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経験年数に応じて一般的に求められるスキルが身についてないままソフトウェアエンジニアとして生きている(いた)ことのつらみ

※以下、ソフトウェアエンジニアをエンジニアと省略して書いていることがあります。

プログラミングを仕事にしてから9年だ。いちおう9年ということになる。知り合ったばかりの人に「プログラミング歴何年ですか?」「プログラマー・エンジニアになってから何年ですか?」と聞かれたらこう答えざるを得ない。そしてそう答えると、「え、9年…!ベテランですね…!」と言われる。企業の採用担当(エンジニアの詳しいスキルを測ることがあまり得意ではないと思われる人が多い)からもおそらくそういう目で見られているのだろう。「豊富なスキルをお持ちの方とお見受けいたします。弊社のテックリード/リードエンジニアポジションはいかがですか」みたいな全くマッチしていないスカウトメールが時々来る(だいたいベンチャーで、色んな人に送っているんだろうとは思うけど)。ほんとうにつらい。なぜならわたしのスキルは、周囲にいる他のエンジニアと比較するとせいぜいプログラミング歴2〜3年目のスキルしか持ち合わせていないからだ。そしてこの自分の経験年数とスキルのアンマッチが今まで自分や周囲の不幸を生んできた気がする。

わたしはGitもオブジェクト指向もWebフレームワークも自動テストもCIも、とにかく最近のモダンな開発手法やツールをほとんど知らないままに6年生きてきた。そういうことを知っている人がいない環境で6年間生きてきた。そんな文脈は基本的に履歴書からは共有されない。初めて一緒に仕事する人にそんな自己紹介はする機会がないこともある。そうするとのちのち齟齬が起こる。「なんでそれを知らないんですか」と言われる。エンジニア相手になら「レガシーな開発環境にいてGitもオブジェクト指向もWebフレームワークもほとんど知らないで生きてきたんですよ〜」と言えば理解してもらえることもある。でもそうでない職種の人に理解してもらうのは難しい。9年プログラミング歴があったら、だいたいほかの9年仕事している人と同じくらい、そうでなくてもせめて5〜6年以上プログラミングしている人並みのスキルを保持していることを暗に期待され、その後幻滅されることが多いように思う。

モダンな開発環境の会社に入ってから3年ほど経ったが、そこから人並みの成長ができたかと言うとそうでもなかった。私は人より物覚えが悪いし、要領が悪いし、飽きっぽくてなかなか技術書を一冊やり通せなかったし、体力がなくて平日夜勉強すると次の日クタクタになって仕事に支障をきたすこともあったからあまり平日に勉強できなかったし、そりゃ他の人より成長遅くて当然だよな、と思う。

「プログラミング歴〇〇年です!」っていわなきゃいけないのそろそろやめてもいいようにならないかな、と思う。それはたしかに本当に経歴が1〜3年であるエンジニア同士のコミュニケーション、話題の一つとしては役に立つだろう。でも、たとえば参加したテックイベントのアンケートとかに「プログラミング歴何年かをお書きください」みたいな項目があるとウッとなることもある。9年なら9年なりの感想を他の項目に書かなければいけない気がするが、わたしにかける感想はだいたい「セッションの内容がとても難しかったのですが勉強になりました!」みたいなことだ。その感想とプログラミング経歴のアンマッチがアンケート回収者に不審に思われていないだろうか。

転職系のサイトに登録するとだいたい企業の在籍履歴と経験年数を書かされる。スキルごとに年数を書かされることもある。これは本当にうんざりすることもある。「HTML経験 9年 CSS経験 9年 JavaScript経験 9年 サーバーサイド開発経験 9年 MySQL 9年 Linux経験 9年」。そこから想像される人物像は一体どのようなものだろうか。経験年数ではなくスキルベースのみで会話されるようになったほうが自分にとっても周りにとってもミスマッチがなくて幸せなんじゃないだろうか。もちろんそのようになったら自分にとってシビアな状況になることは確かだ。わたしには「経験年数」以外に何も後ろ盾がない。OSSに貢献しているわけでもないし、目に見えるアウトプットは残せていない。けど、企業とのマッチング後、自分のスキルに対する自分自身と企業人事や評価者側の認識に、あとから齟齬が起こってしまうほうがお互いに不幸が増えていたように思う。いや、自分ですら、どこかで自分に対して「経験年数これぐらいあるからこれぐらいすごいはずだ」みたいな勘違いをしてしまったことが時々あったような気がする。外から目に見えるアウトプットはこれからもっとしていくべきだし、その成果物のみを自分の実力だと思ったほうが実状に近い。

エンジニア経験年数にとらわれることは、年齢にとらわれることに似ている。「もう30歳だからこんな事もできないなんて恥ずかしい」、「○○歳までに結婚しないと」、女性なら「○○歳までに出産しないと」。昔はたしかに私もそう思っていた。でもどうしてそうなんだろう?最近は疑問に思うようになった。年齢はただの数字に過ぎない。人間の成長や物事を成し遂げるペースは人それぞれで、若くして才能を発揮する人もいれば、大器晩成の人もいる。どちらがどうすごいということではなくて、その人自身が望む生き方をできているかどうかが問題だ。わたしは20代前半〜中盤のころ、「30になったらもう若くない、そのときに何も成し遂げていなかったらもう自分は終わりだ」、のような極端な考え方をしていたが、30を超えてからできるだけ年齢にとらわれるのをやめようと思って、そうしたら以前より幾分生きやすくなってきた。年齢にとらわれて「いつまでに○○しなければ意味がない」と思わなくなったせいか、最近はむしろ20代の頃よりやりたいことがいっぱいある。
ちなみに、日本では履歴書には必ず生年月日を書くが、アメリカでは履歴書に年齢を書かせてはいけないそうだ。日本人と話しているとよく年齢の話になるが、日本人以外とだとそこまではならないというのは肌感覚としてある。憶測にすぎないが、経験年数についても、同じように海外では年数だけではなくスキルを重点的に見ている会社が多いのではないだろうか?海外転職エントリなどを見ると、面接でアルゴリズムを問う質問を多く聞かれていたり、リファレンスを大事にしている様子が垣間見えて、日本よりも「経験年数<スキル」で評価していることが多いような印象を抱く。仮にそれが本当だとすると、いや例えそうではなかったとしてもそのような考え方があるとすると、年齢と同様に経験年数にとらわれすぎることは意味のないことに思えてくる。

まずは自分から、自己紹介で「エンジニア歴○年です」って言うのをやめよう。それから、「エンジニア歴○年なのにこんなこともできなくてすみません」って思ったり言うのをやめよう。劣等感を捨てよう。自分のいまのスキルを客観的に見て、成長の早い他者の経験年数と自分を比べずに日々勉強と経験を積み重ねていく、そのことのみに集中しよう。社会がエンジニアの経験年数に重きを置かないにようなったほうが私にとっては不幸が少ないと思っているが、なかなかすぐには変わらない部分もありそうだ。せめて自分としては、経験年数にとらわれず自分なりに前に進んでいく、そういう心構えで生きていくしかないのだ。

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