呪と祝は紙一重
さきほど放送されていた「家ついて行っていいですか?」を見ての感想など。
番組スタッフに声を掛けられた怪談師が、大量の呪物をコレクションしているとのことで、呪物とされるアイテムがいくつか紹介されていた。
その中のひとつに、「もう営業していない資料館で1つだけ埃を被っていなかった人形」があった。
…それは呪物なのだろうか?
むしろ何らかの縁起物になりそうだが…。
受け取り方次第で、どんな物でも「呪」にも「祝」にもなる。
私は霊感が無いので、呪物を見ても何も思わないが、単純にビジュアルが気持ち悪いというか、不気味な物が多いので、何となくずっと見渡していたら気分が悪くなりそうだ。
「不気味なビジュアルだから、何となく悪いことが起きそう」
「悪いことが起きたから、きっとアレのせいだ」
たいていのことはきっと、こんな感じで思い込みによって決めつけられ、噂され、伝達され、それらを呪物としてしまうのだろう。
でもその「呪物」というレッテルがあることで、粗末にされず大事にされ続けるのならば、そのアイテムからすればそれは「呪」ではなく「祝」なのかもしれない。
私は先にも書いたように霊感が無い。
だが幽霊と同居していたことはある。
昔友人と住んでいたアパートに幽霊が居た。
私は何も感じなかったが、友人が幼少から霊感があり、その部屋には居ると言った。
友人が「霊感の強い叔母から貰った」という水晶玉を家の真ん中、キッチンとリビングを隔てる壁のリビング側へ置いた。
その後キッチンへ行くと、勝手に戸棚の扉が開いたり、リビングで食事をしていたらキッチンから「ボコッ」という音がして、見に行くと照明のシーリングが外れていたりと明らかに不審な出来事が続いたので、「ああ、本当に居るんだ」と思った。
姿は見えないけれど、どうやら居るっぽい存在。
私はそれまで幽霊を信じていなかったのだが、特に否定もしていなかったので、~未知との遭遇~という感じだった。
幽霊の行動に驚いたり困ったりはしたものの、命に支障は無かったので、怖いとはあまり思わなかった。
「今どのへんにいるんだろ」「脱衣所で裸を見られてたら何か嫌だな」とかそんなことを思いながら過ごしていた。
ある日の昼間、1人で布団で寝ていたら、金縛りが起きた。
金縛り自体は子供の頃から慣れていて、それ自体はどうでもよかったのだが、その日は違った。
横向きで寝ていたので、後ろから男性の声で「死ねよ お前」と歌うように耳元で繰り返された。
金縛り中に何か聞こえたりするのは初めてだったので、凄く驚いたのと同時に凄く怖くなった。
そして、両方の乳首を同時につままれた。
「何で?」と思った。金縛りは解けた。声も聞こえなくなった。部屋中見渡したが、誰も居なかった。
その後幽霊の気配は特に感じなくなり、暫くして私は仕事の関係で家を出た。
あの金縛り以降も私は相変わらず霊感は無く、金縛りが起きても変なこともなく、普通に生活している。
私はしばしば死について考えるのだが、死んだら生物的にはそこで終わりなので、死後の世界も幽霊も何も無いだろうと考える。
もし幽霊としてこの世に残されたら凄く嫌だし、死んだ意味も分からないし、元居た家や部屋に訳もなく居座ることはしないだろうなと思う。
仮に殺したい人がいたとしても、武器を持てるのかも分からない。
だから、幽霊になってもきっと人は殺せないし、せいぜい乳首を触るくらいなんだろう。
そう解釈してから、これまで苦手だったホラー作品もなんとなくいけるようになってきた。
2年前、京都の有名な縁切り神社で、私を職場でいじめてきた人のことを念じながら御札を貼ったが、そいつはその後も特に反省せず、とりあえず減給されただけで今も元気に生きている。
今年、都内で最強と紹介されていた神社に初詣へ行き、家内安全の御札を頂いて飾っているが、翌月に鬱が重症化して首を吊って入院した。
双極性障害という病名になり、今もまあ苦しい日々を送っている。
「呪」も「祝」も紙一重。
どちらも思い込みとこじつけ次第。
結局人を殺せるのは生きている人だけ。
怖いのは人だけで、それ以外は人ほど怖いことはない。
勘違いや思い込みに惑わされず、物事の本質を見て生きていきたいですね。
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