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子宮の病気のこと⑤入院生活

目が覚めると、いろんなものが体に付いていた。
まだ酸素マスクをしているようだった。
喉がカラカラだし、喉に嫌な違和感も残っていた。
足には血栓予防のポンプみたいなマッサージ機械が付いていて、動かせなかった。
一番つらかったのは、尿カテーテルの違和感。
目が覚めてからずっと尿意と違和感があって気持ち悪い。

看護師さんが目を開けている私に気づき、声をかけてくれた。
そして、酸素マスクを外してくれた。
大丈夫ですか?と聞かれたと思う。

水飲みたいと言ってみたけど、まだ飲めないと言われた。
時間を聞いたら、17時半だった。
手術は三時間で終わったらしい。

尿意の違和感は、我慢して言わなかった。
そのうち違和感なくなるのかなと思っていた。

術日は、翌朝まで、HCUで過ごすことは説明で聞いていた。
指には酸素?を測るやつ。
腕には点滴、反対の腕には血圧計が付いていたような。
首には硬膜外麻酔の入れ物が掛かっていて、尿カテーテルに、足にはポンプ。
看護師さんを呼ぶボタンは手の横に置いてあった。
想像よりも動けなかった。全然動けなかった。
このまま翌朝まで過ごすのか、、。

食事ができる患者さんに食事が運ばれてきたようだ。
全く食欲はないけど、水が飲みたくてつらかった。

首を動かして周りの様子を見てみると、HCUは、すごく広かった。
こんなに広いと思わなかった。
老若男女、15人くらい患者さんがいたと思う。もっといたかも。
看護師さんは、三人くらいいたと思う。
骨折の手術後らしい若者が、看護師さんとトイレに行ったりもしていた。
HCUは、ジェンダーレスな空間だった。

見回すと時計が見えた。時間がわかるだけよかった。
看護師さん交代の時間みたいで、さっきまでいた数人の看護師さんから、一人の若い看護師さんに変わった。
パソコンに向かっている男性看護師?さんもいた。

尿カテーテルがやっぱりおかしい。
ずっと刺激されてる感じで常に尿意がある。
このまま朝まで耐えるなんて無理だ。
二度の出産のときも尿カテーテル入れたけど、こんな違和感、全くなかった。
ボタンを押して看護師さんに訴えた。
管が合っていないのか、通し方がおかしいのか、尿意と違和感がつらい、と言ってみた。前にやったときは、こんなじゃなかったと言ってみた。
若い看護師さんは、衣服をめくってちらっと見たりしたあと、「大丈夫ですよ~。ちゃんと入ってるし、お小水もでてますから~。」と言った。

全然大丈夫じゃないんですけど、、。
どうにかしてほしいんですけど、、。
しつこく訴える気力はなかったから、耐えるしかなかった。

たまにうとうとするけど、すぐに目が覚める。
時計が全然進まない。体を動かしたいけど動かせない。
時間がこんなに長く感じる夜は、なかなかない。

HCUは、深夜になっても、周りが良く見える明るさで、いろんな音がしていた。
あちこちから、様々な医療用機械の音がしていた。
それに加えて、電話の音に、パソコンを打つ音。
一番メンタルにきたのは、HCUの部屋の右端のほうにいたおばあちゃんの声。
ひどくせき込んでは、看護師さんが吸引していた。
おばあちゃんは、大きな声で抵抗していた。
やめてよー!とか、苦しいよー!とか、バカー!とか、もう死んだ方がいいー!とか。
若い看護師さんは、元気になってほしいんだよ~とか、そんなこと言わないよ~とか、優しくなだめていた。
朝まで何度も繰り返していた。

この状況でぐっすり眠れる人っているんだろうか。
たった一晩なのに、ものすごく長くて、不自由で、つらい時間だった。


術後一日目。
ようやく朝になり、足のポンプを外してもらえた。
スキー靴を脱いだように足が軽くなった。
歩いてトイレに行けたら尿カテーテルを抜くと聞き、トイレに行かせてほしいと言った。なんとしてもトイレに行かねば。
起き上がると、ふらふらだった。
管だらけだし、どうしたらよいかわからなかった。
看護師さんに支えられ、何とかトイレに行くことが出来て、尿カテーテルを抜いてもらった。
でも、管を抜いても違和感や尿意があるままだった。
がっかりした。(この違和感と常に尿意のある感覚は、術後3週間くらい続いた。)

お水も飲ませてもらった。35時間ぶりの水は美味しかった。

朝10時。やっとHCUを出る時間になった。
個室が空いたそうで、個室に行くことに。
看護師さんに車椅子を押してもらい、自分の病室に向かった。
地獄のように思えたHCUを出れたことで、山は越えたな、と思った。

お昼ご飯がでたけど、食べなかった。
夕飯も食べなかった。全く食欲がなかった。
家族が来たけど、話すこともつらくて、早々に帰ってもらった。
トイレに行く以外、ずっと寝ていた。
夕方、点滴を抜いてもらい、トイレに行くのが少し楽になった。


術後二日目。
朝ご飯も昼ご飯も食べられなかった。
絶不調だったけど、癒着防止のために歩くように言われていたから、お腹が痛いけど、廊下をゆっくり行ったり来たり。頑張って歩いた。
ほら、私、真面目だから。

配膳してくれているおばさんが、まだ一度もご飯に手をつけてないのを見て、心配してくれた。食べられなくてごめんなさい。
毎月、通信制限がかかる娘に、レンタルしたポケットWi-Fiを持ち帰ってもらった。DVDも観れそうにないな。入院生活を満喫どころじゃなかった。
夕方、硬膜外麻酔を抜いてもらった。
これで、管はすべて取れた。
お腹が痛くて、そろりそろりとしか動けないけど、かなり身軽になった。
夕飯。配膳の人に心配されるから、酢の物だけ食べた。


術後三日目。
朝ご飯。少し食欲がでてきた。
ロールパンを一個食べて、牛乳を飲んだ。

退院前診察を受けた。
異常なしで予定通り明日退院できるそう。
明日、帰っても動ける気がしないけど、とりあえずよかった。
食欲はあまりなかったけど、昼ご飯と夕飯は、ほぼ全部食べられた。
少し気分が明るくなってきたのが自分でわかった。

~続く~


















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