私は適応障害、鬱病、双極性障害になりました。 それぞれで発症した事を書き留めます。 周りで体の不調を訴える人がいた際の目安にでもなれば幸いです。 適応障害 体が動かない 仕事道具を見られない 人と話すのが怖い 目を見て話せない 顔を見るのが怖い 見られるのが怖い 無気力 食欲の低下 発症直後は何も食べられない 憂鬱 不安 恐怖 数ヶ月間、ストレスの原因から遠ざかり休養することで社会復帰が出来ました。 鬱病 適応障害の項目全て 声が出ない 起き上がれ
はじめにこの記事はエンジニアをはじめとした全ての労働者が対象です。 仕事方法や環境が改善され、私のように精神疾患で苦しむ人を少しでも減らしたい思いで書いています。 前提大前提として、全ての人間は等しくないということを理解してください。 価値観、能力、経験、経歴、育った環境etc..全てが同じ人間はいません。 この事は知っていても理解している人は少ないです。 まずこの事を理解することから始めてください。 私について95年生まれの女。既婚。 元フリーランスのITエンジニア。
小学四年生。東京都に引っ越してきた。 場所は見慣れた土地だった。 祖母の家が近く、度々訪れていたのと、家の購入に際して私も同行していた。 小さい頃よく、近くのデパートの1番上の階のレストランで、ぶっかけ蕎麦を食べた。 私はそれが好きだった。特別な体験。 祖母の家では大好きだったイクラを大量に食べ、帰りの社中で嘔吐し逆に苦手になった。 そんな東京での思い出を返しながら、これからの東京での人生に思いを馳せた。 私は特段不安は無かった。 祖母の家も近いので、会いやすくなっ
パートナーと口論になり、目的地へ行く前に引き返した。 私はすごく責められて、パートナーは相変わらず自分の非を無視して謝罪せず、またこうなんだ、と思い、でもパートナーのお金で生かして貰っているから何も言えずに黙って泣いた。 今回試みたのは、ビル7界からの転落と、OD。 ビルの階段を1段ずつ登って行く時、これが天国への階段なんだなと思った。 7階まで辿り着いた。持ってきた小さい台を置いて、そこから下を覗いてみた。 正直恐かった。落ちたら確実に死ぬだろうと思った。 何かやるべきこ
匿名のため嘘なのではないかというお言葉を複数いただいた為、noteにも掲載します。 ▼Cygamesで体験したブラック労働を綴る 申し訳ありませんが、面識の無い方々にも個人情報を晒すことは憚られる為、本アカウントの名前は偽名となっております。 「匿名だから信じられない」という方には納得のいかない形かもしれませんが、少しでも自分に近しいアカウントからの発信に切り替えました。 また、本件内容については作品の情報や特定の実装について等機密情報は記載しておりません。 あくまで内
そもそもオタクは偉くない。 アイドルはパフォーマー、つまりパフォーマンスを売っている仕事人。 オタクの恋人ではないし乞食でもない。 オタクはアイドルのパフォーマンスを見るためにそれに見合ったお金を支払っている。つまり対等な関係である。 映画館でチケットを買うのと同じ。 ポップコーンを食べたかったら売店で買うのと同じ。 厳密に言うとアイドルは「パフォーマンス+個性」を売っているので、小売店の店員さんと違って同じ物を売っている訳ではない。 なのでそのオリジナリティに対して敬
幽霊の存在を信じるか否かは個人によるが、 信じる方の人は、幽霊のせいならどんな事でも許せるのだろうか? そりゃあ程度によるだろう、とも思うが、じゃあどんな事まで許されるのか? 殺人事件も自分の身内なら怒るかもしれない。 しかし他人事なら許せるのか? そもそも私は幽霊は居ないと思っている。 心霊体験はしたが、特に見える訳でもないし証拠も無いので、思い込みといえばそうな気もする。 童謡の「お化けなんてないさ」の歌詞通りの解釈である。 でも、実際に「見える」と言う人も居るので
人の命というのは永遠ではありません どんな形で終わるのか誰にも分かりません 私はそれでも自ら終わらせようと思います パートナーとの生活は私の想像を絶するほどに私を苦しめました 精神疾患になり食を失い貯金もなく、今は1人で生きていくことはできないです 家を出ることはできません 私は助かりません 私が私の命を終わらせることが唯一の救いとなるでしょう 今までたくさんのことがありました 喜怒哀楽様々のある色とりどりの人生でした 父のDV母の癇癪やさしい姉怖い姉 父は私に暴力はしま
さきほど放送されていた「家ついて行っていいですか?」を見ての感想など。 番組スタッフに声を掛けられた怪談師が、大量の呪物をコレクションしているとのことで、呪物とされるアイテムがいくつか紹介されていた。 その中のひとつに、「もう営業していない資料館で1つだけ埃を被っていなかった人形」があった。 …それは呪物なのだろうか? むしろ何らかの縁起物になりそうだが…。 受け取り方次第で、どんな物でも「呪」にも「祝」にもなる。 私は霊感が無いので、呪物を見ても何も思わないが、
当時のアレコレは以下の記事を参照。 現状 それから1週間が経過した。 先に現状を書くが、体力以外はかなり回復してきている。 特に何をしていたか記憶に無いほど、8割は寝て過ごしていた。 入院して点滴を打ちながら安静にする、というのは心身の回復にかなり有効である。 半年前に鬱が重くなった時は自宅療養だったが、まともに会話が出来るようになるまで1週間以上かかった。 今回は2日間だけの入院でも、退院時にはポツポツと話せるようになっていた。 今では声量は少し小さいものの、会話も
誰かの何かになるか分からないけど、記録。 何があったか 3日前、公園で首ブラリしていたところを発見され救急搬送。 【乖離性昏迷】と診断され2日間入院。 私のあらすじ 強い希死念慮を初めて持ったのは18歳の誕生日。 けれど当時の私はどうすれば安楽死出来るのか分からなかった。 痛くて苦しいのは嫌だった。 「あと5年でやりたい事をやり、お金を稼いで東尋坊へ行こう。」 そう決意してその晩は眠った。 5年後には現在のパートナーと出会っており、仕事も順調で希死念慮は極めて薄く、