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川久保玲は破壊者ではなく『少年』だった

最近私の中の川久保玲のイメージが少し変化した。

今まで私は他のメディアと同じように、川久保玲は、ラグジュアリーを『デモード』(流行遅れ)へ押しやった『破壊者』として捉えていた。

だが先日「スタディオブ コムデギャルソン」を読んだことで、その考え方に揺らぎが生まれた。

もちろん「スタディオブ コムデギャルソン」は有名な書籍であるし存じてはいたが、何故か読むのを避けてきてしまったことを少し後悔している。

本の内容は川久保玲のパブリックイメージに1度疑問を持って、再考してみようという内容だったのだが、その中身が実に興味深かった。

特に面白かったのが、「ボロルック」についての記載だった。

普段私達服好きの多くは川久保玲について、80年代の鮮やかで力強いルックに対抗し、「ボロルック」を突きつけた、『破壊者』としてのイメージが強いと思う。

だがこの本は、その『破壊者』というイメージにNOを突きつけていた。

川久保玲は『破壊者』ではなく、新たなクリエイションのために、「ボロい」という要素を取り込んだだけだと。「ボロい」というイメージを作り上げるためにボロルックを用いたのではなく、彼女はただ手法として「ボロい」を採用し、服の限界領域を探ったのだと。

これは過去の女性イメージをデモードへ追いやる為に、新しいスタイルを提案した、ココ・シャネルとは全く異なった文脈で、川久保玲は「ボロルック」を提案したということだ。

私はその姿勢をまさに『少年のよう』と捉えている。

川久保玲は服の活動領域を広げ、一つのアイテムに様々な「生き方」を授けた。1つのパターンの布に、様々な可能性を見出した。

私達が子供の頃、滑り台という一つの遊具にどれほどの遊び方を見出しだろうか。思い出して欲しい。

あの頃のイメージと川久保玲の服はリンクする。

そして同時に縮絨の生地使いや、古着の再構築についても同じことが言える。

川久保玲は縮絨や古着の持つ「ノスタルジック」なイメージを引用した訳ではなく、素材の新しい可能性として縮絨生地や古着を用いたのだ。

彼女は常に『少年のよう』に鋭い目つきで、新しさを探っている。そして変わり続けている。

私は今まで川久保玲は生粋の哲学家型デザイナーだと思っていたが、ここまでパタンナー的、服屋的な側面があることに気付かなかった。自粛休暇のお陰かもしれない。

私もショウネンのように変わり続けたい。

ではでは

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