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きらびやかな御堂 西大寺での経済活動

奈良 平城宮跡の歴史博物館で『女帝の祈り』という特別展が開催中です。

平城宮跡資料館ホームページ (nabunken.go.jp)



西大寺 女帝の御寺


平城京にはたくさんのお寺が建立されましたが、その中でもっとも大きく華麗であった西大寺。

現在その寺領も建物も小さくなってしまって、かつての面影はありません。

しかし、かつての華やぎの一端を知ることができる展覧会です。

西大寺は孝謙天皇(のちに称徳天皇)発願のお寺。

孝謙天皇は、あの大仏さんを作った聖武天皇の娘です。

奈良時代に女帝は何人もいますが、いずれ天皇となるべく立太子して、しかるべき教育を受けて即位したのはこの人だけです。

彼女の教育担当には、あの吉備真備がついたといいますから、まだ少女のうちから、未来の天皇としての道が始まっていたのです。

孝謙天皇の治世には色んな事件が起こります。

その中でも最も大きなもののひとつとして「藤原仲麻呂の乱」があります。

仲麻呂は、孝謙天皇の母である光明皇后に引き立てられ、奈良時代の一時期絶大な権力をふるいました。

自身の娘婿が天皇になったことで、その権力は絶対的なものになったのですが、これが孝謙天皇によってひっくり返されます。

反旗を翻した仲麻呂を討伐するべく立ち上がった孝謙天皇が、勝利を祈願してお作りになったのが四天王。

西大寺はこの四天王を祀るための場所でした。

きらびやかで豪華な伽藍


今は失われた金堂は「薬師」と「弥勒」を安置するダブル金堂!
その屋根の中央には、雲形に乗った獅子が宝珠を掲げ、シビには鳳凰が風鐸を加えて翻ったといいます。

彩色が施された瓦が屋根を飾り、その規模は平城京の寺院の中でトップクラスの大きさでした。

境内の出土品には、イスラム陶器もあり、深いブルー(グリーン?)の欠片が展示してあります。

現在のイラク南部の作品と考えられるそうで、ペルシャ湾にて展開された交易のすえに平城京にやってきたと考えられるそうです。

西大寺が平城京でも群を抜いてスケールが大きかったこと、当時最先端の技術が持ち込まれた場所だったこと、目にもまばゆい芸術で彩られていたことがわかります。

この素晴らしく豪華で、きらびやかな場所を作った女帝。

孝謙天皇という人を直接語る資料はあまりありませんが、発掘された西大寺から女帝の凄さが感じられます。

西大寺の武器? 塩の存在


今回の展示で一番興味深かったのが「製塩土器」の展示です。

古代の塩は、壺の中に海水を入れて煮詰めて作りました。

この塩を作った壺ごと運んできて、さらに境内で加熱していたのかもしれません。

塩を取り出す時に壺を割るので、破片となって出土します。

西大寺から発掘された製塩土器は非常に多く、平城京の発掘調査においても、これだけのものがまとまって発掘した例はないということです。

塩は九州をはじめ、瀬戸内海、大阪湾、和歌山あたりから来ていたようで、平安時代以降には、白浜や赤穂など、塩の生産に適した場所が西大寺や東大寺などが荘園としてもっていたことがわかっています。

西大寺には、塩を大量に供給する「塩センター」があった可能性が考えられる出土品なのです。

塩は人体に欠かせないのはもちろん、醤油やつけものを作るのにも不可欠です。

塩を押さえるということは、経済を押さえることにもつながります。

平城京では、貨幣が発行されものの売り買いが始まっていました。

有力な貴族や大寺院は、自らの才覚によって商売を営んでいたのです。

西大寺にやってきた塩が、単純に僧侶たちの食生活を支えるものだったのか、それとも経済活動の一端を担った商品だったのか。

今はただ破片となった土器の欠片は、何か語ってくれるのでしょうか。










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