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私見:福祉業界に向いている人

先回の記事では福祉業界の代表的な3つの資格についてまとめてみました。

しっかりと勉強する必要があり、お金もかかることですので、コストに見合う動機を見出した方が取得されるとよいかと思います。
受験資格を得て、毎年チャレンジされている方もいらっしゃいます。
法人によっては資格手当が出るところもありますので、そういう意味でも美味しいですね。

さて今回は、自分は福祉に向いているだろうか、と考えている方もいらっしゃるでしょう。
私見ですが、こういう人は福祉業界に向いているんじゃないかな、という人の特徴についてまとめてみます。

「こういう人と働きたい」に近いかも。それって私の好みでは?
何はともあれ、書き出してみよう。


自他の区別がわかっている人

なんぞ、と思われるかもしれませんが、これが個人的には一番重要かと思います。
私は私、相手は相手というのをしっかりとわきまえた言動ができるのは大事です。

同じ物・事を目の前にした時に、私は当たり前にAという感情を持つけれど、周りの人はBやC、もしくはψなんて感情を持つかもしれないわけです。
そう思っていないと、「Aで当たり前。なぜAと思わないのか」と押し付けや、強要、下手をすれば虐待ということまで行ってしまうことがあります。

こういった前提がなければ、面談ややり取りの中でも「認識の確認」が疎かになりがちになります。そうすると認識のすれ違いが起こり、「そんなのは望んでいない、聞いていない」となってしまうわけです。

また私たちの考えや感情は、一貫性のあるものではないことがあります。
ある時と同じ物・事を前にしても、その前後の環境や、その時の感情によっては、感じることは違ってきます。
そういった、物事を捉える時の「幅」のようなものを持って相手と対話する。そのためには自他の違いを認識し、それを理解しておかないと、自分も相手も苦しめる結果になってしまいます。

結果よりも経過を重視できる人

福祉は結果よりも経過を重視する場面が多々あります。
以前も例に出しましたが、入浴介助の目的は清潔にすることです。「清潔になった」という結果があれば、目的を達成したことになります。
お湯にぼちゃんと入れて、ごしごし磨いて、ごわーと風で乾かせばいいのか。違いますよね。
その結果を得る間の経過が問われるのです。湯加減はどうだろうか。洗い方の強弱はどうか。相手に断りながら身体を動かしているだろうか・・・。

とにかく福祉は「面倒なこと」を進んでやることが少なくありません。
到達すべきゴールが支援者には見えていても、対象者には見えていないことがあるのです。そのゴールを見えるようにして、道順を選んでもらう。
ゴールに至るまでには、「時間のかかる道」や「危険が潜んでいる道」、「短いけど急な坂道」があります。それがどんな道なのか、メリットとデメリットを伝えます。その上で「えっ明らかに危ないそこを行くの?」ということもあります。本当に身の危険があるのであれば止めますが、例えとしての「危険(例えば転職の時に離職した上で転職活動をするのは一定の“危険”があると私は判断します)」がある道を、本人が危険をわかった上で進むなら止めることはしません。
支援者は「躓くだろうな」と思って、マットを用意しながら少し前を見て歩くようなものです。
そのような手順を踏むことが「本人なりの進み方」であるならば、それに付き合う。それが支援者の役割なのだと考えます。

なので、結果よりも経過に価値を見出せる人は福祉向きだと思うのです。
私もよく「いやー、私も面倒だと思いますよ。思いますけど、本人がそっちを選んだので」と上司や関係機関の人に伝え、みんなで「そっか、それならね」と理解をいただいているところです。

相手を尊重する。これは簡単なようで難しい。偉そうなことはまだまだ言えませんが、今の私は経過の付き合い方にこそ、そのヒントがあると考えています。

私の周りの福祉職

私が一緒に働いている方たちの印象としては、一概には言えませんが、相手を理解しようとできる人が多いです。
職員同士でも同じで、何かプライベートのことがあった時には「なんかあったのかな、大丈夫かな」となり、業務上のこともフォローし合う傾向にあります。
根掘り葉掘り聞くというよりは、二人きりの時にそれとなく聞き合ったり、本人が話してくるまで触れずにいたりします。

逆にガツガツ聞いてくるタイプもいますが、そういう人は何を聞いても大抵動じないか、「マジかwww」と笑ってくれる人が多い印象です。

両者とも聞いたからには一定の責任(適切なリアクションを返すとか)を負っていることを弁えられているのかも。聞きっぱなしにしないというか、興味だけで聞かないというか、いや、噂はみんな好きだからな。興味で聞いていい範囲をある程度わかっているという感じかな。

自分がクローン病になったんですよ、と言った時も、みなさんそこまで構えることなく、「どんな病気なの?」とか「これは食べられるんですか?」とか、「からあげ食べたらどうなるんです?」とか自然に聞いてくれて救われました。ちなみに「からあげ食べたら一撃で内臓がやられるねぇ」と回答して私と相手二人で笑っていました。

一方でこちらは社風というか、風土でしょうが、法人のルールや期限には若干ルーズかも。
いつまでにこの書類を~は効かない人が少なくないです。あとだらだら定時以降も過ごす人がいますかね。うちの部署はドライでぱっと帰りますが。

部署にもよりますが、外部と接触しない職員はいわゆるビジネスマナーには疎いかもしれません。メールや文書の文言や、時間管理、報連相が独特かも。
あと「福祉だから」「障害者だから」と許されると思っていることがあるようにも思います。
職業柄、「企業の考えはこうで~」と話すと、「その会社は障害者に対する理解はないんですか?」と言われることもありますが、申し訳ないですがどこまでも配慮や理解を求めるのは酷というものです。
その視点こそ、差別的では、と思うことがないこともないのです。

言い方が悪いですが、「福祉でいいや」とか「他で通用しなかったから福祉で」みたいな人もいないこともありません。そういった方はモチベーションは低く、利用者への接し方や職員への接し方も気持ちのいいものではない人もいるのが正直なところです。
まあこの辺りは他の業界でもあることでしょうかね!(目を逸らす)

まとめ

共通するのは相手のことを理解しようとする姿勢を持っている人なのかも。
なんでそんな面倒なことを・・・と思いながらも、それが本人にとって心地よい、納得のできることであるなら、事業所の可能な範囲で支援するというように。

以前いた職場で、自閉症の人が騒いでいました。当時新卒だった私は「なぜ騒いでいるんですか」とその施設の人に聞いたのです。答えは「自閉症ですからね」という答えでした。
学生の私は生意気にも、「自閉症だからってことはないだろ!」と思ったものです。今考えても、やはりそう思うと思います。
福祉の現場だからって、みんながみんな、障害について理解して、「障害者」というだけではないAさんをみているわけではないのです。

今の職場の周りの人のことを改めて考えてみたけど、案外悪くないな。いい人は多いよな。少なくとも意地の悪い人は少ない。
困っているAさんについて、と会議の場で出そうものなら、みんながそれぞれの立場でできることを考えるくらいのことはやるでしょう。

さて、ここまでまとめてみましたが、いざ私はどうでしょうか。
自分から挙げた2つの特徴を満たしているだろうか。少なくともそうありたいと思うので、これからも慢心せず、都度都度振り返りをおこないたいものです。

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