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伝える力

小学生の頃、上手に伝える事が出来なかった。忘れ物が多かったし、先生の話は聞いていなかったし、頭の中は、空想でいっぱいだった。

小学生1、2年担任だった先生の事が未だに忘れられないのだ。

例えば、給食の時に手を洗うのに並んでいるのだが友達と手を繋いで並んでいたら、先生に「そんなに仲良ししたいなら」と友達と私の手を縛ってみんなが給食を、食べている間食べれず、放置された。

何故、そんなことをされなければならないのかわからないし、もちろん納得もいかなかった。けれど逆えず、時間が経つのを待った。

先生は、みんなに「この2人は仲良しなんだよ。手を洗う時まで手を繋ぎたいんだって!だから離れないように縛ってあげた」と説明していた。

誰一人それに対して異論を唱えるものはなく、しばらくしたら、解かれ給食を食べた。

その時の私は、心の中で必死に抵抗していたし、先生に言いたいことが、たくさんあった。しかし論破できるスキルも勇気もなく、心を押し殺した。

また、ある時は、給食当番のエプロンをなくしてしまい、先生に何処にやったのかととがめられた。毎日、探したか、どうしたかと問い詰められ、「ありませんでした、ごめんなさい。」としか答えられず、先生は、よほど反省させたかったのか、私を他のクラスに連れて行き、みんなの前で

「この子は、給食のエプロンをなくしてしまったんだって、みんなならどうする?みんなわかるよね!この子はわからないんだって」と叫んでいた。

どうしたらいいのか?頭の中では、グルグルと答えを探していた。私は、お金を払えばいいんじゃないかとも思ったが、怒られそうな気がして、ただひたすら探したが見つからずあやまった。

最後に先生から頂いた言葉は、「なぜ、あなたは、弁償しますの一言がいえないのですか?」でした。あまりにショックでした。

自分の伝える力のなさが情けなかった。人は伝える事ができないと人生で大きな損をしてしまうのだと心に深く刻まれた体験でもあった。

相手が意に反して怒ってしまったとき、私は必死で訴える。あなたを怒らすつもりでやったことではないと必ずすぐに言葉で伝えるようにしている。

納得いかなければ、行くまで話し合う。これがあの頃の辛い体験から得た学びである。


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