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「まだない」体験、「まだない」感情 『バー・ミラクル』sweet編

『バー・ミラクル』sweet編
(feblabo × シアター・ミラクル、新宿シアター・ミラクル、2019年6月28日~2019年7月8日)

先日、『バー・ミラクル』sweet編を見てきた。目当ては大学からの友人である恭弘くん(@yasuhiro0305)が脚本した『エモくてごめんね』。滅多に演劇を見ることはないので久々に楽しみだった。

そこで、感想と自分がコンテンツに触れるとき見たいものについて、勝手気ままに思うところをざっくばらんに。公演期間も過ぎたのでネタバレ込みで。

『キール・カーディナル』
脚本 NOMU(少年cycle)

「演劇」って感じの、オープニングとしてふさわしい作品。

序盤、前の店の常連という女性が現れるまでのキャラ関係の説明的シーンが個人的には冗長で、ビルのオーナーの先輩はこんな人となりで、後輩のバーテンはこんな奴、みたいなのはサクッとでいい気がした。しっかり会話するじゃんって。丁寧にしすぎなくても案外すぐ関係は見えてくるはず。

3本目にも言えるのだが、カクテル言葉をキーにするのはもったいないような気がする。「設定はバーです」と言われて、1個目くらいに思いつくであろう案をあえて採用した意図とは…と、むしろ考えてしまう。どんな意味でもそれを使えば話はオチるだろ、というか。必然的に裏切れるというか、転回できるというか。

その意味自体を知らなくても、意味があること自体はわかるからそういう意味で予想はつく。広い意味で予想がつく作品は楽しめない(ただし、お約束的なレベルで予想がつくものは好き)。

演劇をあまり見ないからこそ、演劇でしか見れないものを見たい、のと同時に、全コンテンツにおいても見たことのないなにかを見て見たい。生きているなら少なくともそれなりの数のあらゆるものごとを見て聞いて感じてきているはずなので、それを超えるようなものごとをつくるのはものすごい…ありえないほど辛い作業なのだろうけど、単純にそういうものを自分は見たい。

『夢見る少女でイタくない?』
脚本 荒井ミサ(ヱウレーカ)

ああ、もう…あぁ…となるこういう作品はすごい好みでした。

「ラブ」(キャラ名あってますか?)のキャラクターが、演者さんの演技込みでとにかく秀逸で、もっと見て見たいと思った。漫画だったら番外編の短編を読みたい。その店に来るまでの過去や動機、曖昧なでも確かに確たるものとしてある理想像が内にある様、とかがとにかくリアルでギュンと入り込んでしまった。あの不器用さも。最初の登場からの実態のギャップ、それは仮に読めたとして、その裏切り後のキャラを安易な「毒舌キャラ」に落とし込まなかった点が秀逸。

主人公?が早口で吐露するシーン、演劇として噛むとかはよくないのかもしれないけど、このシーンはむしろ噛んだことによって魅力が増した名シーンだと思う。普段慣れない口と舌の動きにキャパオーバーしている感じが、そのキャラの普段の会話の量・程度を推し量れるような気になれたのでより集中してみれた。あと、あの服装もジャストでよかった。

演劇演劇した喋り方とか、はっきりとした、腹から出てますよーっ!!みたいな声というか、そういうのが正直嫌いで、それ聞くだけでなんだか萎える。「腹から出てるけどそう思わせない声の出し方」があるならたぶんめちゃくちゃ演技上手な方なのか知らないけど、どうにかあからさまな演技・声にならないでほしいと自分は思う。

「普段通り」を演じるのが一番難しいというのはわかっているけれども、とにかく、少なくともあの舞台上の世界は、(多分)この現実世界とほとんど同じなんだから、そんな声出すなよ、とたまに思ってしまった。その点であの早口のシーン、あの演者さんはたまらなくよかったです。

たぶんある程度歳いっているであろう女性が「キキ」を名乗るのもやっぱりイタいよなぁってところを、作中キキの「私たちはイタいんだよ」というセリフ(セリフ自体は正確には覚えてませんが)程度にしか触れない、観客のうちで小さく突っ込ませるような余白はすごい好き。他のキャラが反論として言ってたら冷める。キキが部外者としての一方向的なディスを展開するわけではなく、同じ穴の狢として3人に説教する構図が、深いところの愛情というか優しさを感じられたので、たまらなかった。

それでいくと、まもちゃんを信じてるオタクオタクした女の子、あの子はキャラ設定が唯一甘いのかなと。他3人の生を感じるイタさに対して、ちょっと戯画的なキャラのように思えて、他が息苦しくなるほどのリアリティがあるのに、急に額面通りの「オタク」、その「イタさ」みたいな、深みがなくなってええ?ってなった。すぐネットスラング口走るとか、せめて他のもっと細いあるあるとかもっとできた気がする。でも、ここまで安直なのはおかしい。この脚本を書けるほどの人がそんな手抜きをするはずがない。自分は表層で引っかかってるにすぎないんじゃないかとさえ思えてくる。あえて「オタク」にした意図があるんじゃないかとか勘ぐってしまう。

「それぞれの魔法少女像を語る」という、他所から見たら気恥ずかしくなるようなものに真剣である彼女たちが妙なリアリティを帯びていて、自分にもよくあるダサさ・イタさを全力で見せつけられた感覚がして苦しくなった、反面それをしっかり思い返させられたことにすげぇなと思った。

キャラそれぞれがそれぞれに対して論破できると言うか、そういう属性関係で繋がっており、キャラ配置のうまさは他作品のなかでも抜けていたように思える。それでこそ「オタク」女子にもっと特殊性があればと、思いつつ、書いている途中であのくらいのわかりやすい「イタさ」がむしろよかったのかもと納得しかけつつまだ自分の意見をまとめられず、モヤモヤしている。

今回上演されたものを勝手に読み切り版くらいに想像していて、長編尺の今後とか、客を交えての場面、外からのリアクションに対しての彼女たちとか、あの人たちのこれからを見たくなった作品でした。

『モーニング・グローリー・フィズ』
脚本 ダーハナ(表現集団蘭舞)

むずい。

この作品でやりたいことが見えてこない。あれもこれもという感じなのか、バラエティパックという印象。

「意味ありげなプロローグ」とか、「からのそれと繋がってこない本編がしばらく続く」とか、「裏になにかありそうな陽気な人」とか、「現世に未練を残す霊」とか、「と、相手する霊媒師」とか、「本当は…」とか、「レズ」とか!「死」とか!あまりにまんま過ぎるだろと。

いや、ここまでまんまなのに意味があるんじゃないかとさえ。演劇ってあえてまんまなことをまんまやるみたいな皮肉というか意地悪が流行ってるんですか?もし、そういうのがなくて、そのままの意味でやっているのであれば、この作品は苦手です。

「死」に関して、ストーリーの作りやすさでいったダントツの材料じゃないか。そりゃ悲しくなるよ、「死」が「悲しい」のだから。いや、ストーリーとして、作品として「悲しい」をつくってくれよ。「死」を「死」のまんまで提供してくれるなよ。「死」の「悲しい」でじゃなくて、「死」を使ったストーリーとして、作品として「悲し」くさせてくれよ。

「レズ」もそう。「すれ違い」とか「ズレ」とか「世間と自分」とかそういうものとしての象徴的意味を、もう十二分に帯びているのだから、作品で登場させるときは、もっとあらざる意味として使ってくれないと。そんなものごとは辞書で済むし、インターネットとかで見当つく。虚構世界で見たいのは自分の中で「まだない」体験、ひいては「まだない」感情なんですよ、自分は。

『エモくてごめんね』
脚本 大逗恭弘(どろんこのキキ)

最低でした。本当にいつもありがとうございます。

贔屓目抜きで、むしろこんだけこき下ろして贔屓するならもう黙ったほうがいいけれども、贔屓目抜きで一番心にきた。ほんとうに最低だった。

『夢見る少女で〜』がこれからのその人たちがいる世界を見たい作品で、もうやめてくれ、もうこれ以上見せないでくれ、もう...ってなる作品が『エモくて〜』です。

「実はパパ活でした」というバラシがコミカルで、「「「バラシ」」」「「「演劇」」」って感じがむしろ突き抜けていて心地よかった。そういうわかりやすい演出が散りばめられた楽しい作品!と思っていたら、作中後半はストーリー勝負の無骨な上演スタイルになっていて、その移行に全く気がつかない内に引き込まれていた。誘い水としてのコミカルにまんまと乗っていた。ストーリー自体にももちろん引き込まれて見入っていたけれど、単純にあそこまで深入りしていないかもしれない。

冒頭の『モーニング・グローリー・フィズ』や通し券について触れるメタ的なシーンや、2人の掛け合いで事あるごとに「チャリーン」と鳴るコミカルな演出など、最初のコント的なわかりやすい引き込みが導入としてあったから、後半深くリラックスして見られた気がする。お客さんをほぐして味方につけるテクニック。

恭弘くんのつくる演劇の心象描写というか、独白のシーンなどは、どの作品もピカイチでよくて、ストーリー上、その現実の中だけでは描ききれない人物像をしっかりとまとめ上げる結束帯ような役割を持っている。ああいうシーンがすごい好きで。

今回もだけど、音楽の使われ方や光など、演出がよくて(今回は恭弘くんが関わっていないらしいけれども)、その鮮烈さで泣きそうになる。舞台を広く使うように動き回る様を見ていると、舞台上はどちらかと言ったら平面的な場面のはずなのに(そういうわけではないのだろうけど、自分の座り位置からの視点を変えられないという意味で)、自分の頭の中では、自分の目で見ているもの以外のカメラアングルで登場人物、全体の場面を見せさせられているような感覚になり、不思議な気分になる。なんだか映画的な映像が頭の中に映る。

演出のうまさを感じたのは、明暗天なしでさっきまでのシーンと別日の出来事であることを表すために、いちいち登場人物の座り位置をかえたところ。単純なことだけれども視覚的に切り替わる様が舞台だからこそのテクニックなのかなと感心した。ああいうのよくあるのでしょうか?

お互いの好きなところしりとり、がっつりイチャイチャしているのもちろんよかったのだけれどもそれよりも、彼女が即答なのが、最高すぎた。男性に対する立ち振る舞いが上手な女性とかいるけれども、あれはそれだけでできる言葉選びじゃないし、それだけでできる早さじゃない。理性的な振る舞いとしての言葉というよりも、底からの言葉選びをどこかうすらと感じた。相手を楽しませる女性の巧みさ100の言葉じゃなかったと思えた。遊戯としての関係性より深いところから出ている言葉、想いを感じ、ふいのイチャイチャシーンに彼女の献身をほのかに受け取ってしまい、泣きそうになった。

クライマックスで明かされる彼女の献身的な行為が唐突に感じないのは、それまでのシーンでうすら見える、それこそしりとりのような、単純な打算的態度に止まらない機微があるからこそだと思う。彼女は彼女で人間的な弱さを抱えている。男よりもある意味で相手に依存していたのが彼女だった、と勝手に思う。

「情けなさ」には自分のなかでは、「情けない情けなさ」と「情けなくない情けなさ」の2種類があって。「情けない情けなさ」というのは本当にしょうもないやつのそれのこと。ブレブレでついぞ無責任なやつ。体の関係を持ち込まれたときに、多分このタイプの男だったらヤッてた。もしあの男がこのタイプの情けない男だったらあのオチにはならなかったと思う。そして自分も物語をちゃんと見られなかったと思う。

「情けなくない情けなさ」は、なんというか一貫性を帯びていて、でも情けないのは確かなところがダサいけどいいやつって感じの、説明が難しいけどウルフルズの歌に出てくる男というか…そんな情けなさ。だから最後あの選択をした、できた。ああいいキャラクターや、情けなさが大好きであの男に感情が完全に引っ張られた。

パパ活中のパパに徹する態度は、情けない男のくせに、本当は好きなくせに、を客として知っているから、もうこいつは…となれて魅力が増した。演者さんのクオリティが高く、すんなり入ってきた。美しかった。

2人をつなぎとめるのが、お金であり、2人が会うバーだった。実際は心の奥底では思い合っている深いつながりがあるけれども(実際はわからないけれどもそう思いたくなる)、それを表に出さず「パパ活」というか細い関係をお互い演じあう。お金だけでは薄くなりすぎてしまうこのつながりだけれども、あのバーという場所が2人をつなぎとめる担保となっていた。逢瀬の場を限定するその制約が、さらにより強力に作用していたと勝手に想像している。

終盤、あの憑き物が落ちたような、淡々と話す男の姿に、彼女に対するどうしようもない深い愛を感じて。これほどまでに人を愛することができるのだろうかと考えてしまった。あの決断を下せる男は情けなくない…けど、情けない。

自分はネタバレについてなんとも思わないし、むしろ見てしまうような節があるのだけれども、それはどこか心を揺さぶられすぎたくないというビビりからくる行為なのだと思う。作品に「まだない」を期待しているくせに、それがすごい怖い。自分が組み替えられることをどこか恐れている。この作品について、公演前から恭弘くんから大方のあらすじを聞いていたこともあって、終盤のダメージは致命的にならずに済んだ。聞いていてもあんな最低な気分になったのだから、聞いていなかったら、つらくて動けなくなっていたかもしれない。

問題は、本当にオチ。あの男の、あの彼女の美しさを、あれだけのために台無しにしたのが悲しくて。B級ホラーの「次は、あなたかもしれない…」みたいなことやるためだけに、彼女を突き落とすのはちがかった。

彼女も不幸になるべきなのだとしたら、一人で苦しむべきで、他者からの働きかけで苦しんでほしくなかった。あの2人にあまりに期待しすぎている自分がいるのは確かだけれども、あんなのあんまりすぎる。虚構世界にくらいそういう美しい人間の理想を抱いてもいいじゃないか。

バッドエンドにしてもあのバッドエンドは美しくないし、それまで作中の彼女の人物像からすると最後の行為は個人的に飛びすぎなように思える。男に対してあそこまで遠巻きにでも献身的であった人が、そんなことなるかねと。そこまでな人ではないでしょう。キャラの整合性の意味でも、自分は納得しかねる。

どうしても、あの2人に純愛ではないけれども、そういう理想を抱きたくなる。いかがわしさを孕む「パパ活」でつながる2人にこそ、そんなものがあれば...と思いたくなる。情けない。だから、もうやめてあげて!!!って勝手になってしまった。ラストへの拒絶感が強いのはそのせいかもしれない。

また機会があれば

あれこれ書いていて、多少口悪いなとは思いつつ、でも、ここで「よかったです」だけいうのも自分として勿体無い気がしたので、それぞれについて思ったことをちゃんと書いてみました。

先にも触れたのですが、自分があらゆるコンテンツに期待しているのは、誰しもそうな気がしますが、自分の中に「まだない」体験、ひいては「まだない」感情です。特に『夢見る少女で〜』と『エモくて〜』の2本は自分にそんな体験、そんな感情を与えてくれました。

演劇の見る側のスタンスとか諸々掴みきれずいるのですが、やっぱり見に行くと楽しいものなので、また機会があれば、例えば『夢見る少女で〜』の荒井さん(@araimisa_act)や、恭弘くん(@yasuhiro0305)がまた脚本を担当するとかになれば、是非見てみたいなと思います。

アイキャッチ画像ご愛嬌。


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