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[失業体験記01]割と無計画に脱サラしてみました

3月で脱サラしよう!
と、思っている方もいると思います。
そういう方に、今のうちに(書いている今日は1月20日)、少しでも役に立つ情報をお届けすべく、失業体験記の執筆を始めます。

体験記全体としては、以下のことを書いていきたいと思っています。
・前職を辞める時の心持ち
・辞める前の手続、準備
・お金の準備
・辞めた後の手続(概説)
・失業保険(ハローワーク)
・健康保険(社保。協会けんぽ)
・健康保険(国保。市役所)
・年金保険(厚生年金。年金機構)
・年金保険(国民年金。市役所)
・住民税(市役所)
・確定申告(税務署)

なお、私は、社労士でも、行政書士でも、税理士でも、司法書士でもありませんので、手続きの記述などは全て個人の経験、感想です。
業として行う、法的根拠に裏付けられた発表文書ではありませんので、ご留意ください。

今回は、初回なので、前職を辞める時の心持ちを書いていきます。

「これ、先に聞きたい」という項目があれば、メッセをください。
優先して書きます。

公務員時代のイメージ(AIにて生成)

(1)充実した公務員生活

某県の県職員として、18年勤務させてもらいました。
全体的に、すごく、楽しかったです。
30歳前後で経済産業省に2年間研修に出してもらって、その後は商工振興、産業振興の部署で仕事をさせてもらいました。
企業さん向け補助制度の創設、国からお金を借りてのビッグプロジェクトの立上、創業支援施設の立上など、大きな仕事もいくつか担当させてもらいました。

なぜかはわからないですけど、嫌な上司とかには、あんまり当たらなかったです(ゼロではないですよ。ちょいちょいは居ました。)。
どこのポストでも、ある程度自由に仕事をさせてもらい、「その恩に報いるために結果を出さねば」というスタンスで取り組んでいました。

私がバリバリに仕事していたピークの20年前頃は、まだ「働き方改革」の前の時代で、遅くまで残業するのが当たり前。「早朝帰り。1時間寝て出勤」とかいう事もありました。
今にして思えば、恐ろしく非効率で体に悪い働き方ですが、あの頃を振り返って、「楽しかったな」と思います。

いや、経産省研修の時だけはマジ辛かったかな。
「早く地元に帰りたい」とは思ってました。

でも、キツかったですが、苦労して作り、運用した制度や施設を中小企業さんや起業家さんが使ってくれて、「ありがとう」と言ってもらえるのは、無上の喜びでした。
商工団体さんなど、支援機関の方々とも、仲良くさせていただき、お仕事もご一緒させていただきました。
中小企業診断士の資格も、30代後半で取らせていただきました。

それで、楽しいまま40歳近くなった頃、「他部署への異動」「管理職への昇進」などの問題が浮上します。
いや、「問題」というか、一般的には「出世コース」というやつなんですけどね。

管理職になると、当たり前ですが、「部下に効率的に動いてもらって組織としてのアウトプットを最大化する」とか、「内部折衝を巧みにこなして事業予算を獲得する」とか、「議会等との関係を大切にして県民への説明責任を果たす」といった、直接企業さんと接する仕事でない仕事がメインになります。
そういうのって、職業人としての私の得意分野では、ないんですよね。
それをうまくやる同僚は、たくさんいる。
私は、中小企業様のお役に立つための仕事は得意でしたが、それ以外は多分苦手だと思いました。

結局、管理職になる前、係長ポストに就く前の40代前半に、県職員を辞め、県の政策実行部隊である産業支援機関(中小企業支援センター)に転職しました。

(2)産業支援機関で4年間勤務

産業支援機関に転職する直前、とある創業支援施設(インキュベーション施設という起業家さんが集う場)の立ち上げを担当させてもらい、そこの施設で仕事をさせてもらっていました。
「夢はあるけどカネと知名度はない」人ばっかり。
そんな人の「ビジネスプラン」を一緒に検討して、日本政策金融公庫さんの創業資金の借入に成功したり、国補助金採択を受けたり、ビジネスプランコンテストで入賞したり、、、
もう、ホントに楽しかったです。キツかったですけど。

その時の経験が、というか「創業支援」というものをやらせてもらった経験全般が、私の生き方を決めたのかもしれません。
いつか自分も、起業という道を進んでみたい。
産業支援機関に転職する前から、そこで定年を迎えるという意識はなく、「キリのよいところで起業しよう」とは考えていました。

転職先では、製造業さんの下請け取引のあっせんをメインに行うセクションに配置していただいたのですが、そこのノルマである「あっせん件数」で結果を残すことは、残念ながらできませんでした。
製造業分野の技術の勉強、各企業さんとの人脈、信頼関係の構築など、40代で転職した自分には足りないスペックだらけで、中小企業さんのお役に立つことができなかったかな、と反省しています。

その分、得意分野で取り返そうと、「ものづくり補助金」「事業再構築補助金」などの国補助金申請サポートを頑張りました。

また、IoT技術の導入促進、遠隔操作ロボット「アバター」などのDX分野の活用促進、参入促進にも積極的に取り組んでいただこうと、事業を作り、実践しました。
そちらはどのくらいお役に立てたかどうかわかりませんが、いくつかの成功事例を残すことができました。

さて、産業支援機関に就職し、最初の年度に事業を提案して、翌年度から3年間実践。
事業の基本サイクルは3年なので、立案を含めると、4年1サイクルです。
1サイクル回し終え、「そろそろ辞めようかな」と思い至りました。
というのは嘘で、事業が4年1サイクルというのは最初から大体分かっていたので、1年目に事業化に成功し、当該事業の実施期間が3年と決まった頃には、既に「いつ辞める」というのが自分の中で決まっていました。
採用3年目の人事面談で、「4年で辞めます」と職場に申し上げました。
そうしないと、次のスタッフの採用プロセス(1年かかります)に入れないからです。

そして、4年を勤め終え、退職させていただきました。

支援機関で仕事してるイメージ(AIにて生成)

(3)脱サラ時の最低限の準備

退職後、即起業するのであれば、取引先(クライアント)を確保しておきたいところです。
起業支援の現場でも、起業家さんに、「必要なのは肩書じゃなく顧客名簿」と申し上げています。
私の場合も、実際、職場に副業の申請を出し、承認をもらっていました。
しかし、半公的な産業支援機関の職員として、「別でコンサルをやって、お金をもらう」とか、「起業するんでよろしく、などと企業さんに声をかけておく」というのは、副業規定に反しますし、自分自身の倫理に照らしても、「ナシ」でした。
よって、退職時点でのクライアント数は、ゼロでした。
ライティングのみ、某受注サイトに登録し、関東圏から仕事をもらいました。
こちらは、いい経験になり、クライアントさんに喜んでいただけたので、力試しにもなりました。

他の準備としては、やはりお金です。
退職後、無職になる期間の想定によって、必要な貯金額は変わります。
私の場合、約1年無収入を想定し、その期間の健康保険、年金保険、住民税など「生きてるだけでかかる経費」を計算しました。
それに加えて家賃、光熱水費、食費などの通常の生活費も想定しておかないといけません。
逆に、入ってくるお金として、退職金が、失業保険が、どのくらいもらえるのかも、計算しておかないといけません。
私のケースでは(妻に所得があるケースですが)、会社を作る資本金を合わせ、250万円貯金しました。

(4)必要だったのは

脱サラに踏み切る際、「一歩を踏み出す動機付け」ってどんなものでしょうね?
「綿密な計画が必要」とか、「強い意志が必要」とか、よく言いますよね。

起業支援家としては、私は、上述したような「想定顧客はいるか」「貯金はあるか」を聞きますし、「何もない」と言ってくる方には、「慎重になった方がいいよ」と申し上げます。
創業計画も、「ある程度作り込んだ方がいいですよ」と申し上げます。

しかし、いざ自分でやってみるとどうか?
・・・・・
計画、そんなに作り込まなかったです。
ついでに言うと、「強い意志」とか、「絶対これをやるんだ!」とかも、特になかったです。
もっと言うと、「絶対起業」とは思ってなかったです(実際就職しました。)。

ただ、起業という生き方を、身近なものとして感じてはいました。
そして、自分が自分であるための生き方は、公務員や団体職員とは違うのかな、という感覚に従い、サラリーマンを辞めることにしました。

自分を生きるのに必要なのは、非常に優れた能力でも、十分に練られた戦略でも、ブレない強い意志でもないと思います。

必要なのはただ一つ。

家族の理解だと思います。

自分の希望に家族を巻き込み、不幸にしてしまうかもしれない。
これ、大きな心のブレーキになりますよね。

私は、妻子と仲良くやっています。
多分、妻子が「すごく我慢してる」という気持ちでは、ないと思います。いやそう信じたい。
「辞めようと思う」「いいよーん」とか、そういうノリです。
妻は、高額所得者ではないですが、仕事を持ち、稼いでくれている。
私のビジネスが軌道に乗るまでは負担をかけると思いますが、軌道に乗ったら家族孝行したいと思います。
のんびり旅行とか、行きたいな。

家族のイメージ(こんな仲良くないですが。AIにて生成)

(5)そして、辞めてみた

フォレスト・ガンプ(アメリカの映画です)がランニングを始めた動機は、「No particular reason」(特段の理由なし)でした。

SOPHIA(日本のバンドです)も、名曲「理由なきNew Days」で言っています。
「踏み出した理由はいらない」

公務員を辞めた件、サラリーマンを辞めた件で、いろんな人から、「お前バカ」と言われました。
でも、関係ないです。
その人たち、私の人生に関係ないです。
私の最愛の人たちは「いいよーん」と言ってくれてます。

という訳で、私は、脱サラを果たし、失業者となりました。


皆さん、長々お付き合いいただき、ありがとうございました。

次回の失業体験記は、「在職中の準備・確認作業」を詳述したいと思います。

これからも、よろしくお願いします。

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