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心が不安定だと心配事が増える

 この記事を書いている本日、自分がやらかした(かもしれない)失敗によって心が落ち込んでいます。その失敗というのは私の失言によるもので、いわば自業自得です。
 自分の過失によって起きたことではありますが、後悔の念が湧いています。「あんなこと言わんかったら良かった」とくよくよしています。
 そうして心が弱っていると不思議なもので、心配事が次々出てきます。

 「1月は収入が少なかった、収支マイナスだどうしよう」「周りの仲間に比べて自分には将来の展望が描けてない、どうしよう」「環境改善の技術がまだまだ未熟で経験が少ない、これから上達できるだろうか」etc…
 ここで心配している諸々のことは、今日突然生じたことではありません。昨日までと状況は変わっていないので、これらの問題自体は昨日以前にもありました。違うのは、これらの問題を「やばいやばい、どうしようどうしよう」と私が思っているかいないか、の違いです。
 つまり、問題なのは外部に問題となる出来事があることではなく、外部の問題となる出来事を「やばいやばい」と不安がる自分の心だということです。

 感覚的な話になりますが、心が弱っている時は、その弱った心に見合った現象に自分の注目が向くように感じます。例えば、不安、恐怖、怯え、不寛容、糾弾。そのような反応をしてしまう材料をわざわざ外から集めてしまうように心が働きます。
 つまり、外に問題があるから不安定になるのではなく、不安定な心の状況だからより不安定な心になる出来事を集めてきてしまうのです。

 逆に、心が前向きで明るい時は、その明るい心に見合った現象に注目が生きます。例えば、希望、好奇心、向上心、寛容、素直。そのような反応ができる材料を集めがちです。

 そのようにして自分の心を少し俯瞰して眺めた時、「ああ、今様々なことで不安に思っているのは今の自分の心が不安定だからだ。状況が昨日と比べて悪くなったわけではない。ただ悪くなったように見えるだけだ」と気づきました。

 まあそう気づいたからと言って、そもそもの私の過失はなくならないので心の不安定さは解消されていないのですが、今の自分の心の状態が正常ではない、と自覚できたのは良かったと思います。少なくとも、今の心の状態で何か重要な判断を下すことは避けた方が良い、と分かったので。

 
 自分の過失に対するリカバリーは別途行うとして、ひとまずは今すべきことに集中して一つ一つ行い、重要な決断はひとまず今は避けるように気を付けようと思いました。


 本日は以上です。スキやコメントいただけると嬉しいです。
 最後まで読んでくださりありがとうございました!