見出し画像

そこにバットがあったから

わたしが小学校2年生のころだったか、祖父の家にいくとおもちゃのプラスチックの赤いバットがあった。
祖父に、誰のものか?と聞くと
「ヒロアキが置いていった」と言う。
わたしのいとこが祖父からバットを買ってもらったのにも関わらず、野球には何の興味も示さず置いていったとのこと。

わたしは棒を見れば振り回す、丸いものを見ればつかんで投げる、という活発な子どもで、祖父にバットを使ってもいいか?と聞いた。
祖父は構わない、と言い
「ナルミ、ボールを打ってみるか?じいちゃんが投げてやる」とゴムボールを持って外に出た。

祖父の自宅玄関前がバッターボックスで、祖父は道路の中辺りからアンダースローでボールを投げてくれた。
1球目からバットにボールがヒットし、大きく弧を描いて向かいのお家の敷地内へ。

祖父はボールを見送ると、失投しホームランを打たれたピッチャーみたいな面食らったような顔をしてこちらを振り返った。
いきなり大飛球だったわたしもビックリ。

しかしその爽快感たるや!

それからバッティングがやみつきになり、祖父の家に行くたびに祖父もすすんでボールを投げてくれた。
ホームランも連発し、ボールが飛び込んだお家に、すみませーんと、何度も拾いに行った。

6年生になり、授業でソフトボールをした。
当時は専ら、野球などは男子のすることで、女子などはバットの持ち方もわからない子もいた。
担任の先生がピッチャーをつとめていた。
守備に入っていた男子は、女子のわたしがバッターボックスに入っても、はいはい、3回振ったらおしまい、という雰囲気でろくに構えることもしなかった。

先生の投げたボールが手許に来たとき、バットをフルスイングしたら真芯を捉えた。
ボールはレフトの男子の頭を越え、サッカーゴールの横を転がり、どんどん遠ざかっていく。
わたしはとにかくベースを踏んでいけばいいことは知っていたので、ひとつひとつ踏んでサードをまわった。ボールは運動場の隅まで転がったらしく、返ってこない。

ホームランになった。

これらの経験が、わたしの人生を方向づけた小さいけれど、大きなきっかけ。

その後、中学、高校とソフトボールを続け、県大会、全国大会にも出場。
全国大会では打順は下位打線ではあったが、たまたまホームランを打ち、その試合には勝つことができた。

練習はド、が付くくらい厳しかったけれど、その後の就職や生きるうえでの向き合い方に、大きな影響をもたらしたと思う。

人の人生を方向づけるきっかけは、そのへんに転がっている。

赤いバットのようにね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?