許せる気がする

私の所属している企業は割と変なので、職種の違う4人程が集められ、自分の考えやこれまでの事を沢山話す中で自分を深掘りしていく研修がある。その研修の中で、ポロッと「文章を書いてると健康になれるんです」と零した。
自分を深堀する研修なので、当然研修の先生に「どうして健康になれるの?」と尋ねられる。

「文章を書いて、それを半年後とか1年後とかに読み返すと、何となく自分を受け入れられる気がするんです」

そう言ってみると、なるほどその通りだなと珍しく自分の中でしっくり来た。その研修の先生に「じゃあ書いている時は自分のことを受け入れてないの?」と聞かれ、ものすごく元気よく「はい!」とも答えておいた。

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noteを書く時、その感情の自分は基本的に嫌いだ。というか、いやぁクソだなと思っている。

日常生活していても自分のことをあまり受容していないし、何とかこのクソ人間から脱出しようともがいては溺れかかるを繰り返して生きている。

自分のnoteに残した文章を読み返す時、何故か書かれている文章に愛おしさを感じていた。たいてい過去に自分が書いたものなど読み返したくないという人の方が多いのではないかと思うが、私は高校時代に小説を書いていた時から、完成した自分の文章を読むのがわりと好きだった。

変な人だと思っていたが、最近、この文章を書いた私を、その感情を丸ごと許してあげられる気がするのだと気づいた。

自分の感情をここに残して、それを未来の自分が読むことで過去の私を受け入れている、という遠回り甚だしい自己受容方法を取っているのかもしれない(もうちょっと正規のルートで受容したいところ)。

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【あとがき】
これを書いた時は、入社して割とすぐの頃。今はもうそろそろ社会人一年目が終わろうと言うところではあるが、今も気持ちとしてはあんまり変わらない。最近日々の忙しさにかまけて書く時間なんてほとんど無いけど、それでも私が書く文章は私が一番好きだから、私自身のために細々と続けて行けたらなと思う。

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