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それでも

コロナ禍と円安で、50才でもう一度イタリアに行こうという計画はなくなってしまった。
レギュラーシーズンでイタリアまで行けるマイレージは家族の沖縄旅行の飛行機代と消えてもはや手元にはあまりない。
2017年2月にイタリアに旅行した時の写真を今でもよく見る。
たくさんの写真を撮った。
どれも比較的思い通りに撮れていて満足もしていて写真を見ればその時の事が思い出せる。
ただ、ほとんどが富士フイルムのX100Sというデジタルカメラで撮影したもの。
高感度も強かったしフィルムシミュレーションとフィルムブラケットでたくさん撮りまくった。
しかし、今思うのはなぜフィルムカメラで撮らなかったのかという思いだ。
実はM6とエルマー50mm、ノクトンクラシック35mmを持って行ってはいた。
けれどもM6で撮影したのはフィルム3本程度に過ぎない。
しかし帰国してフィルムを現像して仕上がったネガを見た時にやはりフィルムの方が響くものがあった。
旅先で大量生産した写真ではなく、短い時間、機会の中で考えてシャッターを切った一枚。
自分の中ではその差は歴然だった。
フィルムは高く、画質もデジタルには及ばない。
ただ、なんだろう。
時間が過ぎて見返す時、フィルム写真は温かく懐かしい。
過ぎた事になってしまえばあまり精細度は関係ない。
記憶から思い出すためのきっかけなのだから。
この感覚に似た写真が撮れるのならばデジタルライカを買うかもしれない。
ただ、やはり違うのならばしばらくはフィルムで撮影して自分で現像してプリントをする日々を選ぶだろう。
それと、日々の記録は今となっては時代遅れのX-E1やGX100でそれとなくフィルムっぽい写真も撮れる。
記憶を辿る道具は自分の好みによるものだから。

Firenze M6+Elmar50mm/f2.8
Firenze M6+Elmar50mm/f2.8

イタリアもう一度行きたいなぁ。

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