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【短編】『おもかげにたつ』

マリオの事を思い出す時、必ず浮かんでくる姿がある。

《こんばんは。同窓会来られそうですか?》
マリオからそうメールが来たのは、異常な程暑かった八月後半の夜九時、車両点検の為、電車が遅れて混み合う帰宅途中のJR総武線の中だった。
暑さと混雑で苛立つ周囲を刺激しない様、気を付けながら、スーツのポケットからスマホを取出して画面をタップした。
この二週間程前に同窓会が開かれる旨のメールをマリオからもらっていた。

一ヶ月程前、仕事の都合で、それまで全く興味が無かったSNSを始めた僕の元に、突然、マリオから二十数年ぶりに連絡が来た。
小学校の途中で転校した僕をいまだに覚えていてくれてたんだと嬉しい気持ちになった。
僕がマリオと一緒に過ごしたのは、小学校に転入した四年生の途中から転校する六年生の夏休み前までの、約二年の間だけだ。
当時の僕は、親の仕事の都合で都会から結構な田舎に越してきて、周りに馴染めず浮いていたと思う。
兄弟もいない為、周囲からは寂しそうな子供と見られていたはずだ。
実際にそうだった。
はっきりとは思い出せないがイジメの様な事もされた気がする。
だが、マリオがいつも親切にしてくれた事は、はっきりと憶えている。
当時のマリオは同居していた祖母の影響なのか、歳の割にとても落ち着いていて、ニコニコと笑顔が絶えない言葉使いが丁寧な子供だった。   

SNSの写真にも当時の面影が残っていて嬉しかった。
マリオは大学を卒業した後、県内の竹細工職人に弟子入りして今も頑張っているらしい。
自分で造ったという、なかなか見事な出来映えの竹製のランチボックスの写真も一緒に投稿されていた。
マリオらしい生き方だと思った。
僕と同じく三十半ばで未だ独り身だそうだ。
是非、マリオに会いたいと思ったが本当に時間が足りなかった。

《まだ判らないです。かなり忙しくて》
そう返信してみると、すぐに 

《そうなんですか、あまり無理しないで下さいね!この前、久しぶりに八木さんに会いましたよ》
と返信が来たので 

《懐かしいです》
と返してみたが、その八木さんの事は同級生の中の一人という、漠然としたイメージでしか思い出せなかった。
二十数年も前の事だから仕方ないのだけれど、マリオの事だけは、そこだけスポットライトが当たっている様に些細な事まではっきりと思い出せる。

例えば、財布を拾ったマリオが通学の途中にも拘わらず、駐在さんに届けると言い出して駆け出して行った事。
その後、学校に遅刻して来て言い訳もせずに先生に怒られていた事。
お婆ちゃんと散歩している途中に僕とばったり出会い、大袈裟な位、手を振って喜んでくれた事。
学校帰りに見つけた野良犬を嬉しそうに撫でていた事。
よく小さい下級生の手を引いて登校していた事。
マリオは本当に心の綺麗な子供だったと思う。             

思い出すたび、いつも暖かい記憶として蘇ってくる..

電車が自宅アパートの最寄り駅に着き、僕は大勢の乗客と共にホームに吐き出された。
自宅までの約十五分間、再び、懐かしいマリオの事を考えながら歩いてみる。

学校の外で偶然、初めて会った時の事もはっきりと憶えている。
転入して来てまだ間もない頃、母親に頼まれて近所の小さいスーパーに買い物に行った時、店内で突然、後ろから声をかけられた。

「あの..石田君?」
振り返るとマリオが立っていた。
いきなりの事でどぎまぎして何も返せなかった。
しばらくの沈黙の後、僕は気になっていた事を聞いてみた。
「なんでマリオなの?」
すると、マリオは恥ずかしそうに少し俯いて答えた。
「名前が麻里だから、麻里からだんだんと...みんなが..」
如何にも小学生らしいセンスに、僕も少し恥ずかしくなってしまい
「あぁ..」
と言うしかなかった。
お互い俯いたまま、暫くじっとしていたと思う。

家がわりと近く、登下校時に一緒になる事が多かった為、僕とマリオは少しずつ話す様になり、休みの日には何故か一緒にマリオのお気に入りの場所だという、小さな無人の神社に行ったりする様になった。
僕の家から歩いて十分位の所にあったその神社は、地元の有名な神社の摂社らしかったが、わかりにくい場所にある為か参拝者に会う事は殆ど無かった。
周りを木々がドームの様に囲んでいる為、昼間でも薄暗く少し怖かったが、天気が良い日には木々の間から木漏れ日が差し、本殿を照らしている様で神秘的な感じがした。
マリオは、その神社に行くと必ず置いてある箒で境内を掃いて、持参したごみ袋に落ち葉や木の枝を入れ、雑巾で拝殿の階段や賽銭箱を拭いていた。
理由を聞くと
「余計なものがなくなって綺麗になると、神様にお願い事が届きやすくなるって、お婆ちゃんが言ってたんだ」
と嬉しそうに笑っていた。
正直、僕はこんな小さな神社に神様がいるとは思っていなかったが、マリオが丹念に掃除した後の境内は、空気が澄んだ気がして清々しい気持ちになった。

「石田君もマリオって呼んでいいよ。私、結構、気に入ってるの」
とマリオはそう言ってくれたが、多分、中々、周りと打ち解けられない僕に気を使ってくれていたのだと思う。
本当に気に入っていたかはさておき、いきなり女の子を【マリオ】と呼ぶ気にはなれず、しばらく苗字で【富田さん】と呼んでいたが、いつの間にか僕もマリオと呼ぶようになっていた。
当のマリオは友達を渾名で呼ぶことはなく、~さん、~君ときちんと名前で呼んでいた。
俯きがちな僕の前で、マリオはいつも笑顔で背筋がピンと伸びていた。
いつになっても周りに馴染めず、情緒が不安定気味だった僕にとって、彼女はとても大事な存在だったと今更ながら思う。

 六年生の夏休み前、父親が転勤する事になり僕の転校が決まった。
引っ越しの当日、同級生の中で一人だけ見送りに来てくれたマリオは、不安そうな僕に決して涙は見せないという様に、泣き笑いの様な顔で僕の手を両手で握り、力強い声で
「石田君、ずっと元気でね!大丈夫!また会いましょう!」
と言ってくれた。
僕は、こぼれ落ちそうな涙を押さえるので必死だったので
「.....うん」
と答えるのが精一杯だった。

それが二十数年前の僕とマリオの最後の会話だった..

 マリオの事を思い出す時、必ず浮かんでくる姿がある。
その引っ越しの日の前日、突然、僕の家を訪れたマリオは僕をいつもの神社に連れ出した。
旅立つ不安で胸がいっぱいで、正直それどころではなかったが、マリオの真剣な表情におされて渋々ついていった。
 
その日の神社は、木々の隙間から木漏れ日が光の柱の様に、本殿に向かって何本も差し込んでいた。
神社に来た時のマリオはいつも真剣だったが、その時は何時にもまして真剣な表情で、黙々と無人の境内を隅々まで箒で掃き、入念に雑巾で拝殿を拭いて綺麗にしていた。
いつもと違い、声を掛けづらい雰囲気だったので、僕は手伝うことはせずに先にお参りを済ませ、拝殿の横に座ってマリオの姿を見ていた。
 
掃除を終わらせ、拝殿の前に立ったマリオは、手を合わせて小声で何か呟いていた。
そして、いきなり財布から五千円札を取出し、丁寧に皺を伸ばして賽銭箱の中にそっと入れた。
小学生にとって、なけなしのお金だったはずだ。
僕は驚いたが、事態がよく解らず黙って見ているしかなかった。
そして、マリオはゆっくりと深く二礼した後、いつもは二度の柏手を

 「パン、パン、パン、パン」

と四度、いつもより強く打ち、そのまま手を合わせて暫く動かなかった。

本当に動かなかった。

あまりに動かないので、僕はどうしていいか判らずに、音を立てない様に息をひそめてマリオをずっと見つめていた。

見つめているしかなかった。

その時の姿は、今もはっきりと思い出せる。
今になってみると、その時、マリオがしてくれた事が痛い程わかる。

夜道を歩きながら考えてみた。
マリオは、この二十数年、どんな風に生きてきたのだろう?
文字ではなく、マリオの声で聞いてみたいと心底思った..






                             

『もしもし?』


「...もしもし...石田です..」


数秒の沈黙の後、マリオは昔と変わらない話し方で、ゆっくりと話し始めた。

『石田君、久しぶり...二十年ぶりですね、話すの..』


「うん...久しぶり..お元気ですか?」


『..私は元気ですよ..石田君は?』


「僕も元気です..」



『...そうですか..良かったです.. 

ありがとう、石田君』


その声は心の底から安堵した様な、二十年前と変わらない、とても柔らかい声だった..

【了】

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