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出家未遂した男のその後③

 タイで出家未遂した男は再びタイのお寺に向かいました。

 関西国際空港からタイのバンコクに行き、一泊して長距離バスと乗り合いタクシーを使ってようやくスカトー寺に到着しました。

 到着して受付をすまし、自分に割り当てられた小屋に入り、プラユキ師に挨拶。到着した時はもう夕方ごろだったので、午後6時から始まる勤行と説法に参加し、プラユキ師の話を聞いてその日は特別なことをせず、就寝しました。
 その次の日から修行生活の開始です。

 スカトー寺での一日の流れは以下のとおりです。

午前4時~ 朝の勤行(読経・住職による説法・瞑想)
午前5時半~ 托鉢に同行
午前7時半~ 食前の読経及び食事
午前9時~ 各自自由に修行
午後6時~ 夕べの勤行(読経・住職による説法・瞑想)
午後7時半~ プラユキ師による日本人修行者たちへの指導・説法
上記が終了次第自由、各自就寝

 スカトー寺での食事は基本的に1回だけです(午前中なら2回食べても良い)。上座部仏教には非時食戒(ひじしきかい)と言って、午前中にしか食事をとってはいけない、という決まりがあるからです。
 また、当然ですがテレビやネットはありませんし、修行期間中は本を読むのも推奨されません。
 では午前9時から午後6時までの9時間もある修行時間は何をするのか?スカトー寺では修行時間は主に「瞑想実践」を行います。

 スカトー寺で指導される瞑想は「チャルーンサティ(気づきの瞑想)」と呼ばれます。一般的にイメージされる瞑想とは違い、手を動かして行う「手動瞑想」と歩きながら足に注意を向ける「歩行瞑想」が主な瞑想です。
 瞑想の具体的内容を説明するのが本記事の目的では無いので、詳細な解説は省きますが、要は心が妄想などでふらふらさまよい始めるのを手や足といった具体的な対象に注意を向けることで「いまここ」に戻すことを繰り返し、気づきの力を高め、自分の心や心の構造についての理解を深める瞑想です。
(プラユキ師による瞑想指導の動画を見つけたので以下に貼っておきます)

 2週間余りのスカトー寺の修行生活はとても有意義で密度の濃いものでした。
 ウルトラ早起き生活(午前3時40分くらいに起きる)、托鉢に同行することで見るタイの人たちの敬虔な姿、他の修行者たちの熱心な修行態度、プラユキ師による直接の指導。それら全てが私の心に気付きをもたらし助けになりました。

 スカトー寺での学びはたくさんありますが、自分の心を俯瞰して見ること、そして抑圧してきた自分の心を受け入れることができたことが一番の成果でした。

 スカトー寺に来て9日目、私は夢を見ました。その夢は、私が誰かを探していて、探し人が見つかった直後に撃ち殺され、その私を撃ち殺した者が筋骨隆々の黒人の男だった、というものでした。
 私はプラユキ師にその夢の内容を話しました。

 プラユキ師は御自身の夢を記録して自分の修行過程と照らし合わせた経験と、夢診断や精神分析の書物を読んで得た知識を基に、修行者が望む場合は指導で夢診断を用いることがあります。そのため、私は自分の夢の話をプラユキ師にして、指導を仰いだのでした。
 プラユキ師は、その夢に出てきた男は私が抑圧してきた男性性のシャドウだとおっしゃいました。

 「シャドウ」は精神分析の用語ですが、プラユキ師は自我構造内部に組み込み切れずに阻害された自身の一部、と定義されています。つまり、自己イメージに合わず、自分ではないと無意識に抑圧された自身の心の一部です。
 私の夢に出てきた筋骨隆々の男が私の男性性であり、かつ、抑圧された心の一部としてシャドウの姿で現れた、というのがプラユキ師の解説でした。

 私はその解説を聞いて思い出した過去の記憶がありました。
 私の父は、私が小さいころ悪いことをしたら、拳骨か平手打ちをして叱っていました。当時の私にとっては泣くほど痛く、小さい頃は父に恐怖していました。
 また、別の記憶では、朝、母が父に何かで怒られており、父が母に手をあげていました。その時、私は自分が叩かれたわけでもないのにその光景を見て大泣きをしていました。プラユキ師の解説を聞いて、そういう記憶がパッと思い出されました。
 そして確かに、父の姿で象徴されるそうした暴力性、あるいは男らしさ、力強さといったものに対する忌避感が私の心にあるのも感じました。自分の中にそうした暴力性や力強さといったものが現れそうになるたびに「そんなこと考えちゃいけない」と蓋をしてきたことにも思い至りました。

 その自覚を得た後、修行を続けていると、ある日ふとその抑圧してきたシャドウに対して(イメージは夢に出てきた黒人男性)、「今までずっと抑圧してきたんだね、ごめんね」という気持ちが生じてきました。と同時に「抑圧してきた側もたいへんだったんだよね」という気持ちも生じ、そのときふぁと顔がゆるんで力みが抜ける感じがしました。
 抑圧されてきた男性性(シャドウ)も確かに苦しかったけど、抑圧していた側も、夢でのシーンを考えるに「殺される!」と思うほど恐怖していたわけで、そちらもそちらでたいへんだったんだと受け入れることができました。
 そして、抑圧された側と抑圧してきた側のどちらにも「たいへんだったんだね」と受け入れることができたとき、私はそのどちら側にもおらず、両者を眺めるところにいました。
 抑圧していた側におらず、もちろん抑圧されている側にもおらず、あれ、では今両者を眺めているのはなんだ?という不思議な感じが生じていました。

 その晩、プラユキ師にその時の話をしたところ、それが瞑想的在り方だ、とおっしゃいました。プラユキ師の言葉で言うと、XY平面(自己-他者 平面)にZ軸を立てる(自己-他者を共に見つめる視座を持つ)、という言い方になります。
 どういうことかというと、超自我(精神分析の用語。理想自我。この場合は「抑圧する側」)が自分の嫌な面を抑圧してシャドウ化させてしまうと、普通はその超自我にはまり込んで同一化してしまう。だけど、私が上記で気づいた「抑圧している側もたいへんだね」という視座は超自我にはまり込んでおらず、超自我さえも客観視し、対象化している。そのため、超自我やシャドウを否定も無視も抑圧もせず、あるがままに全体を客観視できている、それが瞑想的な在り方だとのことでした。

 この気づきは私にさらに大きな気づきをもたらしました。
 今まで私は「寂しい」という感覚、欲求が襲ってくることがあり、そのたびに「誰か構ってよ!」という衝動で行動することがありました。しかし、その「構って欲しい」と言う私こそが、自分自身の心の一部である、超自我(抑圧してきた心)とシャドウ(抑圧されてきた心)のどちらからも目を背け、「構っていなかった」ということに気が付いたのでした。
 私が自分の心から目を背けるその態度こそが、私自身の寂しさを増幅させていたのでした。
 そのことに気づいた私は、非常な安心感、安堵感を味わいました。
 「今までずっと会いたかった人にようやく会えた」という感覚でした。

 そうした気づきを得て、私のスカトー寺での2週間の修行は終わりました。
 ただし、帰国した後の私が修行を怠り、今まで通りの態度でいるとスカトー寺で得た気づきも忘れてしまい、元に戻ってしまうので、瞑想実践をはじめとした仏道修行を続けていくことが必要だともプラユキ師から言われたので、帰国後も仏道修行を続けようと決意しました。

 そしてスカトー寺での修行のもう一つの成果は、出家への未練がようやく完全に断ち切れたことです。

 ダモ寺院で出家を諦めたときは、私自身に出家の覚悟がなかった、ということで諦めざるを得ない、渋々断念するという気持ちがありました。
 しかし、スカトー寺での修行により、私が出家したいと思い込んでいた気持ちの根底にある満たされなさ、その一つである「寂しさ」について、一つの回答を得たことによって、出家したい、という欲求そのものが消えました。
 「出家できない私は駄目な人間だ」という思いをダモ寺院から帰ってきてから抱いていましたが、それが(完全ではないにしろ)かなり払しょくされたのでした。
 そうなったことでようやく私は、「出家できなかった」「前職がうまくいかなかった」といった過去の挫折にばかり目を向けていたのを改め、「これからどうやって生きていくか」という未来に目を向けることができるようになったのでした。

 そうした成果を得て、私は再び高森草庵での生活に戻るのでした。

続き。


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