突然、目の前を大名行列が横切るとき
社長の自虐ネタとは
もう10年以上も前の冬の出来事である。だれに聞いてもあれ以来、こんな話を耳にすることはない。
コピーライターのN氏は広告関係の打ち合わせで、数人とプロダクションの社長である一升瓶太(仮名)に会った。当時、40歳前後に見えただろうか。
打ち合わせも終わり、一升が「まあ、一杯やりましょう」と言い出したので、メンバーはそのまま飲み屋に流れた。
最初はほがらかに仕事の話などをしていたのだが、 酒を飲むと一升はますます上手になり饒舌になり、自分のことを話し始めた。
「今、薬飲んでるんだよ、肝臓の」
「えっ、飲んだりしたらヤバイんでしょ?」
「うん、でも昔からだから。オレ、アルコール依存症なんだよ」
アルコール依存症。酒を飲む人間なら、ビクッとなる言葉。
しかし、私もそうだが、身近に具体的な実例が見当たらないとどういうものなのか、イメージできないというのが実際のところではないだろうか。
酒を飲んでいない時の一升は特に普通の人間と変わりがなかった。大声を上げるわけでもないし、酒乱になるわけでもない。朗らかに自虐ネタを披露している。
「前には仕事の打ち合わせもうちの会社に来てもらってたんだけど、一升瓶を横に置いてやってたからね。そうしないと、手がブルブル震えちゃうんだよ」
その後、当然のように2軒目の店に誘われた。一升はすこぶる饒舌になって、恐ろしい告白をはじめた。
「こうやって酒を飲んでるとね、肝臓がぶるぶる震えるんだよ。もうこれ以上飲めません、って悲鳴をあげてるのがよくわかる」
沈黙の臓器が映像で訴えてくる?
沈黙の臓器のはずの肝臓が訴えてくるとは、よほどの…。
「これを何度もくりかえしてると、どうなるかわかるかい?聞いたことあるだろ、幻覚だよ。昼間、机に向かって仕事してるだろ、そうすると、そうだなあ……背丈はみんな1~2センチくらいかなあ、参勤交代の大名行列が机の向こう側からよじ登ってきて、オレに向かってゆっくり歩いてくるんだよ。で、なにごともなく通りすぎていく」
ちなみに、大名行列を横切る行為は御法度だったものの、時代劇のように土下座をしなければならなかったのは、将軍家と御三家の紀伊徳川家、尾張徳川家が通るときだけなんだとか。
ほかの大名行列のときには、道をあけて立ったまま見物していてもよかったのだ。
一升が見たのはどの大名家なのだろうか。場合によっては、一升も土下座しておいたほうがいいんじゃないだろうか。
また、仮に往来を自分の指先などで邪魔したら、侍たちは「無礼者!」と刃物を向けてくるのだろうか。
背丈1~2センチの相手ならトライしてみてもいいかもしれない。
でも、揉め事になってシャープペンの先かなんかで応戦したら、あたりは血の海である。
そんな状況でほかの社員が社長室に入ってきたら、戦争になってしまうじゃないか。あ、幻覚というのを忘れていた。
「おもしろいからそれを肴に一杯やるんだけどね。まあ、体調によっては出ないこともあってね、『きょうは来ねえなあ』なんて待ってることもあるよ。そうすると、また酒が進んじゃうんだよ、ハハハ。そういえばここんとこ出ねえなあ」
ふと、この店では帰してくれそうにないな…とわかる雰囲気になってきた。案の上、そのまま飲み会は3軒目に移り、その店を出るころに一升は千鳥足で往来をふらついていた。
その日は終電を逃してタクシーで帰った気がするが、今となっては記憶もあやふやである。
依存症やら薬物なら関わることなしに、なんとかその大名行列を見てみたいものだ。
完
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