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気持ちを察することができない人は陰口や嘘を言わないと思う

 先日、かなり久しぶりに陰口を聞いて自分が陰口が苦手なのを思い出しました。
 陰口が苦手なのです。陰口を聞くのも、陰口に同調しないといけない空気も苦手です。

 今日聞いたのは、実際には陰口というほどのものではないかもしれません。AさんとBさんは休みの日に一緒に釣りに行くほど仲が良い(ように見える)けど、BさんはAさんに不満があったようでした。Aさんの仕事ぶりや仕事の上での態度についてです。その不満について、作業の休憩時間にBさんが私に話してきました。愚痴をこぼすくらいの気持ちだったのかもしれません。ですが、私はそれを聞くのがとても辛かったです。愚痴を聞くのは別に構わないのですが、誰かを悪く言うのを聞くのは辛いのです。

 前職の大学職員の時も陰口を聞くことがありました。正規雇用の職員よりもパート職員から陰口を聞くことが多かったように思います。正規雇用の職員が数年で異動することが多いのに比べて、パート職員の方は同じ部署に長くいることが影響していたのでしょうか。普通に仕事でやり取りをしている時は笑顔で対応していても、裏では「あの人ってさぁ~」と陰口をいうことがありました。

 陰口を言っている人を見ると、私は恐怖を覚えます。「この人は笑顔で対応している相手も心の底では馬鹿にしたり蔑んだりすることがあるんだ。私も今は笑顔を向けられているけど、裏では嗤われているかもしれない」と思って恐怖を覚えるのです。
 
 同じような理由で嘘をつかれるのも非常に苦手です。私は人の言うことは馬鹿正直に信じてしまうので、後で嘘をつかれたことに気づいたら「この人は平気で嘘をつく人なのだ。今しゃべっているこの話も嘘かも知れない」と相手を信じられなくなります。さすがにあからさまな冗談であったら分かりますが、相手が私を騙そうとしてする嘘は、私は自分で気づくことはほとんどありません。人から指摘されてようやく気付くくらいです。未だに気づいていない嘘もたくさんあるのだと思います。

 陰口を恐怖したり、嘘を見破れなくて嘘をつかれると疑心暗鬼になってしまうのは、私が人の気持ちを察するのが苦手なのも影響しているのかもしれません。陰口を言っている相手とその人は、他の「普通」の人から見ると、お互い笑顔でも険悪なのかもしれません。あるいは嘘をつく人の嘘は「普通」の人はもっと早い段階で嘘と見破れるのかもしれません。私は人間関係の表面的なところしか分からないので、笑顔で接している人同士は仲が良いのだろうと思うし、相手が言っていることは本当のことなのだろうと暢気に考えてしまいます。
 だからそうでない事態が起こった時に驚き、逆に何も信じられなくなるのだと思います。

 こう書いてみると、陰口や嘘が苦手なのではなくて、相手の言外のコミュニケーションを察する力が低いから、陰口や嘘がものすごく大きなギャップとして認識されて、それが辛いのかもしれないと思いました。相手の言葉の裏にある気持ちや、表情の奥にある感情に気づくことができない。

 
 そういう私の特性があるので、私が仲の良くなる人は嘘をついたり、陰口を言わない人が多いです。いや、私が気づいていないだけで嘘をつかれている可能性はありますが……。まあでも、あの友人たちになら嘘をつかれても良いかなと思います。彼/彼女らが私につく嘘なら、何か理由があるのでしょうし。本当のことを知られたくないなら、私はつかれた嘘を信じ続けようと思います。まあ、そもそも嘘だと気づいていないのですけど。


 私のように陰口や嘘を恐怖する人が多いのかどうか分かりませんが、少なくとも私はそうしたことはこれからも言わないでおこうと思いました。


 本日は以上です。スキやコメントいただけると嬉しいです。
 最後まで読んでくださりありがとうございました!