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読んだ本 2024年2月号 8冊

人文書を2冊、技術書を3冊、ビジネス書を3冊読んだ。


一般意味論

★★★★★

この書はとくに三つの点で人間の人間らしさに作用する科学観について述べている。その第一は<コミュニケーション>である。この研究には意味論という用具を用いる。第二は<認識>orientationで、これは形而上学で扱う主題である。...。第三点は<価値>で、伝統的には倫理学の領域である。

空軍の大佐であり数学者でもあるラポポートが、コーズィブスキーの提唱する一般意味論に則り、意見の相違による衝突の問題などを評価の過程、価値判断、抽象作用等々によって日常的な言葉を通じて解明していく。

本書は22のセクションから構成されていて、それぞれのセクションがテーマを持っている。冒頭では具体例を提示することに注力していたり、会話形式で議論を展開したりなど、全体を通して読みやすいように工夫されている。

「公然たる闘争」(たとえばなぐり合いとか射ち合いとか迫害)が断言にとって代わるとき、同意に達する機会はほとんどなくなる。したがって「討論」が続いているかぎり、同意の機会はあると考えてよい。

1 意見が合わないとき何が起こるか

ラポポートは子供のおもちゃを取り合う会話や意見の食い違いが起こる日常的なシーンを例に挙げて、抗争は断言に基づくのだという主張をする。従って断言についての知識を持つべきだろう、というように論理が展開されていく。

二つのことが抗争の解決を困難にする。
一、話し手についての断定を事物についての断定と見誤ること。
二、「正しく」ありたいという欲求が、同意への欲求より強いこと。
「平和政策」や「主義」を論じている指導者は、玩具を取り合ってわめいている子どもに似ている。彼らは自分自身についての主義を物についての断定と誤り、「勝利」こそが最高の大事と思い違いをしている。

2 何について断言するか

そしてシンボルへの反応に議論が移る。直接的な経験や象徴的な経験によるシンボルについて、どういう権威に依ってシンボルを信じるかを論じる。話は経験と言語の双方向の翻訳の解明に進み、ある言葉がどういう意味をもつのかなどを具体例を通じて解明していく。

もし経験が言語によって伝達されるとすならば、次に言語は、意味をもつ「あるもの」の運び手でなければならない。その<あるもの>にわれわれは意味と名づける。

6 言語

そして抽象による分類から描かれるシンボルの構造を地図になぞらえ、経験を以下のように表現する。

われわれは自分の経験を地図に描き、次にその地図を研究する。ときどきその地図に心を奪われ、地図の象徴的性質を忘れ、地図を経験そのもののように受けとる。...<われわれの地図はどれだけ正しいか。>

9 分類・学習・象徴化

このあとは歴史的な意味論の展開を含め、より込み入った議論が展開されていく。

本書は総じて、ラポポートの人の認識や判断に対する洞察に驚かされる内容で、とてもおもしろかった。

意味論の運動は、談話が人間以外の星や川や蝶のようなものではなくて人間によって創り出される何かであるという認識に基づいている。

16 非アリストテレス体系(続)

2/4

遊びと人間

★★★★★

本書は一九五九年に出版された。これはシラーの預言者的直感とJ・ホイジンガのみごとな分析『ホモ・ルーデンス』のあとを受けつぐものである。

日本語への序文

本書でカイヨワは遊びについての有名な4つの区分、アゴン(試合、競技)、アレア(さいころ、賭け)、ミミクリ(真似、模倣、擬態)、イリンクス(渦巻)を提案する。

全体で二部構成になっており、第一部では遊びの4分類について、第二部ではそれぞれの分類の可能な組み合わせについて主に論じる。

アゴン、アレア、ミミクリ、イリンクスはそれぞれを詳しく記述されていくが、とても示唆に富んだ内容になっている。例えば、アゴン(試合)と正反対にあるアレア(賭け)についての説明は以下のようである。

ここでは、相手に勝つよりも運命に勝つことの方がはるかに問題なのだ。言いかえれば、運命こそ勝利を作り出す唯一の存在であり、相手のある場合には、勝者は敗者より運に恵まれていただけということだ。...アゴンとは反対に、アレアは勤勉、忍耐、器用、資格を否定する。それは専門的能力、規則性、訓練を排除する。

第一部 二 分類

遊園地のアトラクションなどにあるイリンクス(眩暈)についてもおもしろい記述をしている。

快楽というべきであろう。このような熱狂を気晴らしと名づけるのはためらわれる。それは娯楽よりも痙攣に近いものだ。

第一部 二 分類

遊びの社会性についての章では、遊びの活動が個人的なものに終わらずに集団的な交流と喜びの表現媒体となる場合について書かれていて、共感できる。

一般に、遊びをしていて本当に満ち足りた気持ちを味わうのは、その遊びが周囲の人たちをまきこむ反響を生んだ時だけである。...遊びには、共感をこめて注目してくれる慣習の存在が必要なのだ。いかなる範疇の遊びも、この法則の例外をなさないようだ。

第一部 三 遊びの社会性

さらに、遊びが持つ特性が日常生活をまじりあったとき、遊びが堕落するという表現を使い、以下の問題提起をする。

遊びは次のような活動ー(1)自由な、(2)隔離された、(3)未確定な、(4)非生産的な、(5)規則のある、(6)虚構の活動ーであることを明らかにした。...日常生活の散漫でいいかげんな法則と、遊びの観念的な規則とを分離する厳密な仕切りがもしもぼやけてきた場合、遊びはいったいどうなるのか。

第一部 四 遊びの堕落

遊びの各特性についての堕落が述べられるが、例えばミミクリの堕落に関する表現は以下のように興味深い。

模擬がもはや模擬と見なされなくなるとき、仮想人物が自分の演じている役、仮想服、仮面を本物と思い込むとき、それは起こる。彼は自分が扮するこの他者をもはや演じてはいない。彼は自分が他者であると信じ、それに従って行動し、本当の自分を忘れる。表面だけでなく奥深いところで自分が自分でなくなる。この自己喪失は、他人の個性を借りる楽しみを、遊びの範囲内に抑えられない者に対する罰なのである。これはまさに疎外ともいうべきものだ。

第一部 四 遊びの堕落

また、第一部の最後では、ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』を引用して、自身の目的を明らかにしている。これは第二部の全体に渡ってより詳細に議論されていく。

私は単に遊びの社会学を考えているのではない。遊びを出発点とする社会学の基礎づけを考えているのである。

第一部 五 遊びを出発点とする社会学のために

第二部の最後では、著者の遊びに対する立場がよく書かれている。

遊び、しかも束縛されない遊びがなければ、また意識的につくられ、自発的に尊重される約束ごとがなければ、文明というものは存在しない。...〔立派な遊戯者〕としてフェアに勝負を行うこと、もしこういうことができず、望みもしなければ、文化というものはありえないのである。結局のところ、一切の倫理、一切の相互信頼、他者の尊重はありえない。

第二部 三 遊びと聖なるもの

2/13

進化的アーキテクチャ

★★★☆☆
本書は「適応度関数」が引用される場合に参考書籍として提示されることが多い。その定義を確認しておこうと本書を手に取ったが、適応度関数の定義も終始曖昧である。

進化的アーキテクチャが適応度関数によって誘導されると我々が言うときには、個別のアーキテクチャ上の選択を個々の適応度関数とシステム全体の適応度関数によって評価して、変化の影響を判断していくことを意味する。...全てのテストが適応度関数というわけではないものの、そのテストがアーキテクチャ上の関心事の完全性を証明するのに役立つ場合には、我々はそれを適応度関数とみなす。

2.1 適応度関数とは

直接的に適応度関数の定義を定める記述はないが、上記の引用によると、テストの中である特定の役割を持つものを適応度関数と呼んでいるように思える。

閾値をもつテストの存在意義は、元から継続的に対象を監視して閾値を超えないように運用をするといったところにあるはずだし、そこに動的平衡などの概念を加えたことによって新しい視点が生じているようには思えない。

既存の概念とソフトウェア開発の概念を組み合わせた結果、2つの概念がうまく組み合わさっていないものは他にもある。

物理学で定義されているように、量子とは相互作用に関与する物理的実体の最小量だ。アーキテクチャ量子とは、高度な機能的凝集を持つ、独立してデプロイ可能なコンポーネントだ。...モノリシックアーキテクチャでは、量子はアプリケーション全体となる。

4.2 アーキテクチャ量子と粒度

物理的実体とは何かという話はあるが、それを抜きにしても「量子」はただのインパクトのあるワードとして使われており、全く違う意味になっている。

本書は、システム全体に寄与して継続的に動作し、事業や市場の状況に応じて追うべき指標が変わったら柔軟に変化に追従するテストの運用についての本として読むべきで、それ以外のセンセーショナルな表現は捨てても差し支えないだろうと感じた。うまく定義されていない概念によって、むしろ他者とシステムについて共通認識を持つ際の妨げになる可能性もある。

とはいえ、単に継続的にシステムの指標となるテストを適応度関数と呼ぶことが便利だからこそ引用も多くされるのだろうし、本書の外に出て具体的なテストの事例を多く集めて、自分が関わるシステムの継続的な成長に役立てることはとても有益だろうと感じた。
2/16

Webアプリケーションアクセシビリティ

★★★★★
Webアプリケーションのアクセシビリティについてかなり広い範囲で知ることができる。コードを提示して具体的な改善例を挙げている点も明確でよい。

また、技術的な内容だけでなく、本書の前半ではWebアクセシビリティへの対応の意義(捉え方)を知ることができる。

社会モデルでは、障害は社会の側にあると考えます。多様なユーザーの状況がある中で、社会や環境が対応できていないがゆえに障害が生じているという考え方です。車椅子ユーザーで考えると、この人が段差を登れないのは段差を生じさせている環境や社会側の問題であると考えるのが社会モデルです。この問題を解決するには、段差に対してカーブカット(段差の一部を斜面にして段差を解消する)を施行することになります。

医学モデルと社会モデル

障害者差別解消法への言及も、「合理的配慮」や「環境の整備」など関連する概念の捉え方が丁寧に説明されていてありがたい。

組織への導入について書いている7章では改善の進め方やワークショップなどに言及している。ルールへの準拠としての間に合わせのWebアクセシビリティへの対応にとどまらず、利用者への配慮や対応するための環境を考えるような場合、以下のような向き合い方が必要なのだと認識した。

活動を継続するには、アクセシビリティを切実に必要とする人と直接に出会う必要があります。個人的には、これまでのどのアプローチより優先すべき行動だと感じます。

7.7 アクセシビリティを必要とする人に会う

2/20

メール技術の教科書

★★★★☆
メールの送信に使用される SMTP や POP などのプロトコルについて、メールサーバーを構築する際の DNS 設定についてなどを分かりやすく知ることができる。

また、Google のメール送信者のガイドラインにも書かれている SPF、DKIM、DMARC といった認証方式の概要や DNS サーバーへの登録方法なども知ることができる。

本書の終盤は説明が足早だったり、メールサーバーの振る舞いについて実際に動くものを試しながら検証をするハードりが高いことで技術的な実感を持つのが難しいことがあったりするが、日常で最近のメール送受信の事情に触れる機会はなかなかないと思うので、より深く調べるきっかけにもなるかもしれない。
2/25

世界トップ投資家の共通言語

★★★★★
投資家が使用する表現や言い回しから、その投資家がなにを重要だと思っているのかが噛み砕いて解説されている。

日常生活では触れない考え方を知るという書籍の題名の通りの学びはもちろんあり、加えてそれぞれの概念はビジネス上の考え方として有用なものだと感じるので、そういった言葉に触れる目的でも本書は役に立つ。

例えば、「モート」は以下のような説明がされている。

ビジネスにおける「モート」とは、中世の城に例えられる概念です。城主が城の周囲に堀を造り、外敵の侵入を防ぐように、企業もまた競合他社が容易に侵入できないような独自の競争優位性や高い参入障壁を築くことで事業を保護します。
...
バフェット氏の言葉を借りれば、ビジネスにおける「モート」は、ただの防御策ではなく、事業を守り育てるための根本的な要素であり、企業の持続的な成功への重要なカギを握ります。

1-7 Your technology is not your moat! / 持続性こそ価値の源泉

他にも肝に銘じますというワードが多くある。

・市場コンセンサスと同じでは勝てない
・日本人ビジネスパーソンは人の時間価値が分かっていない
・単に迎合するだけの人は、ほかの人のモチベーションを低下させるリスクを持ち、害悪であると考えられる
・最も優秀な起業家や投資家は、ルールを知りつつ、それを破るときを知っています

日頃から投資家に質問をされていると思って生活をしていきたい。
2/25

DATA is BOSS

★★★★★
旅行サービスの一休の事業の成長に繋がった意思決定の背景にある、データを重視した経営判断について詳しく書かれている。本書の至るところで結果に繋がったと思われる要素が散りばめられていて、一般的に成り立つだろうと思われる考え方もあり、参考になる。

例えば、データをビジネスに活用する際に3つのステップからなる「見つける」「解く」「役立てる」という型を提示し、複数人で協働する場合のリーダーの役割について以下のように書いている。

この3つを、リーダー不在の「協働型」で乗り切ろうとされているケースが多いように感じます。「協働型」で重要なのは、この一連のプロセスにおいて「リーダーが1人いること」です。

1人が一点突破しなければならない

一休の成長の裏にはデータ分析とその後の判断を効率的に活用するリーダーとなれる人がいたのだろう。

データドリブンというタイトルにも表現されているように、データの活用への姿勢には一貫したものを感じる。

本書を読む方に思い出していただきたいのは、ターゲット顧客を私たちが決めたわけではない、ということです。

戦略の再定義ー誰に最も喜ばれているのか?

一定の規模になり全体像がデータ以外では掴みづらくなったサービスに対しては、データを活用する上で大事な観点なのかもしれない。

「組織内でデータを分析するケイパビリティが不足している」と表現される箇所でも、実際にあったのだろうと思われる課題が提示されている。

データ分析の結果に基づいて意思決定ができない背景には、データサイドとビジネスサイドとの間の連携不足がよく見られます。例えば、データサイドがビジネス上の示唆をビジネスサイドにうまく伝えられない(=データサイドのコミュニケーション力不足)、データサイドが良い提言をしているにもかかわらずビジネスサイドがその重要性や内容を理解できない(=ビジネスサイドのデータ見識の不足)など、双方に課題があることが多いように感じます。

データドリブンが機能していない3つのケース

組織(データ分析とビジネス間)を跨いだ場合に、協働型チームにおけるリーダーシップに相当する力が存在しなかった結果なのではないかと想像したし、課題感には共感できる。

穴あきバケツで例えられることが多い流入ユーザーと流出ユーザーの図解を栓が抜けたお風呂の湯量で例えていて、旅行サービスらしさが出ていてよかった。
2/25

日本語の作文技術

★★★★★
本書は9つの章から構成されていて、第七章までは文章をわかりにくくしている要素について説明している。

第七章までは以下のようなタイトルになっている。

第一章 なぜ作文の「技術」か
第二章 修飾する側とされる側
第三章 修飾の順序
第四章 句読点のうちかた
第五章 漢字とカナと心理
第六章 助詞の使い方
第七章 段落

各章は命名から想像できる通りの内容になっていて、具体例を交えながらの説明があり、大抵の分かりづらい例は共感できる。

第七章までは著者の批判的精神はたまに感じる程度だったが、第八章からは著者が無神経と感じる文章について感情を顕にして例を挙げて解説をしている。むしろここからが本番といってもいいだろう。

第八章の冒頭では、新聞の投書欄に書かれた文章を例に挙げて以下のような感想を一言目に提示している。

一言でいうと、これはヘドの出そうな文章の一例といえよう。...なぜか。あまりにも紋切型の表現で充満しているからである。手垢のついた、いやみったらしい表現。こまかく分析してみよう。

第八章 無神経な文章

他にも、書き手がおもしろい文章だと思っていることが明に表れているような例を挙げて、落語家の演技と比較をしたりして批判をしている。

美しい景色は決して「美しい」とは叫んでいないのだ。その風景を筆者が美しいと感じた素材そのものを、読者もまた追体験できるように再現するのでなければならない。

第八章 無神経な文章

第九章「リズムと文体」では、著者は高度な文章論と言いつつとくに多くの具体例を挙げて解説をしていて、文章のリズムが乱れることを「血が出る」という表現で書いている。

名文で知られるジャーナリストの文章を例にして、リズムを乱したらどんなに「血が出る」のかを見てみよう。

第九章 リズムと文体

本書は日本語の文章を書く際の tips を知るための情報源としてはもちろん役に立つが、文章に対する感受性がとても強いであろう著者の抑えきれない感情からくる色々な文章への批判は、著者の感情の追体験をするだけの表現力をもっていて、二重に楽しめる内容となっている。
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