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北里大学東洋医学資料展示室(東京都港区・白金高輪駅)

北里大学の構内には北里柴三郎記念室の他にもう一つ、医学の研究に欠かせない貴重な資料展示室がある。北里大学東洋医学総合研究所のあるアネックス棟の2階にあるのが、西洋医学とはまた別の東洋医学に絞った医学資料を紹介している東洋医学資料展示室である。

現在まで脈々と継がれている漢方という伝統医学。中国三千年、日本千五百年にわたる歴史の中で多くの経験と知識が膨大な文献として残されている。こちらの研究所ではそれらの資料を見極めて本質を明らかにして医療の発展に期することを目的とし、またその長い歴史の中で発展や衰退、さらに復興から現在へ至る経緯を文献やパネルを用いて展示している。

コンパクトな部屋ながら資料が豊富で浸れる

入口の前には漢方の生薬として使用されていた草木や鳥獣などが展示されている。漢方薬局とかに行くとなんとなく見たことのある木の根っぽいものだったり、現在はなかなか入手できないだろう生物の標本(角や骨なんかもある)、鉱石といったものまで、あらゆるものが研究されてきたことがわかる。効能を知るまでに数えきれないほどの経験があったことだろう。

標本が山ほどある

医薬の学祖と呼ばれる黄帝の『黄帝内経』、医薬の神である神農の世界最古となる薬物学書『神農本草経』、後漢に活躍した医聖の張仲景による薬物治方書『張仲景方』といった三大古典の紹介を皮切りに、国内で研究された『医心方』や中世最大の医学全書『頓医抄』『万安方』、また日本医学の中興の祖として知られる曲直瀬道三による『薬種性味功能直伝』といった薬物の薬能を解説した本などが紹介されている他、当時に使用されていた医療機器や鍼灸のツボの解説人形、絵巻物などが惜しげもなく展示されている。複製だけでなく現品もあったりする。

ややグロテスクなツボの解説人形

江戸時代には山脇東洋や吉益東洞による中国医学を生かした古方派、後期には多紀元簡や渋江抽斎による日本独自の考証学派や華岡青洲らの折衷派などが鎬を削ったが、明治に入り西洋医学の流入により衰退してしまうことになる。しかしその後も一般の根強い支持を受け続けることで復興し、昭和になってから漢方は再び息を吹き返すことになったのだという。
医療には西洋医学と東洋医学、両方があって成り立つものであるということがよくわかる。西洋医学を中心とした北里柴三郎の名を冠した大学の中に東洋医学の研究所があるというのもその証左かもしれない。トイレはウォシュレット式。

西洋と東洋の融合があって今の医学がある

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