日記:久闊を叙す
先日、物心つく前からの友人と久々に会った。彼は僕に定期的に連絡をくれ、会いに来てくれる貴重な友人である。親友と言うべきか。
「久闊を叙す」という表現は僕の浅薄な知識の中では、中島敦の『山月記』でしか見たことがない。
同じ教会に所属している(以前のnoteでも言っているが、僕は所属はしているが熱心な信者ではない)にも拘わらず、彼は順調に(教会的な意味で)結婚し、今年はもうすぐ2児の父になるらしい。
高校を卒業してから就職し、もう勤続8年くらいだろう。
彼を袁イ參とすれば僕はさしずめ李徴であろうか。
虎にはなりたくないものだ。
彼とは昔、遊戯王のカードゲームでよく遊んだが最近またハマりだしたようで、久々にデュエルした。「リリース」のことを「生け贄」と言ってしまうのもお約束。
大人になっても人の親になっても、会えば昔のように遊べる人とはなんとも貴重な存在であろうか。
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2月から先月にかけては急に微分積分を復習したくなって、大学一年のときに使った教科書を読んでいた。
Taylor展開についての理解が深まったので記事にしようと書いていたが、途中で面倒になって放置している。
物理では数学を使うけれども、数学の理解が曖昧で大学時代はいつもモヤモヤしていた。
今からでは手遅れでも少しずつ復習していきたい。
最近はPythonの勉強をしている。
Ruby on RailsはTutorialの途中で頓挫しているが、また再開したい。
弟は、高校から出題された宿題に勤しんでいる。
今日から新年度、兄も負けていられない。
このような拙文を最後までお読みいただきありがとうございます。 皆さんの反応を糧に生きています。