見出し画像

桃源郷

母の実家は、母の嫁ぎ先である私の実家から、車で15分くらいのところにある。
今は、近いと思うけど、子どものころは、なかなか行けない特別な場所だった
毎年、お盆やお正月は、母と弟二人の四人で、ばあちゃんちに泊りに行っていた。

バスで行くのと、父親の車で行くのと半々だったと思う。
ばあちゃんちまでは、バス停から20分くらい歩く。
途中に赤いよだれかけをしているお地蔵さんがあった。
石がたくさん積んである。
いつも石を積んでから通りすぎた。

ばあちゃんちは、平屋の茅葺屋根だった。
暑い季節には、茅葺屋根に草がぼうぼうに生えていた。
土間があって炭こたつがあった。台所も土だつた。
家の周りには、桃畑がたくさんあった。
じいちゃんは、桃農家だった。
お盆は出荷の時期だから、母も子どもだった私もよく箱詰めを手伝った。

茅葺屋根の家には、じいちゃんとばあちゃんと、母の弟二人と、妹一人が住んでいた。
私の叔父と叔母である母の弟と妹は、母とは腹違いだから、すごく若かった。

ばあちゃんちは、変わっていた。
犬と猫が家の中と外を、自由に行き来していた。
もちろん犬も放し飼いだ。
子どもは何時まで起きていてもいいし、中学生とかだった叔父や叔母は、大人みたいに自由に言いたいことを言ってたし、酔っ払ったじいちゃんをよくからかっては、みんなで笑っていた。
怖くないお父さんもいるんだな、と幼心に思っていた。

私と弟は、祖父母や叔父や叔母に甘えてじゃれることは出来ない子どもだったけど、茅葺屋根の家も、そこに住んでいる人たちのことも好きだった。

ばあちゃんちのにぎやかな夕飯が終わって、茶の間の隣の部屋に、ばあちゃんと母が布団を敷き始めると、わくわくした。
狭い平屋の和室に、叔父や叔母の布団に加え、私と弟が寝る布団、母と下の弟が寝る布団が並ぶ。
布団だらけなのが嬉しくて、弟たちとごろごろしてはしゃいだ。
いつもは、私とすぐ下の弟は祖父母の部屋で寝ていたから、母と同じ部屋で寝れるのも嬉しかった。
じいちゃんとばあちゃんは、一番奥の部屋の大きなベットで二人で寝ていた。茅葺屋根で和室なのにベットだった。

ばあちゃんちでは、眠らなくても怒られないから、ずっと遊んでいようと思ってるのに、いつも眠ってしまって、気がつくと朝になっていた。


18で東京に就職すると、その年からずっと、夏になるとじいちゃんの桃が届いた。
東京に来る前は、売れないクズ桃ばかり食べていたけど、宅急便で届くのは、きれいで立派な売り物の桃だった。
会社の人や友達、だれにあげても、美味しいってびっくりされた。
美味しいって言われたよ!とじいちゃんに電話すると、
「ほうかぁ、よかったなぁ」と言っていた。
酔ってないときのじいちゃんは無口だった。

晩年、じいちゃんは病気して、後継者もいないから、たくさんあった桃の木を全部切ってしまった。
手入れをしない桃の木が病気になると、ほかの桃畑にも病気が広がるから、切らないといけないそうだ。
もっとたくさん食べておけばよかったな。

じいちゃんは入院すると、一気に良くない状態になった。
一番近くにいる母と、母の弟が病院に泊まったり、お見舞いのばあちゃんの送迎をしていた。
少しだけ母が休めるように、私が帰省して泊まることにした。
というか、じいちゃんの顔が見たかった。

じいちゃんの病室は、狭い個室だった。
薬の匂いなのか、老人の匂いなのか、もしかしたら死が近い人の匂いなのか、
独特の匂いがした。
付き添い用の簡易ベットは低くて、起き上がらないとじいちゃんの顔が見えなかった。

私が病室に泊まり込んでるときに、会わせたい家族がいるなら会わせるよう、先生に言われ、じいちゃんの子どもと、孫、ひ孫の全員が集まった。
私のように遠くから来た叔母や従妹が、ゆすったり触ったり撫でたりしながら、大きな声でじいちゃんを呼んだ。泣きながら、何度も大きな声で呼びかけていた。
さぶちゃんが好きだから、聞かせたら起きるかも、とスマホを使い、耳の横で演歌を流し始めた。
ゆするのも大きな声で呼びかけるのも、余計な事に思えた。

じいちゃん、もうゆっくり休みたいんじゃないかな…
そう思ったけど、口には出してない。
生きてほしい気持ちよりも、管やベットから解放してあげたい気持ちの方が大きくなっていた。

時間も遅くなり、深夜の病院に何人もいられないから、みんな一旦帰ることになった。
母と私が泊まることになった。
病室は狭くて、簡易ベットは一つしか入らないから、一人は待合室のベンチ。母と交代しながら過ごした。

朝方五時ごろ、母と二人で診ているとき、金魚のように口をパクパクした呼吸をしてしばらくしたら、じいちゃんは静かに亡くなった。

全然苦しそうじゃなかったから、ほっとした。

あの日のさぶちゃんは、聴こえていたのかな。
今は、母の友達の家の桃が送られてくるよ。
この何年かは、同級生からも桃が届くよ。
どれも美味しいけど、じいちゃんの桃には敵わない。



子どもの時って、時系列や状況がよくわかっていないからか、いつもと違う場所にいると、夢の中にいるような不思議な気持ちになっていた。
だいたいは、居心地が悪かったけど、ばあちゃんちは違った。
時間の流れ方も空気も匂いも心地良かった。

最近ようやく母に話した。
子どものころ、ばあちゃんちは、いつも生きてる世界とは全然違う世界に思えたって。
異次元に行ってるみたいな不思議な感覚だったって。
私は、子どもの頃、ばあちゃんちに行くのが一番の楽しみだったって。

母はちょっとびっくりしていたけど、嬉しそうだった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?