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3時間書き殴った

僕にはなんにもないから
どういう人ですと言えない
だから、自己紹介ができない
違うな
僕にはなんにもないから
どういう人ですと言えない
だから、って多分というかもちろん
僕には色々あったら
どういう人か言える
肩書きは付いてくるもの
付けるものじゃないって
結構集約してた気がする
色んな本読むけど
これはあの時思っていた
取り組んでいたってよくあるのよ
でも学生だから出来たとか
色々言い訳してたんだよ
やりたいことなどないとか
確かにないけど、
例えばご飯食べたいくらいの
やりたいことは毎日あるわけで
学生の時だって
動機は勘違いだったけど、
それでもやりたいと思ったことに
素直でいようってそれはあって、
友達がいないことを逆手に取って
周りからの視線は近しい人ほど感じるし
妄想するわけで、
それがないんだからやっちゃえってことで
飛び込んだわけじゃん。
そこでの経験は毎日授業受けて、バイト行って、サークル行って、って申し訳ないけど、大学生の生活を想像したときに一般に考えられるような日々だったら、絶対得られなかったことだと思う。
よくわかんないけど、それは絶対だと言い切れるんだよ。
多分それが信じるってことなのかなと。
根拠のあることばかり信じていたら、みんな同じになっちゃうよ。
自分の中でしか成立しないものを信じることを信念と呼ぶのかもしれない。
と飛躍的に考えすぎかな。
とにかく、その4年間は良くも悪くも社会に出てから諸々作用してきたと思ってた。
でも、良くも悪くもと内包しているところに、中途半端さがあるって気付く。そんな経験を持ちながら、それを生かせなかった自分を見つめずに。
場面場面で周りのせいにするのは簡単、それはわかっていたけど、じゃあ自分のせいだとするのはもっと簡単。
それは喧嘩でいうところの物別れ。
謝ればいいんだろ、謝れば。
それに通ずるところだ。
悪いところしか目に映らない。
無いものばかりが目に映る。
自分にあるものはなんだと屈強な魚人が問うてきても、今の自分では涙を流しながら指を折ることもできない。
目標に向かって取り組むときに自分にはないものを補うためにはどうしたらいい?
それは頼ることだ。自分には出来ないからと認めることだ。十数年前から麦わらの青年は訴えているじゃないか。
けれど、頼ることは恥だ。手を煩わせる。
教えを請うことは負けだ。最終手段だ。
それは限界がない。
自分が悪いんだ全部と思い続けていると、向上心がわからなくなる。
自分は周りの期待に応えたいだけだ、自分の目標なんか邪魔だ。周りのために頑張っているんだから、自分のためになんか1ミリも考えちゃいけない。相手の立場に立って考えるなら自分は二の次だと。
もし得られるものがあったとしても、それは成し遂げ、振り返ったときに気づくことだ。
だから目の前のことだけやればいいんだと。
向上心?成長できる環境?
馬鹿馬鹿しい。
なんでそんな上から目線なんだよ。
成長するために頑張るのは違うだろ。
頑張る環境は与えられたものだ。
成長を促されているような環境は
使えねーと烙印押されたも同然なんだよ。
与えられたものなら俺のもんじゃない。
それは誰かからのお下がりだ。
成長なんてこと考えている時点で
自分は出来ない奴だと認めている証拠じゃねーか。
よくもそんなこも言えるよなと。
向上心を持つことは犯罪級だった。当時の自分。なにがなんでも一人でやってやろうと思っていた。恥かきたくないし、失敗したって、自分のせいに出来る。全部自分の中で完結する。そうすりゃ周りに迷惑もかけない。
こんなこと本気で思ってました。
だから自分の道を示せと言われた就職活動は苦しみでしかなかった。5年後10年後のこと?夢?
そんなもの考えたこともないし、今を繰り返してむしろ5年前10年前はあんなんだったけど、ここまで来たってことじゃないかって、問われても答えられない。分からない。先のことなんてわからないよ。そうすると見事に会社にとって従順な人間ですと、自己犠牲の精神で色んなことに取り組んできましたと自分にも相手にも嘘をつく。やりたいことはありがちなことを並べる。5年後10年後も同じだ。そもそもなんで応募したかなんて、興味がある程度だ。そもそも応募経緯は失礼極まりないんだ。確固たるものなんかない。それから、入ってもいない会社で業界のことをベラベラ自慢げに話し、いかにも勉強してきました研究してきましたなんて、そこで働く人に対しての侮辱行為に映った。学生身分が簡単に語れるほど甘くねーよって、むしろ要約してくれるなよ、お前が要約できる程度の仕事しかしてないみたいじゃねーかと腹が立つ。そんなことばかり考えていました。
当然、就職活動はうまくいかない。ギリギリで地元のメーカーに営業職で採用されたけど、地元ってだけで卒業間際で周りが決まっている焦燥感に耐えられなくなって、片っ端から応募して、1番選考が早く進んだからってそれだけ。
入社して3ヶ月もしないうちに、新人でいることに嫌気が差して辞めた。やりたいと思う仕事でもなかったし、やりたい仕事やってる人なんていないよとかどうでもいい。思ってもいないことを御機嫌取るために口にすることにとてつもない嫌悪感があった。競合他社にない強みが薄いのも分かる、会社が社長一族のワンマンで黒なのに白と言われれば白と言わなきゃいけない会社なのもわかる。じゃあ、現場の営業力にかかっているねってのもわかる。じゃあ口八丁手八丁なのもわかる。でもみんな口八丁だった。中身がない。契約取れればいいんだって。必要のないものを売る自分は必要なのかと。
必要だと感じられない。頑張っていけるのはいくら取り組み方に欠陥があって、自分よがりで、自己中心的で、考え方が屁理屈でも、それが必要だと信じてこれたからだと思う。自分がどうにかしなきゃと信じていたからだと。
でも、目の前のことは必要か。自分にとっても周りにとっても。必要だと思わせるのが営業だと上司に言われたけど、必要だと思っていないのにあなたにこれは必要ですと訴えるのか?困っていることや要望を聞き出して、うちならこれができます、こういう商品がありますとそれが営業だというけど、すいません。自分は聞き出したところで、うちの商品を紹介したくないです。他にもっと良い商品ありますから。相手の立場になって考えるのなら、うちではないでしょう。そして、それは往々にして当てはまりますと。商品力に自信がないなんて言えば聞こえがいい。つまり相応しくないのです。自分がこの会社に在籍していることが。相応しくないと自分のせいにして、逃げ出しました3ヶ月で。

ここから逃げ続けるのです。逃げ続けるので割愛します、この先は。

自分は今もなお。
なんにもないのです。
いや上記の歴史があるだけです。
なんにもなくはない。
要点をかいつまむこともできずに
こうしてだらだらと書き殴っています。
就職活動に悩んでいる人を救済しようなどと思ってはいません。
こんな人が就職活動に取り組んでいます。
不採用通知が来るたびに
周囲に壁を感じ始め、その壁はあるいは友人をあるいは採用されたであろう人、あるいは家族さえも乗せ、どんどん高くなります。自分の足元はどんどん沼のようにハマっていく。見上げることしかできないのかなどとそんな感情に陥ります。
もし1つこんな自分が言えるとするなら、それは自分だけじゃないと思うことです。そして僕みたいなやつだっていて、酷い言い方ですが、自分よりよっぽど沼にハマっているやつがいる。自分が生きていて、1位になることは滅多にないけど、数え切れないほど就職活動に取り組んでいる人がいて、自分が最も下までハマっていることなんてあり得ないだろうと。そうするとせり上がった壁と壁の間に隙間があって、そこに誰かしらが映るのです。それは試験会場です。自分以外にもうまくいっていない人がいると知るには、採用試験に赴くことです。よっぽどのことがない限り、自分1人だけ挑戦なんてことはないでしょう。そうじゃないかもしれませんけど、自分1人だけなら内定者以外のその他大勢になる見込低くなる。そう考えてはどうですか?。まだ決まってない人がいるんだ、自分だけじゃないんだと。
自分だけと思うのが1番苦しいです。いくら自分のせいだと思っても、自分だけ苦しい思いをしていると考えなかったのは、苦しい思いをしているのは自分だけじゃないとか、境遇とか取り組んでることとは全く別のことを考えて、むしろこの苦しい思いをしたくてもできない人がいるんだとか思っていました。
だから、これ書いてる自分みたいになりたくないなんて、思ってもらえたら良いなと思います。

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