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日ソ戦争から79年目

長崎に原爆が投下された日すなわち昭和20(1945)年8月9日の未明、つまり原爆投下の直前、スターリンのソ連大軍団が満洲に文字通り怒涛の如く侵攻した。
引き続き、日本でその後「終戦の日」となった8月15日を挟み、北朝鮮、南樺太、さらに千島列島(北千島、中千島だけでなく、択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島)にまで侵攻する。ソ連は9月5日まで戦争を一方的に継続し、南樺太以下の全日本領を占領する。
甚大な犠牲を蒙りながらも、アメリカの全面的支援に支えられて、ヒトラーのドイツを打倒した独ソ戦終了から僅か3ヶ月。
我々のイメージとは違い、周到、細心、冷徹なスターリンは(比較的新しい本では、アイルランドの研究者ジェフリー・ロバーツの『スターリンの図書室』を見よ。因みに、プーチンも大の勉強家だ。二人とも、物語戦―narrative warfare―にも、死ぬ程頭を使っているのだ。お目出たい日本人を騙すことなど、朝飯前だ。あくまで反語的に言うわけだが、スターリンやプーチン並みにお勉強した上で、それでも騙されたいなら、それは自分の勝手だが、ただの感想レベルで物語戦にコロッと行くような輩は、せめて黙っていてもらいたいものだ)、ヤルタ密約以前からの連合国からの対日本戦参戦の打診を後ろ盾に、最後の最後までスターリンを信じたお人好しで間抜けな日本当局を手玉に取りつつ、着々と日本侵攻の計画を練り、独ソ戦終了後にはシベリア鉄道で西から東へ戦車、武器、弾薬、食糧、兵士の巨大移動を秘密裡に進めた。

そして、侵攻のタイミングを見計らい、アメリカが二発目の原爆を落とす直前に、スターリンは日本攻撃の命令を下した。
もし日本が降伏してしまえば、喉から手が出る程欲しい、南樺太も千島列島も北海道も、強奪出来なくなる可能性があるからである。
諸説あるが、日本は原爆だけでは降伏しなかっただろう、ソ連侵攻が日本降伏に決定的な影響を与えた、という説(長谷川毅、麻田雅文等)を私は支持する。(こうなると、第二次世界大戦終了への、原爆の影響もより限定的になるので、アメリカはこの説を支持したくはないだろう。)


(長谷川の『暗闘』。)

(以下は、本記事の筆者による、上掲書の短い書評。)

(以下は、麻田雅文による近著。)

スターリンは、8月15日の天皇の終戦演説、9月2日のミズーリ号上での降伏文書への署名後も、戦争をやめようとはしなかった。結局、9月5日、所謂北方四島中の、実質、北海道本土根室管内の歯舞諸島の完全占領に至り、ようやく戦争行為を停止した。(本記事冒頭の写真のように、根室市には、歯舞という地域がある。)
北海道占領作戦はスターリンによって実際に発動され、ワシレフスキーによって遂行されつつあり、日本分割占領案も実際に練られていたが(そうなっていたら、北海道のみならず東北地方を含む東日本が、ソ連の占領地になっていた可能性が高い)、これらは、二発の原爆投下命令を下した当時のアメリカ大統領トルーマンによって、強硬に阻止された。
ヤルタ密約以前から、チャーチルと共に、スターリンに対し、日本侵攻戦への参戦をしつこく求め続けていたローズヴェルトが生きていたら、どうなっていたか分からない。(ローズヴェルトもチャーチルも、またスターリンも、千島列島全体と所謂「北方四島」の区別が付いていなかったと思われることもあり、作戦命令の行き違いもあったとはいえ、千島列島占領は最終的に北方四島占領にまで、拡大されてしまった。)
(プーチンは最近、アメリカが原爆を落としたことはけしからん、ソ連だったら開発済みだったとしても落としていなかったろう、アメリカは残酷だ、といったことを言っているらしいが、そもそも原爆による死者よりも日ソ戦争及びその後のシベリア抑留による死者の方が遥かに多いのだ。大馬鹿者が、どの口開けて言ってるのか、ということだろう。こんな程度の物語戦にも騙されてしまう者がいるらしいが、くれぐれも、プーチンの物語(ナラティブ)戦には乗らないようにしたい。)

ソ連の満洲侵攻の恐怖については比較的知られているが(実際は、あまり知られいないか)、南樺太や千島列島、北方四島の戦争については、人口に膾炙していない。(本格的な研究自体、最近ようやく始まったばかりらしく、あのマスコミも、特に最近はほぼ全く報じないので、殆どの一般の日本人が知らない、と考えた方が良いか。)

驚愕する程に、共産主義への、あるいは共産主義的なものへのシンパシーを持つ輩を大量に飼っている、日本のマスコミやアカデミズムのマイナスの力が、この戦争の正当な物語化を阻止する大きな力になって来たことは、間違いない。
全く驚くべきことに今でも、残虐な、テロリストの元締めを、優しいお婆さんのように物語化して、そこら中引っ張り出してるような、そんなクズがマスコミなどにはウヨウヨしている。
かつての第三世界解放闘争、世界共産革命の類の妄想は、今ハマス-イスラエル戦争などでまたぞろ点火され、反ユダヤ、反米、反アングロサクソン、といった方向に横滑りしている。
この路線が論理的に辿り着く地点が何処なのかを冷静に考えるべきだ。
原爆には強い光を当てアメリカを徹底的に批判するなら、同様のことを日ソ戦争とソ連、ロシアにもするべきなのだ。(それにしても、何十年間同じことを繰り返しているのかと、呆れる。)
それが仮にアメリカにとっても不都合なのだとしても、反米的心情からは、寧ろ好都合なはずだ。(勿論、彼らにできるはずはないのは、分かっているが。)
(私の記憶では、20世紀の間は、少なくとも今よりも、所謂「北方領土問題」やシベリア抑留などについて、テレビなどでも放送されていたように思う。
印象では、20世紀の終わり頃から、特に21世紀になってから、特に特に、安倍晋三が、既にプーチンのロシアがクリミア半島やドンバスを不法占領し、つまり第一次ロシア・ウクライナ戦争が始まって以降、プーチンと仲良くするようになって、ソ連・ロシア批判を伴うこれらの歴史的事件への言及が、激しく減少して行ったように思う。従って、上述の共産主義云々という言い方は、狭い意味では当たっていないかも知れない。
しかしながら、例えばフランス現代(20世紀)思想等との関連の下に、広義の左翼的思想の影響力が増大して行ったのは、21世紀になってからである。
この辺りの事情と、マスコミにおける、北方領土問題や、日ソ戦争問題、シベリア抑留問題等に関する熱のなさは、絡み合っているように思う。
上記はしかし、今後検討すべき問題だ。)

話を戻すと、スターリンによって、多数の日本人、多くは民間人が殺された(麻田雅文『日ソ戦争』中公新書、2024.によれば、この戦争による日本側死者数は正確には不明だが、軍人が3万人を確実に超え、民間人は約24万5千人だと言う。さらに後述のシベリア抑留による犠牲者が加わる。因みに、ソ連側死傷者の正確な数も不明だが、4万人近くにのぼると考えられると言う。ソ連側に民間人の犠牲者はない。)
民間人より先に逃走した軍人(関東軍)も多かったが(特に満洲では、関東軍の軍人とその家族、関係者が、先に撤退した)、特に南樺太では、降伏命令と自衛戦闘という、矛盾する2つの命令が下される支離滅裂な状況の中で、民間人避難のために決死の戦いを挑み、死んで行った軍人も多かった。殊に千島列島の最北端占守島での戦闘は、最終的には武装解除命令が出て負けたとはいえ、日ソ戦争で唯一、日本側が優勢を保った戦いだった。何冊かの書物で読むことの出来る人々の逃避行は、まさにこの世の地獄である。多くの人々が、撃たれ、強姦され、船を沈没させられて、殺され、また疲れと絶望の果てに死に、また自殺した。家族ごとの、あるいは職場での、集団自決も多く発生した。
戦後、その種の事件を、単純な軍国主義日本批判の中に、犠牲者諸共一括するような議論が一般化したが、そんな単純なストーリーで解釈出来るようなものではない。
大岡昇平も大作『レイテ戦記』の中で、戦場で必死に戦った一般兵士を、あたかも軍国主義日本に騙された無知蒙昧な輩のように扱う類の言説を、批判している。


スターリンはさらに、周知のように、国際協定を完全に無視し、六十万人近くの日本人捕虜(民間人も含まれる)を、シベリアから北極圏、さらにはウクライナやベラルーシに及ぶ、多数の強制収容所に強制連行し、極端に劣悪な環境下での奴隷労働を強い、その約一割をソ連国内で死に追いやった。無事帰国出来た人でも、心身共に疲弊し、早死にした人も多かったのではないか。
これは、ソ連国内の人々と共に、ドイツ人その他の外国人をも苦しめた強制収容所システムに、日本人をも組み込んだというもので、世界共同での研究が必要な問題である。
また日本人捕虜に共産主義の洗脳活動を行い、一部の日本人は、共産主義者に変貌して帰国した。
様々なシベリア抑留の記録の中に、強制収容所での、共産主義の洗脳教育や、吊るし上げ集会、スターリン礼賛などのことが出て来る。


いろいろ本も読んでいるので、それらの紹介や、それに基づく考察などは、追々紹介して行きたい。

ところで、8月における日本のマスコミの恒例行事は、6日、8日、15日と来て、そこで終わる。しかし実際は、戦争は終わっていなかった。
南樺太でも、8月15日以降、停戦交渉にソ連側陣地に向かった軍人や民間人が、多く射殺されている。白旗を掲げた人々をも、ソ連軍は、平気で多数射殺した。しかし、日本人一般は、これらの事実を、断片的にしか、知らない。(何故なのか、マスコミによって、学校によって、知らされていない。)
考えてみれば、良かれ悪しかれ、9月はじめまで第二次世界大戦が続いたことを認識しているのは、寧ろロシア人の方だろう。(ウクライナ人も、かなり前から、北方領土の日を意識している。)

麻田雅文によれば、日本では、日ソ戦争の研究自体が遅れていて、実はその正式名称さえまだないとのことだ。従って、国家的な慰霊行事のようなものもない。遺骨の回収すら行われていない。
上述したような共産主義やソ連を巡る戦後社会の状況も、そのことに影響を与えていたのではないかと思う。(しかし、長谷川毅や富田武の他、若手の麻田雅文などが、研究を進め、優れた成果を発表している。)

(以下は、上記二冊目の本の、本記事筆者による部分的書評。)


しかしながら、マスコミや学校における、熱のない態度は変わらない。多分だが、日本のマスコミやアカデミーのかなり多くの人々が、性懲りも無くまだロシアを信じているのではないか。
上述のように、日本には、敗戦まで、あるいはソ連が北方に侵攻して来た以降でさえ、ソ連を信じ続けた勢力がおり、この勢力の愚鈍さ、間抜けさは、日本の敗戦処理に、大きな悪影響を与えたのだ。当時のロシア大使が、どんなにロシアは日本に戦争を仕掛ける、と訴えても、この勢力―エリート達―は、その種の声に真摯に耳を傾けることはなかった。
ロシアだけではない。そこと境を接するいくつもの大陸系国家をも、どうも信じていそうで怖い。桑原桑原。(今でも、日本のある種の官僚・大学エリートは、イランを信じ、お隣の国を信じ、北朝鮮も信じ???、中東テロ組織を信じている???)
そんな風にでも考えないと、この熱のなさは、どうにも解釈出来ない。

日ソ戦争開戦前、独ソ戦でこの世の地獄を見た大方のロシア人は、もう戦争は懲り懲りだった。そこでスターリンが採用した物語戦は、日露戦争の復讐、というキャッチコピーによって、ロシア人の愛国心にもう一度火をつけることだった。
そんな物語戦に正面から対峙するのは良くないことだと今時の日本人の大部分は思うだろうし、事実それで良いのだが、しかしスターリンという極度に意思強固な政治家に我々は負けたのだという、この事実はもっと徹底的に認識するべきだ。少なくとも、これまでのような熱のなさは、払拭するべきだ。
問題は、どうも日本人が、日ソ戦争や、シベリア抑留や、「北方領土」問題の元凶(源流)が、スターリンにあり、現在プーチンが引き継いでいる、北方領土問題のロシアの物語(戦)の原型は、スターリンによって作られたものだという事実を、全く認識していないことのようだ。
また、今では、北方領土問題についても、日ソ戦争についても、シベリア抑留についても、全く語る能力も意欲も持たないマスコミに頼るのもそろそろ終わりにすべきだ。
そもそもマスコミなど最早信用ならないのは、マスコミ人以外の万人が知る事実だが、今は昔とは違う。新しい方法がやがてマスコミ的方法を駆逐して行くだろう。
ロシアに不法占領され続けている、北方四島、千島列島、南樺太を奪還する道は遠いが、その改めての、第一歩は、敵の実体を冷静に知るということである。デカルト並のゼロからのスタートが必要だ。










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