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根室・納沙布岬に北方領土を見に行く小さな旅(2023年9月。写真中心。その2―納沙布岬、北方館・望郷の家(一日目)―)
根室の納沙布岬への一日目の小さな旅は、あいにく天候に恵まれず3.7キロ向こうの貝殻島灯台が僅かに見えただけで、他の島々をはっきりと見ることは出来なかったが、岬の脇に広がる公園で数多くの記念碑やオブジェを見、反対側の先端に立つ灯台の下に立ち、あるいはオホーツク海と太平洋を一つの視界に同時に眺望することが出来た。その後、北方館・望郷の家と北方領土資料館を見学したので、それぞれを紹介する。(このその2では北方館の部分まで。北方領土資料館はその3で紹介する。)
まず北方館は、四島のかけ橋などのモニュメントの建つ公園の端、納沙布岬の碑の建つ先端部分のすぐ背後の建物である。
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北方館の左隣に望郷の家があるが、これらの建物はつながっており、内部も分かれていない。
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つまり、一つの建物の向って右側が北方館、同じく左側が望郷の家となっている。
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望郷の家の建設の趣旨が簡潔に書かれていた。
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北方館に入ると、受付でこんな「北方領土視察証明書」を貰うことが出来た(これも見学も無料)。「北海道根室市ノサップ岬から北方領土を視察したことを証明します」と書いてある。視察証明書のデザインは何種類かあって、好きなものを選べる。なぜ根室市のマスコットキャラクターが「ねむろう」なのかは、謎です(調べてないので)。
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北方館は一階と二階に分かれていて、主な展示は二階にあるが、両方の階を結ぶ曲線の長い階段の壁にも数多くのパネルが掛かっていて、想像以上に充実した展示であった。
一階受付付近には、いろいろなポスターが貼ってあり、また置いてあった。
冬期にはパノラマクルーズもある。
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今年も北方領土に関する全国スピーチコンテストが行われているらしい。
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動画コンテストもある。
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北方領土への墓参等に利用されていた船エトピリカは、ロシア・ウクライナ戦争勃発以降北方領土へ行けなくなったが、今年は船の一般公開のイベントが行われた。
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北方館のパンフレットも勿論置いてある。表紙の写真には、納沙布岬と歯舞群島の一部が写っている。納沙布岬の真向かいの水晶のように見える島美しい形の島は水晶島である。
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「富山県北方領土資料室」のパンフレットも置いてあったが、富山県から北方領土に渡った人が多かったためらしい。
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よく内容の練られた様々なパンフレット類があり、これらを一通り勉強することで、基礎知識はしっかり得られる。
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中学生向けの資料もあったが、納沙布岬からの「距離感」・「地理感」が分かりやすい。
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外務省による分厚い資料がある。これはあちこちに置いてあり、北竜町の郷土資料館でも目にした。
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この冊子には、江戸時代以来現在までの北方領土の歴史と状況、北方領土問題と外交交渉、返還要求運動等の話題が45ページ以上にわたって詳細に記載されているだけでなく、70種類以上の資料が掲載されている。(上の写真は「資料編」の方の表紙。逆の表紙をめくると千島列島や南樺太を含む地図があり、その後に上記文章の目次、写真、本文が続く。)
さて、北方館に収蔵・展示されている資料類は膨大で、そのすべてを記録することはとても無理だったので、断片的に紹介するに留めざるを得ない。
一階から二階への階段の壁には、北方領土の島々の古地図を見ることが出来る。まず、歯舞群島と色丹島を中心とした地図である。
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次は、国後島の詳細な古地図である。
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択捉島の詳細な古地図もある。
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岐阜県の中学生からのメッセージが貼ってあった。
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それには「祈りの火」というタイトルがあるが、これは前に紹介した巨大オブジェ「四島のかけ橋」の灯火のことを意味している。
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これらの解説がされていた。岐阜県特別事業の中で実施されたイベントの一環とのことである。
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「歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島からなる北方領土は、歴史的にも国際的な取り決めからみても、日本固有の領土です。」と、「北方領土とは何か」を、極めて簡明に示す説明ポスターがある。
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この基本コンセプトを記すパネルもある。
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藤井昭作氏が撮影した、根室港から見た国後島・爺爺岳の写真。晴れればこんなに大きく近く見えるのか。
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北方領土全島地図が大きく掲げられていた。
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北方館二階の広く大きな窓からは、納沙布岬先端とその向こうの北方領土方面を一望することが出来る。この時肉眼で貝殻島灯台が見えたので撮影したのだが、写真にははっきり写っていない。(窓から見える風景については、本稿その3で紹介することにする。)
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こちらの太い柱には、ノサップ海域を警戒するロシア艦船の写真が掲げられていた。ロシア・ウクライナ戦争勃発後にどうなっているのか知らないが、一隻ずつ撮ったで載せておく。
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まず一隻目。
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二隻目。
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三隻目。
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四隻目。
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写真の撮り方がおかしくなったが、
五隻目。
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これもおかしくなったが、六隻目。
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最後の七隻目。
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北方館二階の真ん中辺には、北海道東部から千島列島全域にかけての地理の大きな立体模型があり、その全貌を一枚の写真に収めることは出来なかったので、行く機会があったら是非現物を見て下さい(細部は見えないが、一応下のような写真は撮って見た)。
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部分は、こんな感じです。幾つか断片的に示す。まず、窓(北方領土)を背にして、北海道東部から北方領土がある。
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択捉島へと進む。
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境界線を越えて得撫島から千島列島の方へ進む。
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千島列島の小さい島々が続く。
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千島列島の最北端占守島からロシア・カムチャッカ半島に至る。
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参考になる説明の文章やデータを所々で見ることが出来る。
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その歴史は、地理との重ね合わせとして真に理解可能となる。
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ロシアによる不法占領以前のデータである。
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北方領土の大きさを他の都道府県と比較するパネルもあった。北方領土が結構大きいことが具体的に分かる。
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同じく、水産漁獲高のデータである。
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因みに、現在の根室ではこんな水産物が獲れる。
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北方領土の気温のデータもあった。寒いことは寒いが、北海道東部よりも寒い、といったことは寧ろない、という話を今回何処かで聞いた。
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終戦時における林業関連のデータもある。
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これらを見たり写真を撮っていた時、窓の外を見ると再び貝殻島灯台が幽かに見えたので、据え付けの望遠鏡を通して撮影したのが下の写真であるが、中央付近に確かに写っている。
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北方領土に関するビデオがあるが、非常に分量が多くすべてを聞くことは出来なかった。ポスターやパネルも数が多くすべてを紹介し切れないので、一部分だけ見た順番に紹介する。
以下の三枚のパネルは、北方領土の歴史的経緯をまとめている。
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江戸時代末期から明治時代に至る三つの条約の経緯が示される。
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日ソ戦争と北方領土問題の発生、それに対する日本側領土であることの歴史的根拠と国際法上根拠をまとめた資料である。
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北方領土返還の運動や事業に関するの経緯や現状についてのパネルも多数ある。幾つか紹介する。ロシアによるウクライナ不法侵攻をきっかけに行われなくなった相互交流の模様を示す何枚かのパネルである。
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返還要求運動の概要が記されている。
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これまでも紹介したが、青少年を対象とした弁論大会等が開かれている。
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前に紹介したように、墓参りは最も大きな事業であったが、今は中断されている。
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今回私が北方領土のことを調べる切っ掛けとなったのは、この強調月間であった。
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かつての島の様子や人々の暮らしが島ごとに簡潔にまとめられたパネルもある。
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択捉島の点寧という町の光景が記録されている。
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その近くにはこんな展示もあった。
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国後島の幾つかの村の様子である。
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国後島の自然を示す記録である。
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色丹島の町の風景等。
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歯舞群島のかつての町や人々の様子、自然の記録も残る。
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歯舞群島のかつての姿が詳しく説明されている。
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晴れた日の納沙布岬灯台からの歯舞群島方面の美しい写真もあった。
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もう一枚、北方領土全図を。
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かつての根室町長安藤石典の詳しい解説があった。安藤のマッカーサーへの働きかけが、北方領土返還要求運動のきっかけとなったことが書かれている。
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マッカーサーへの「第一号陳情書」が展示されていた。
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「北方領土」を巡る歴史は根室の文化遺産となっている。
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別のポスター。
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写真も多数展示されているが、そのうちの何枚かを紹介する。
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択捉島の雄大な自然やかつての小学校跡の写真。
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納沙布岬から最も近い人の住む島、水晶島にも日本人の墓が取り残されている。
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日本人の墓
以上のように、北方館と望郷の家には限れた時間ではとても回り切れない資料があるが、さらに、特に興味深いのは様々な古文書の展示で会った。こんな風に、二階展示室の外に向かって最も左側の方に、ガラスケースに入った資料が展示されている。向かって左の柱の写真が、先に紹介したロシア艦船である。すぐ前に山吹色の座席が並んでいるが、左側の大きなスクリーンでビデオ映像が流れている。また、ずっと奥突き当り右側には、小さなテレビがあり、別のビデオ映像を視聴することが出来る。この写真では見えないが、左側が外に向かった広い窓であり、望遠鏡が複数並んでいる。
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年代順に幾つか紹介する。
下は、新井白石の『蝦夷志』の写本である。
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桂川国瑞の『北槎聞略』の写本である。
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下は、最上徳内による『蝦夷草紙』の写本である。
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同じ最上徳内は、『魯斉亞国記聞』も著している(写本)。
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近藤重蔵の『辺要分界図考』の写本である。
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下は羽太正養による『休明光記』の写本である。
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国後‐択捉航路を開拓した高田屋嘉兵衛の手紙や記録も保管されている。
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間宮林蔵のエトロフ島地図(『エトロフ島大概地図』)の写本もある。
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地図の一部を示す。
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下は松前藩奉行による文書の写本である。
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下は、前田夏蔭による『蝦夷東西考証』の写本である。
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以上のような古文書の他、諸条約に関わる文書の写しも展示されている。
下は、安政元年(1855年)に締結された日露通行条約の文面である。
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次は、1875年の樺太千島交換条約の中身の一部を示す。
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以上に紹介したのは、北方館及び望郷の家に保管・展示されている資料類の一部であり、今回の小さな旅の短い時間では、すべてを丁寧に見ることは出来なかった。しかし持ち帰った記録を整理して勉強すれば、かなり多くの知識を得られそうである。
この日は、引き続き北方領土資料館を見学したが、それは次のその3で紹介する。
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