いつまでも気になる「書く」ということ

プロフィールにするほど、ことばが好きだ。たぶん、書くことも。日記、手紙、作文までは苦になったことがない。大学で書くことの中身が変わってもそれなりに書けたし、楽しさも見いだせた。

ライターの師匠に出会い、インタビュー記事を書くようになった。新しいことを知れるのが楽しかった。こんなに面白いこと・驚くことがあると知ってほしくて、夢中で書いた。

記事を作り上げる過程、頭の中で信号が行き交い、つながっていく。これだと思った瞬間に腹から頭に何かが沸き上がってくる感じがたまらない。

今では書く機会がぐっと減った。でも書きたい。noteを始め、ネタ探しに外へ出る。何か見つからないか、閃かないか。草花や野生の動物に目が行くようになったし、店員と話せる機会があれば何でも聞くようになった。これまで触れてこなかったジャンルの本を読み始めた。

散歩しながら写真を撮り、草花の名前を調べる
最近買った本。図書館も大きな書店も古本屋も行く


いつまでも気になる「書く」ということ。草花の変化や一個人の感情を綴ってどうするんだ。いい文章って何だ。なぜあの文章は面白いんだ。書きたい気持ちと矛盾するように、頭のなかに疑問があふれ出す。

近藤康太郎「三行で撃つ〈善く、生きる〉ための文章塾」(CCCメディアハウス)を読み返した。

初めて手に取ったとき、文章術っぽくない本だと思った。やけに熱かった。「他人が考えた表現を使って分かったフリをするんじゃない」と叱られている気分になる。でも、すごく重要なことが書いてある気がした。

読み返してみて、著者は「書くこと」という壮大なテーマに立ち向かっていたんだと気づいた。だから前のめりだし、途中でよく分からなくなるところもあるし、熱いのだ。著者は、書くことを生業としているんだから。書くことで、生きているんだから。簡単に分かるワケがない。

猟師の顔ももつ著者


うまく書けている気になって、それっぽい表現で止まるのは嫌だと思った。もっと語彙を、経験を、表現のかたちを体得したいし、それでもってユーモアを届けたい。言い訳せず、書くことに向き合い続け、いつかは自分なりに「書くこととは」を書きたい。

そんなつもりじゃなかったのに、妙な決意表明をしてしまった。
著者が言うところの「言葉によって、書かされた」ということだろう。


20220531 Written by NARUKURU


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