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紀尾井ホール:柳亭小痴楽独演会


7/16 ※落語会感想雑記・今回も、落語にあまりお詳しくない方にも伝わるように書けてたらいいなと思いつつ書きました。できてるかどうかはわからぬんぬん。

「紀尾井らくご」夜の部:柳亭小痴楽(りゅうてい・こちらく)師匠独演会
推しのお一人、小痴楽師匠の独演会に行ってまいりまして。

ほんとはその日のうちに感想記録を残したかったのですけれど、なんだかね、あんまり楽しくって大興奮して帰ってきたら電池切れしてそのまま寝てしまい、ずるずると今日になってしまいました。


なんだってあんなに完璧に「好きな噺家」でいてくださるのでしょうか。

僕の好きな噺家さん、理想の噺家像のようなものがあったとして。それをぎゅぎゅっと煮詰めると、多分当代の柳亭小痴楽師匠になるんですよね。それくらいどこを切っても過不足なく好き。天才だあ…としみじみ感じ入った今回。

ちなみに紀尾井ホール初でした。好きな感じだったー。

開口一番は、柳亭楽ぼう(りゅうてい・らくぼう)さんの「幇間腹(たいこばら)」。※幇間(ほうかん。たいこ、とも呼ぶ、少なくはなりましたが、現代でも存在する男性芸人の職業です)

飽き性で道楽者の若旦那が、新しい趣味として「鍼医」を目指すものの、ろくに学ばずに、いきなり人に鍼を刺す人体実験をしようと、幇間の一八に目をつけて…という噺(よい子はマネしちゃだめ、絶対)。

楽ぼうさんは、小痴楽師匠の弟弟子にあたられ、もうすぐ二つ目昇進が決まってらっしゃいます。何度か拝見していますが、達者な方でとても好きです。するっとなんなく高座をこなされて、品の良い余裕があるイメージなんですよね。これから昇進されたら一層ご活躍されるんだろうなと思っています。


小痴楽師匠は、一席目が「岸柳島(がんりゅうじま)」。仲入り(なかいり:休憩)挟んで、「写真の仇討ち(しゃしんのあだうち)」「明烏(あけがらす)」と、二席されてお開きになりました。

四四田は、小痴楽師匠の廓話(くるわばなし:吉原などのいわゆる「遊郭」が舞台で花魁(おいらん)が登場人物になるようなネタ)がとにっかく大好きなので、「明烏」が聴けて大満足。

「写真の仇討ち」は、惚れた女に騙されたと嘆く男が、本人から渡されていた件の女性の写真に刃物を突き立て自分の手を切ってしまった…というお話。新橋の芸者が相手の噺なので、廓話とも違うのですが、少し雰囲気は地続きな感じ。

通常、落語はネタを話す前に、まくら(前振りのおしゃべりだと思ってください)を話すわけですが、小痴楽師匠は「写真の仇討ち」を「(明烏の)まくら代わりに」と、「写真の仇討ち」から「明烏」の間には、まくらが一切はいりませんでした。続けて話すネタの世界観が似通っているからこそだと思いますが、それがまた、かっこよかったな。

聴いてるこちらもお初ではなく。どれも、小痴楽師匠で既に聴いたことがあるんですけど、もう全部好きな噺でして。(まあ、小痴楽師匠がかける高座、なにがかかったところで全部好き、ではあるんですけど、「特に好き」ってわけです)

落語って、あの座布団一枚でこしらえた「高座」から出ずに(まれになんらかの演出的意図をもって飛び出すタイプの噺家さんもいらっしゃいますけれど)、物語を言葉と身体で紡ぐ演芸なわけですが。

その「座布団一枚から出ない」ことが、物語の世界が広がっていく足をひっぱるかというと、ひっぱらないんですよね。あの座布団の上は、時空も常識も捨てられる治外法権。何もかもを超越する空間なわけです。

いかにも日本らしいなと思います。小さな寺の、目が届く範囲の石庭で、宇宙真理を描いてみたりする、極限までそぎ落としたミクロに、広大無辺なマクロを託すのが上手い文化を持っている人間達が考えたエンタメ。

そんな落語ですが、まあじゃあその理想形が実現可能かというと、実際問題あの座布団一枚の範疇で、どこまでやるのか。

もちろん「話芸」なので、落語を「話す、しゃべる」。それができていれば全く何の問題もなく成立するし、その演技の精度、出来具合だけで評価する面は十分ではあると思うのです。

けれど、時たま、座布団一枚のテリトリーを超えて、その場ごとどっかに連れ出してしまうような天才がいる。小痴楽師匠も間違いなく、そんな天才の一人だなと思うわけです。

小痴楽師匠は所作が縦横無尽。本当に高座から降りていないのか?と不思議に思うほどの迫力で、それでいてそれらの動きにとにかくキレがあって、洗練されていて、大好きなんですよね。

岸柳島のあらすじは、ざっと説明すると、「渡し舟の中で横暴な振る舞いをしていた若侍に、年嵩のちょっとゴツめのお侍が決闘を申し込む。決闘しようと近くの岸辺についたところで、若侍だけ置き去りにして舟を出してしまい…」という。

この、若侍が狭い舟の中で、町人に無体を働くのですけれど…。

殴る側と殴られる側の所作に見るリアルなキレ。それでいて美しいのが小痴楽師匠の高座の特徴だと思ってるんですね。だから、喧嘩の描写や乱暴をする・される描写のあるネタが見られると、すごく得をした気分。

基本的には高座から飛び出せないことと、狭い渡し舟の中のやり取りであることのマッチング。岸柳島というネタ自体の出来の良さにも、改めて思い至って。古典の奥深さに感心はしつつ、そもそも演る人間の力こそが、その奥深さを観客の眼前に引きずり出してくれるのだなと。様々なタイミングが合わないと手に入らない幸せなめぐりあわせにひたすら感謝するばかりです。

岸柳島をたっぷり味わっているところで仲入りに入ってもらえたのもよかったです。

仲入り挟んでの二席目は、そんなわけで「写真の仇討ち」だったのですが。ここで話されたまくら、すすき野のバニーガールの話がまた、いい話だったんだー。そこから写真の仇討ち、明烏へとつながっていく流れが完璧すぎて思い出すとうるっとします。

すすき野のバニーガールのまくらが聞きたい人は、小痴楽師匠の会に行ってみましょう。いつか、どこかでまた、話してくれるかもしれないし、二度と話してくれないかもしれないし。

天才の落語はいつだって一期一会です。

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