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妄想と現実を繋げると「ゆたかさ」になる。

妄想している時間は有意義な時間か?無駄な時間か?

答えは当然人それぞれだが、直感的には「無駄な時間」だと答える人が多いと思う。なぜなら、その時間は何も生み出さない、非生産的な時間だから。僕も以前はそう思っていた。特に、勉強や部活、恋愛と、やるべきことが盛りだくさんな学生時代は、ふと妄想に耽っている自分に気づいて「こんなことしている場合じゃない!」と気合を入れ直していた。
それでは、次の質問はどう思うだろうか。

妄想している時間は楽しい時間か?退屈な時間か?

おそらくほとんどの人が、「楽しい時間」と答えると思う。それはそうだろう。わざわざ人生の貴重な時間を使って、自分の脳内で好き勝手に作り上げた物語に没頭するのだ。楽しくなければそんなことするはずがない。つまり、「妄想している時間=楽しいけれど無駄な時間」というのが多くの人の見解だろう。

毎日どれだけ妄想していられるか?

おそらく、僕は周りの人よりも妄想に費やした時間が少しだけ多い気がする。ピークは、高校生のとき。
無駄な時間だと知りつつも、気づけば東京大学に合格してドヤ顔で大はしゃぎする自分を妄想していた。
地区大会を勝ち抜き、全国大会の舞台でテニスボールを追う自分を妄想していた。
大好きな女の子とお洒落なレストランで食事をし、帰り道でキスをする自分を妄想していた。
妄想で1~2時間トリップすることなど日常茶飯事だった。

ただ、妄想には残酷な事実がつきまとう。ほとんどの妄想は妄想のままで終わってしまうということだ。
この妄想の世界は、いわば自分が望む世界だ。本当に望むのなら、妄想世界を目指して現実世界でも努力すればいい。
でも実際には、妄想は妄想のまま人生は過ぎる。運とかタイミングとか才能とか色々な要因があるとは思うけれど、僕の場合、「妄想世界までどうやって行けばいいのかわからない」ことが一番の理由だった。
成績を伸ばす勉強法を知らなかったし、
テニスが上達する見込みもなかったし、
好きな女の子を食事に誘うこともできなかった。
妄想世界への行き方がわからないから、最高のシーンだけを何度も繰り返し妄想し続ける。そのシーンがどれだけ鮮明でも、それは映画の宣伝のように切り取られたワンシーンで、そこに至るプロセスは不明。そのシーンが現実に近づいてくることはなく、結局それに費やした時間はまさに「楽しいけれど無駄な時間」になってしまっていた。

しかしあるとき、妄想には「とっておきの入口」があることを見つけた。
その「とっておきの入口」は、「現実世界での第一歩」だった。

僕の大学受験の話だ。東京大学合格を妄想し続け、そろそろ受験勉強を始めないとまずいという時期に、僕はある漫画に出会った。「ドラゴン桜」という漫画だ。その漫画には、東京大学合格のための道しるべが懇切丁寧に描かれているではないか。その漫画を読んで、自分は東大合格までの「第一歩」を英単語から始めるべきだと知った。
すると、その「第一歩」から妄想の世界までの「道のり」がイメージできた。
英単語を覚えて、長文が読めるようになって、まず英語が得意になって、他の科目にも力が入ってきて・・・といった具合だ。
その「道のり」のイメージが正しいかは重要じゃない。
重要なのは、そのイメージの先は妄想でも、入口は現実で、そのふたつの世界が繋がることだ。
その繋がった「道のり」を繰り返し思い描いていると、季節の境目が曖昧なように、イメージのどこまでが現実でどこからが妄想か段々とわからなくなった。
そして気づけば、妄想の世界を信じて、現実に頑張っている自分がいた。
妄想は目標に変わっていた。

ちなみに、受験は不合格だった。
「道のり」のイメージがちょっと楽観的過ぎたのかもしれない。
しかし、なんのそのこれしき。
「道のり」が間違っていたら、修正すればいい。ゴールは変わらない。僕の妄想の世界は誰にも消せやしない。
後期受験で入学した大学で4年間一生懸命勉強し、とうとう東大の大学院に進学した。
妄想からおよそ5年後、実際の「道のり」は当初のイメージと違ったけれど、ついに妄想の世界は現実の世界になった。

「現実世界での第一歩」が見つかれば、妄想は現実と繋がる。その繋がった世界を妄想すると、ワクワクしてたまらなくなる。その「第一歩」を早く踏み切りたくてウズウズしてくる。妄想の世界に早く行きたいから、その「道のり」でさえも、めちゃめちゃ前のめりで走りたくなる。
ワクワクを抱いて夢中で走っているその時間は、「楽しいけれど無駄な時間」なんかじゃない。「楽しくてゆたかな時間」だ。
妄想と現実を繋げて走ることは、「ゆたかさ」そのものだ。

もちろん、いつでも「第一歩」が見つかるわけじゃない。見つからなければ、現実世界と繋げることはできない。
テニスは結局大して上達せずに地区大会1回戦で敗退した(結構まじめに練習したのに)。
大好きな女の子とはご飯は食べたけどその先は何もなかった。
これらは、妄想のまま過ぎ去ってしまった妄想だ。

だからこそ、「現実世界での第一歩」を見つけられた妄想は本当に貴重だ。
「ゆたかさ」を思いっきり味わわないといけない。

昔に比べて今は、情報を得るのも発信するのも、とてもスムーズだ。
きっと、「第一歩」が見つけやすくなっているはずだ。
そしてそれだけ「ゆたかさ」の大切さが強くなっているはずだ。

僕は今、このnoteに「わかるわかる~」と共感してくれる人がハートを付けてくれて、その人と繋がって、友達が増えることを妄想している。
その世界に行くための「第一歩」は、このnoteを投稿することだ。
まだ知らない、でももうすぐ知り合える新しい友人のことを考えながらnoteを書く今、心底「ゆたかさ」を満喫している。
自分の妄想力も、まんざら捨てたもんじゃない。

#ゆたかさって何だろう







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