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私の幼少期

こんばんは。こうすけです。


今日は、私の過去を振り返ってみよう第一段!ということで、小学生までの幼少期について振り返っていきたいと思います。

(すいません。完全に自己満です。笑)



上の写真は幼少期の私と兄なのですが、どっちが私だかわかりますか?

正解は、左が私で右が一個上の兄です。


私は、2番目として千葉県成田市に生まれました。

成田空港のすぐ近くで生まれた私は、飛行機を見て、飛行機の音を聞いて育ちました。

飛行機好きには最高の環境だと思います。


小さい時に好きだったのは、太鼓とお母さん


まず、私は完全に母親っ子です。常に母にくっついていたそうです。

「お母さんが行くなら行く」とよく言っていて、お母さんは本当にかわいかったと言っていました。

小学生1年生の時の授業で、宝物を発表する時間があったのですが、親子参観のその授業で「私の宝物はお母さんです」と言った程です。

何てできた子どもなんだ!笑


太鼓は、お父さんが祭りで太鼓を叩いている姿がかっこよくて、いつも家で兄と一緒に叩いていました。

成田山で太鼓祭りというのも1年に1回開催しているのですが、それに行くのが楽しみでした。

またお父さんは当時大工さんだったため、将来の夢は大工さんでした。


小さい頃は泣き虫で、よく泣いていたのも覚えています。

初めて幼稚園に行くときも大泣きしていましたし、病院で注射するときは泣きわめいていたそうで、両親はそれがおもしろかったらしいです。笑


幼稚園では、先生が大好きでした。

休み時間には、いつも先生のおしりにしがみついて先生にくっついて歩き回ったり、先生がピアノを弾いている時は先生の膝の上に載ったりしていました。

その頃から、かなり甘え上手だったみたいですね。笑


初恋を経験したのも幼稚園です。

名前は忘れてしまいましたが、同じクラスだった女の子が好きになり、移動教室に行く時に手を繋いで歩いたときはうれしかったのを覚えています。笑

夜お母さんに「その子のこと好きなの?」と言われた時には、めっちゃ恥ずかしくて、小さいながらにがんばって隠そうとしていました。

その子とどうなったのかは覚えていません。たぶん何もなかったと思います。

しかし、ここから私の恋多き人生は始まっていたことを考えると興味深いですね~笑


恥ずかしがり屋で、人見知りの男の子だった幼少期時代。

昔の私を考えたら、ここまで社交的になったのは信じられないとお母さんは言います。


こんな幼少期の私は、どのような小学校時代を過ごして成長したのでしょうか。

私の小学校時代は、あるものが少なすぎるということが特徴であり、自慢の学校でした。

ヒントは、空港が近くにあることが原因です。

ぜひ、次回の過去を振り返るシリーズも楽しみにしていてください!



今日も最後まで読んでくれてありがとう。じゃあ、またね。


こうすけ



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