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10年前の映画を観に東京まで行った話

前回のnoteから3日ほど空きましたが、先日、『涼宮ハルヒの消失』という映画を観に行きました。

(もう上映期間終わってますね)

久々の『消失』

この映画は2010年2月6日に公開されたもので、かれこれ10年程前のものになります。去年の痛ましい放火事件のあった京都アニメーション制作の映画です。

僕がこの映画を初めて観たのは大学生の頃で約6年ほど前です。たまたまCSで無料放送していました。
その時点では、原作の小説は一作目の『憂鬱』しか読んだことがなく、アニメもネットでかいつまんで観ていた程度なので初めて観た『消失』は大変な衝撃でした。

シリーズ最高傑作と呼ばれるのも頷けます。

『消失』を観てから、原作小説を全部買って読みふけったのもいい思い出です。

そんな『消失』を映画館で観られる・・・。

行こうかどうか悩みましたが、気付いたらチケット予約してました。

久しぶりに観た『消失』は、やっぱりよかったですね。
予習を兼ねて先月末に『憂鬱』、『笹の葉ラプソディ』、『消失』を読んでおいたので内容もすんなり理解できました。

田舎と比べると都会は地価が高いのか、思ったよりスクリーンもシアターも小さい印象を受けましたが、音響はいいですからね、文句なしです。
やっぱり映画は映画館で観ないと。

たまに周りからクスクス笑い声が聞こえたりして、皆久しぶりのSOS団との再会を楽しんでいるようでした。
朝倉涼子は相変わらず猟奇的で思わずゾッとしましたが・・・。
普段と違う長門も眼福です。

閑話休題

『消失』公開から5年後の2015年、『涼宮ハルヒ』シリーズの公式スピンオフ、『長門有希ちゃんの消失』がアニメ化されることが決まった。

この情報を得た僕は真っ先に、かつて僕に『涼宮ハルヒ』を勧めてきた高校時代の友人にこの話をした。
開口一番彼はこう言った。

あ~、そういえば昔そんなのあったな~。

その時既に彼の意識の中に『涼宮ハルヒ』は存在していなかった。
驚いた。
あれほど熱心に『涼宮ハルヒ』を勧めてきた彼が、この話題に対して微塵も興味を示さなかった。

人間はこれほど簡単に興味の対象を変えてしまうのか。

でも考えてみるとこれが普通なような気もする。

流行語大賞をとった芸人は翌年にはテレビから消え、世間から「一発屋」と揶揄される。
皆こぞって飲んだタピオカミルクティはもう話頭に上がらない。

生まれては消費され、忘れられる。
これが本来の姿なのだろうか。

思い返せば、自分は一つのことに執着する性格が強いような気もする。

20年近く前にリリースされたゲームを未だにプレイするし、今着ている服も何年前に買ったものかわからない。
そのくせ新しくリリースされるゲームに興味は湧かないし、新しく買った服は結局着ない。

良く言えば、「ものを大切にする」、「物持ちがいい」。

悪く言えば、「変化を恐れる」、「旧態依然」、「進歩しない」。

『涼宮ハルヒ』をすっかり忘れた彼は、まさしく「リア充」とでも言うべき大学生活を謳歌し、卒業後に海外留学し、そこで出逢った女性とめでたく結婚し、上場企業で働いている。

一方僕は、何の思い出も愛着もない大学時代を無為に過ごし、恋愛経験も皆無、社会経験も殆どない。

今の状況の原因を性格に転嫁して言い訳じみたことを書いても、結局彼と僕との違いは「幸福になるために努力したか」ということだと思う。

いや、もうやめよう。
折角いい映画を観て気持ちよくnoteを書きたかったんだ。
暗いことを考えても仕様がない。

でもこれだけ。
「好き」という気持ちはどれだけ時代遅れでも周りと違っても、大切にしていきたい。

P.S.

『消失』を観ていて、劇中でエリック・サティ作曲の『ジムノペディ』(とそのアレンジしたもの)が流れていることに気付いた。

なぜ気付いたかといえば、大学時代に観た『消失』に大変感動した結果、『消失』での改変世界を舞台にした『涼宮ハルヒの追想』というゲームを購入、プレイし、そのゲームのエンディングテーマが『ジムノペディ』だったからだ。

しかも当時何を思ったか電子ピアノを購入していた僕は、この『ジムノペディ』と映画の主題歌である『優しい忘却』をピアノで弾けるようになりたいと思い、練習していた。

だがピアノなど弾いたことがない。楽譜も読めない。

独学ではなかなか上達せず、今もまだこの2曲を弾けるようになっていないことに気付いた。

そこでこれを弾けるようになってnoteに映画の感想と一緒に動画を貼ろうと思ってここ数日練習していた所為で、前回から3日空いてしまった。

自分で期限を設けて練習すると、これが思いの外 上達が早くて大分(形だけは)弾けるようになったのだが、どうしても上手くいかない箇所がある。

弾けるようになったらまたnoteに書きます。

このような拙文を最後までお読みいただきありがとうございます。 皆さんの反応を糧に生きています。