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『世界ふしぎ発見!』終了

とうとう終わってしまいます。1986年から38年もの間、TBSで放映されてきた大好きなテレビ番組。夢見がちな私にとって、遠くの知らない世界に毎週末連れて行ってくれる足長おじさんのような存在でした。

放送開始当時、私は小学生でした。仲良くしてくれるお友達がいなかったわけではありません。愛情だって両親にたくさん注いでもらったのです。でも、人より早熟だったためか、日常がひどくつまらないと感じ、自我と向き合うような鬱屈したところがありました。自分からお友達を遊びに誘えない引っ込み思案も結局治りませんでした。いじめられたとしても仕方がなかったかもしれません。ところが、学校生活は不思議と悪くなかったのです。極寒の中、半袖半ズボンで走らされたり、食べるのが遅くて、掃除の時間が始まっても給食を独り端っこで食べたこと以外は。

思えば、それは社会科の先生のおかげでした。六年生のときの担任J先生が見事なイラスト付きで黒板を埋めていく授業に私はすぐに惹き込まれました。掃除の時間に誰かが絞り忘れた雑巾を見つけて怒鳴り散らす姿も記憶にありますが、私にはいつも優しくてカッコいい先生でした。中学校に入ったときの担任もF先生という社会化の先生でした。シャイだけれど一生懸命教えてくれる姿が印象的でした。振り返ると、F先生は吃音の持ち主だったと思います。私が歴史好きなのを可愛がってくれて、授業のたびに「あ、あ、明日の『世界ふしぎ発見!』は、ど、ど、どの国やったっけ?」と関西弁で私に問い掛けてくれました。ずっと後になって、養護学校に転勤したと耳にしました。先生ご自身の希望だったようです。

高校時代の世界史のノート
古文書のようにすっかり色褪せましたが、宝物として部屋に置いてあります

そして、地元の県立高校に進んだ頃、私は授業の好き嫌いが極端になっていきました。世界史担当のN先生のせいです。夏休みになるとどこか遠くにヒュっと出掛ける自由人で、とにかく話が上手でした。「ちょうどその頃、ギリシャでは・・・」と言いながら、彼女は小柄な体を目一杯広げて、黒板にわっと地中海の地図を描いていきます。それが実に見事で、マラッカ海峡もスカンジナビア半島も、黄河もアマゾンも、緯度も経度も、年表も、ぜんぶ彼女の頭に入っているようでした。いよいよ大学受験が近づくころ、私はすっかり数学と生物についていけなくなりました。かつて、愛知県は管理教育が支配的な風土で、高校生活はちっとも楽しくありませんでした。「N先生の世界史だけでいい」。それが高校に通う唯一の原動力だったのです。この頃、TBS系列では『世界ふしぎ発見!』に加えて、『世界ウルルン滞在記』(1995年〜2007年)と『世界遺産』(1996年〜現在)が矢継ぎ早に始まりました。どこかに飛んで行きたいという欲求はますます高じ、私は時間的にも空間的にも日常とかけ離れた古代エジプトにすでに取り憑かれていました。そういえば、アムラーブームもあって当時の女子高生はちょっと狂っていたようにも思います。集団トランス状態で私はヒエログリフの本を買い求めて学習を始めたのかもしれません。そして、古代オリエント学を受講できる筑波大学に進学しました。私たちが四年後、「就職氷河期世代」として苦しむなんて誰も教えてくれませんでした。

筑波大学附属図書館が所蔵するシャンポリオン著『ヒエログリフの体系概要』第二版(1828年)
この出版によってヒエログリフの解読と研究が進みました。こんな古い洋書が残る図書館は国内では大変珍しいです

世界中を飛びまわるミステリーハンターにはなれなくても、「いつかこの目でピラミッドを見てみたい」。エジプトでずっと発掘を続けていた吉村作治さんの出演も番組に華を添えていたと思います。私は根暗な気質をようやく受け入れ、チームワークが求められる考古学ではなく、独りでも進められる文献学を志すようになりました。それでも、啓蒙者としての吉村さんの貢献は多大で、強く影響を受けたと思います。また、黒柳徹子さんや坂東英二さんは冴えた回答やコメントで大いに沸かせてくれました。当時、山咲千里さんや松原千明さんなど、妙に色っぽい女優さんがたくさん出演していたのも覚えています。

ギザにあるクフ王(右)とカフラー王(左)のピラミッド(紀元前26世紀)
左端にスフィンクスも見えます。初めてエジプトを訪れたのは大学入学の四年後でした

あれからたくさん時間が過ぎて、番組開始当初から出演を続けるのは司会の草野仁さん、黒柳徹子さん、野々村真さんの三人だけになりました。大好きだった吉村さんもミステリーハンターの竹内海南江さんもいつしか見かけなくなってしまいました。ようやくエジプト学の博士号をとったというのに、番組は終わってしまいます。つまらないと断じていた地元に帰ってきたというのに、お友達は他所に移ってしまいました。タイミングがいつもチグハグで要領が悪いです。

幸い、私に愛情を注いでくれた両親は健在です。ふたりに恩返しをしなければいけません。さらに嬉しいことに、高校時代のあのN先生が、地元の生涯学習で今も教鞭をとっていることを最近知りました。先生は私のことを覚えているだろうか。私を救ったことに気づいていただろうか。お顔を拝見しに参じていいだろうか。そんなことを考えていた矢先、大学やら研究所やらでお仕事を掛け持ちすることになりました。英語を教えたり、県内のイスラーム教徒の日常を調査したり、そんな予定です。エジプト学は求められていません。世界でも日本でも需要はほとんどないのが現状です。それに、随分前から何か遠くを求めなくなりました。退化でしょうか、進歩でしょうか。少なくとも、自分は求められるままに生きていくのが性に合っているようです。

さみしい

壮大な番組を支えてきたテレビ番組のスタッフ、演者、スポンサーの日立の皆さんは、私のようなポンコツを生み出したことなど気づきもしないでしょう。でも、番組が存在する今のうちに感謝を伝えなければ。3月30日(土)が最終回です。ありがとうございました。

(おわり)

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