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【読書感想文】『昨夜のカレー、明日のパン』木皿泉

ここには、私の中にいる沢山の私が登場人物の声を借りてひたすらに会話を繰り返しているようでした。

声は点々としていました。あそこでの言葉に対して何十ページも後に応えていて、一つの意図で繋がっているような。

諦観しているのか分からない。希望を持っているのかも分からない。そんなもんだ、と受け入れているのかも分からないし、世に諍っているのかも分からない。

最近の私と言いますと、大変お恥ずかしながら世の中に一切の希望のようなものを持っていません。「誰かのために生きるなんてばかばかしい」と言って、捻くれてトンガって、「私は自分の人生を生きています、こんなに個性的で、私ってなんて面白い人間なんでしょう」と10代の頃から主張して本気で思っていたのに、結局何をしても「誰かの模倣」でしかなく、そうにしかならない、最悪な状態だということに気がつきました。「誰かのために生きる」方がまだオリジナリティがあっていいよな、と。あんだけばかにして、見下してきた状態よりもはるかに最悪だったのです。

この本は、明確にされた言葉として私の中で話し合いを始めたようでした。

あるページでOLの夕子さんは「見すぼらしい世界に、自分を合わせて生きてゆく方が、はるかに損な気がする」と言っていて、全く別の話で母になった夕子さんは自分の息子に「この世に、損も得もありません」と言っていました。

ここから私の脳内では「社会というシステムの中で“幸せに”生きるために、うまくいった誰かの模倣をしなければならない。例えそれがどれだけ自分の心と調和が取れていない見すぼらしい状態であっても」と私1号が言っていて、2号は「この世は全部、調和が取れているし、逆に言えば調和が取れているものなんてない」と言うのです。

次にOL夕子さんの先輩の加藤さんはいつも怒っていて、他人のミスをきちんと指摘します。しかし彼女は最後に「世の中あなたが思っているほど怖くないよ」と言うのです。

私3号は言います。「そんなに怖がらなくても、思っているほど世界は狭くないし、価値観も狭くなることはないんだよ」と言います。

ギフが酔っ払って「人は変わっていくんだよ。それはとても過酷なことだと思う。でもね、でも同時に、そのことだけが人を救ってくれるのよ」と言います。

ちょうど昨日、ある尊敬する大人に「10代20代と変わっていくけど、同時に考え方も変わっているでしょう。それは誰にでも当てはまっていて、誰かとぶつかって今悩むことがあるのなら、相手もあなたも十年後考え方っていうのは変わっていくもの。だから、安心していいんだよ」とそんなことを言われたのを思い出して、私4号は「誰だって穏やかでいたいと思う。でも変化は必ず訪れる。それには痛みを伴うけれど、でも人間の構造上、そうしないと生きていけないんだよね。世の中全て、皮肉で成り立っているって、なんかの歌手が英語で歌ってたよね」と言います。

最後に、死を前にした一樹は「生きると言うのはのぼってゆく太陽に向かって歩いてゆくことなんだよね」と呟きます。

私5号は、「生きている間、生を全うしている間には常に一番真っ暗な夜明け前なのかもしれないね。何かに諍って、何かを受け入れて、何かを妥協して、この世の中そのものが苦しいことだらけで、だからのぼってゆく太陽という希望だったり、美しいものを求めるんだね」と言います。

私5号がどんな表情でそんなことを言っていたのか、本当に分かりませんでした。

ここで私はまた気が付きました。美しい太陽を見たいし強く求めているにもかかわらず、今の私では太陽ののぼる方角すら確かめることができず、途方に暮れ、考えることを拒絶しているようです。

これでは読書好きだと名乗る資格はないなと思いました。

この本の言うことを文字のままでしか受け取ることができなかったからです。

「私だったらこう考えるな」と言う作業が、全くできなくなっていました。

読書好きだと、名乗ることをしばらくやめたいと思います。

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