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正倉院展!「正倉」ってそもそもなに?

奈良の東大寺に『正倉院』という建物群があります。

現在は宮内庁の管轄になっているのですが、かつては東大寺の持ち物でした。

お寺のには僧侶が住み込みで生活し、ご本尊をお守りし、祈りを捧げることが日々求められます。

住職という言葉も「住んでいる」から住職というのです。

むかーし、知り合いのお寺さんにて。
息子さんが跡を継いだのですが、色々あって「ひとり暮らししたい」「寺には通う」と言ったので「住職って漢字をよく見ろ~」と師匠(お父さん)に怒られてました。

という話を聞いて、なるほどね・・・と思ったものです。

ですので、お寺には僧侶が住んでいました。

東大寺さんのような大きなお寺には「僧坊」という寮のようなものがあって、沢山のお坊さん共同生活をしていたのです。

当然生活費がかかります。

もちろんそれ以外にも、お寺を運営する経費がかかります。

古代においては、国営のお寺も多かったし、東大寺さんも元々は天皇が作ったお寺ですから、国がオカネを出していました。

オカネといっても、当時も貨幣経済があったものの、税金は収穫物などで納められていたので、収穫物が与えられたと考えられます。そういったものを収める場所が倉でした。

でも時代とともに自主運営しないとたちゆかなくなったのです。

お寺の経営を助けてくれたのは「荘園」です。

今でも○○荘という名前の土地が残っていますが、多くはどこかの誰かの荘園だったのです。

荘園で収穫できる農作物・・・
これらが持ち主の収入になりました。

お寺のすぐそばにあるとも限らず、遠いところに荘園を持っていることも多かったようです。

こんな風に、国から、荘園から上がってきた収入の内、米を入れておく倉を「正倉」と言っていました。

「正倉」が沢山集まったエリアを「院」と言います。

正倉院とは、正倉が沢山ある場所を言ったのです。


ですので、寺はもちろん国の施設も正倉院を持っていました。

しかし時代とともに失われていきます。

東大寺の正倉院のみが、正倉院の名をもって残ることになり、「正倉院」といえば東大寺、という風になってしまったのです。

東大寺の正倉院は、聖武天皇の宝物が入っていることで有名ですが、ほかにも東大寺さん自身の持ち物・・・仏具や経典などもあります。

正倉院は東大寺さんが、ふだん使わないものをしまっておく倉庫として、生き残りました。

昔はもっと多くの正倉があったかもしれません。

しかし奈良時代「聖武天皇」という方のゆかりの宝物をしまっておく「正倉」だけは大事に守られて、現在まで残ってくれたのです。

この中身を見ることができるのが、「正倉院展」です。


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