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会社員だった頃(2)〜人生に疑問を持ち始めた頃〜

小中高、そして大学と当たり前のように進学して当たり前のように就職活動をした。それ以外の生き方をしている人がそもそも私の周りにはいなかったし、今の自分が生きている「作家」と呼ばれるような職業はどこか遠い世界の話で、具体的なイメージがつくものではなかった。

だからといって、その反動が強かったとか、進学・就職というルートにものすごい嫌悪があったというわけでもない。いや、多少憧れみたいなものはあったのかな。

小中高の部活ではバレーボールをやって部長を務めたりもした。バレーは好きだったし(今でもハイキュー!を読むとアツすぎて何度も涙腺が緩む)、それなりに青春の確執を経たりしながら引退時は号泣し、やっぱり部活をやっていてよかったなと今でも思う。けれど本当はダンス部に入りたかった。体育館の前のロータリーのような場所で、自由を纏って軽やかに踊っているコたちを羨ましいなと思っていた。

高校二年生の頃、代々木公園でストリートライブをしているバンドに出会った。休日の度に代々木公園に通い、ライブハウスという場所に行ってみたりもした。音楽が好きだったというのもあるけれど、好きなことをやっている彼らの姿(もちろん彼らには彼らなりの当時の私には見えていない苦労が多々あったと思うが)に眩しさを感じたのだと思う。私にはそんなに強くやりたいと思うこともないなと思いながらお客さんでいた。

大学に入ってバイトに明け暮れるようになると、本格的にライブと舞台を好きになった。大学時代の4年間の記憶が薄いのは、それよりも大学の外のことにエネルギーを注いでいたからだと思う。とにかく「生であること」の魅力にどっぷり浸かってしまった。同じ演目でも、同じ舞台は二度となくて、その一瞬一瞬にアーティストや役者が全てを、それこそその人そのものを注ぎ切っているような感覚に、身体の奥のほうがヒリヒリした。そういう空間が好きだった。そういうものをストイックに作り上げる、それがこの人たちの仕事なんだ、ということをなんとなくぼんやりと思い、それってどういうことなんだろうと不思議に感じていた。ここでもまだ私はお客さんでい続けた。自分がそちら側に行くことはないと思っていた。

このあたりでちょっと人生に疑問を持ち始める。

テストの問題を解くことは苦手ではなかったけれど、「自分のやりたいこと」というのがなかった。大学受験、就職活動、どちらもなんとかそれっぽい答えを捻り出すことしかできなかった。このとき、本当は「あっち側」に行きたいんじゃないか、という考えが芽生えたものの、それを深くまで掘り下げることはしなかった。進学・就職というルートがあまりに自然なものとして自分の中にあったし、そうではないルートを、ちょっとよくないもの、不安定なものとして否定していた気さえする。人間は姿かたちのよく分からないもの、自分の理解の範囲外のものをとにかくまず否定することで自分を守ろうとする、そんなかんじ。「あっち側」がなんなのかもよく分からないまま、本当は「あっち側」に行ってみたいと思っている自分を「いやいや、そうじゃないし。ハハっ。」と見ない振りをしていた。

ここで考えを掘り下げることを諦めた私は、「仕事=お金を得るためのもの」という公式を大前提に掲げ、自分の心が熱くなるものは仕事の外に求めることにした。「お金を稼ぐために仕事して、休みの日にライブや舞台に行って趣味を充実させよう」である。

我ながらなかなか悪くない考えに思えたし、たとえ当時に戻れたとしても同じ選択をすると思う。

何不自由なく大学まで進学させてくれた両親には感謝しかないし、家族も仲良くグレるような要素も一つもなかった。勉強も運動もこれといって苦手なものはなく(持久走は嫌いだったな)、何事もそつなくこなしていたタイプだと思う。でも全てがそこそこできるせいで、突出して「これ」と思えるものが見つけられず、実はそんな自分がコンプレックスだったのだと思う。

「会社員だった頃」というタイトルだけど、まずは会社員になる前の話。

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