出家未遂した男のその後④
スカトー寺での修行で未来を見つめることができるようになった男は再び高森草庵での生活を始めます。
高森草庵での生活を続けていく中で、私はキリスト教の精神とでもいうべきものに惹かれていきました。
※以下で、私が理解したキリスト教の教えについてたびたび触れますが、あくまで私がこう理解した、というものですので、教義上正しいかどうかは分かりません。たぶん間違いもあるでしょう。御容赦ください。
キリスト教では、自分のためではなく、人のために行動することが大事だと言われます。それは、イエス・キリストが自らの命を賭して、人類のために利他行を行ったからです。
イエス・キリストは人類が自らでは贖えない罪である「原罪」を代わりに背負い、その罰も代わりに受け、肉体的にも精神的にも苦しみを味わい、最後は処刑されます。しかしその後、神によってその罪は許され、復活します。
イエス・キリストは神の子なので、人類が背負っていた原罪はなかったのですが、代わりに背負い、その罪を贖いました。そのイエス・キリストの利他行に倣って、各人が自分の人生においてできる形で利他行を行おうというのがキリスト教の精神です。
高森草庵の生活で私が実際に人からの利他を受けていることを実感したことがありました。
高森草庵は標高1,000m近くにあるので、冬は寒く、最低気温が-15℃にもなります。その寒さを防ぐために対策をいくつか行うのですが、その中の一つに母屋にある薪ストーブがあります。
薪ストーブは薪をくべて暖をとるのですが、割ってすぐの薪は使うことはできません。(使えないことはないが、含水率が高くて煙突がすすだらけになる)そのため、薪は割った後1年以上乾燥させます。
私が当時、暖をとるためにくべていた薪は、1年以上前に誰かが割って乾燥させていてくれたものです。誰かの利他行によって、私は暖をとることができていたのです。
また、高森草庵では冬は農作業がほとんどなくなるので、薪割りが主な仕事になります。私も日々、薪を割っていたのですが、「この薪は私が使うのではなく、来年私ではない誰かが使うためのものなんだ」と思いながら割っていました。それがその時私にできる利他行だったのです。
そして割りながら、私が受けている利他行の恩恵は薪だけではないとも思いました。
高森草庵にある建物は、押田神父を慕った人たちが協力して建てたものだと伺っています。
何十年も前に、押田神父と修道生活をする人たちのために建てられたものを、私は使わせていただいていたのです。
さらに、その視点を日本全国に広げれば、私がそれまで生きていく中で利用していたあらゆるものが、私が作ったものでは無く、私以外の誰かが、作っていたものです。食べ物、衣服、住居、薬、あるいは社会システムから日本語という言語まで、「私が作った」と言えるものはありません。
視点を変えると、私が子どもの時は両親をはじめ周りの人から助けられて生きていました。
私一人が生きるだけでもたくさんの人の利他行を受けている、と実感しました。
高森草庵での生活でそれらを実感するうちに、私も人のためになることをしたい、という思いがふつふつと湧いてきました。
ところで、イエス・キリストは貧しい人々、苦しい立場の人々の側に立って神の教えを説きました。ハンセン病患者や娼婦と言った、当時蔑まれていた人たちにも教えを説きました。
イエス・キリストは蔑まれていたり、貧しい人々と同じ目線でいるために、常に自らを貧しい立場に置いていたのでした。
高森草庵でもその清貧の精神は受け継がれていました。
高森草庵では田植えも稲刈りも、機械を使わず人の手で行います。畑仕事も農薬や化学肥料を使わず、害虫は手で取り、肥料はたい肥を作っていました。エアコンもパソコンもありません。60年ほど前の日本の田舎の暮らしをそのまま続けていました。
敢えて富貴を求めず、貧しさに身をおく生活です。
何もかも不便ですが、不便だからこそ、気候・天候などの自然の理に逆らわない生き方をしていました。
「便利だとわがままになっていけないねぇ。不便がいいねぇ」とシスターがよく笑いながらお話されていたのを今も思い出します。
そうした経験もあり、私は今後生きるにあたって、金銭的に裕福な生活ではなく、貧しさの中に身を置きたいとも思うようになりました。
誰かのためになる生き方をしたい。
富貴を求めず、貧しさの中に行きたい。
この二つの思いをもって、仕事を探すようになっていたのでした。
続き
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