見出し画像

続「さんたは行かなくていいよ」@1歳児の行動

今回のお話は、下の保育の1ヶ月後くらいのこと。

↑ この話で登場する1歳児のたっくんと、じろーくんが
また素敵(?表現が難しい)な姿を見せてくれた。

山頂からの下り道で。

たしか、このときから1ヶ月か2ヶ月経ったくらいの頃だったと思う。ある日の散歩で、小高い山に登ってみることにした。1歳児クラスも後半になっていたのでスイスイ登るが、そうはいっても1歳という年齢にはなかなか厳しい階段+斜面を登らねばならない。

登りきったあとの景色は壮観である。ここは神奈川だが、遠くに富士山が見えるのだ。山頂でゆっくり過ごした後、そろそろご飯ということで帰路につくことになった。

が、しかし。

体力に限界が来ている子が何人かいるようだ。
先発隊は既に山を下りきっているが、2人が山頂からの急斜面をくだり、階段に差し掛かったあたりで座り込んでいる。僕は、その2人のいるところから数十段下、ちょうど山の中腹あたりに、たっくんと手をつないで立っていた。

さて、どうしたものか。大人はこの場には僕一人。
選択肢はいくつか浮かぶ。
・たっくんと手を離し、2人の元に戻り、手を引いて階段を降りる
・体力的に難しければ、他のスタッフを呼び、抱っこして降りる
・もう少し待ってみる

結局どうしたかというと、たっくんと共に2人を待ってみることにした。
しかし、動かない。うーーーーん、どうする。もう少し待つか。

ちょうどそのとき、この山をお散歩中のおじいさんおばあさんが、山頂の方から山を下ってきた。すると、なぜかわからないが2人のうちの一人。一番月齢の低い子が、おじいさんと一緒に山を下りはじめたのだ。その子は山の中腹にいる僕を越え、山の一番下まで降りていった。

動かなくなったじろーくん

階段の頂上に残ったのは一人だけ。これがじろーくんだった。
困った、これはまったく動きそうにないぞ。待ってみたが、座り込んだ状態から寝そべりはじめるような気配がある。じろーくんは、散歩からの帰りによくこんな風に、でれーんと倒れ込んで動かなくなるのだ。

よし。じろーくんの元に行こう。
一旦たっくんと手を離し、じろーくんの近くまで戻ることを決めた。

たっくんと手を離し、階段を上り始めた瞬間。
「うわーーーーーーーーーん!」
たっくんが泣き始めた。たっくんは、一人になるとさみしいことが多く、特に僕とは関係が深かったことと、そして疲れていたこともあり、涙。

さぁどうする??ますます選択を迫られる。

結局、一旦じろーくんの元まで行ってみた。
そして、なんとなくこう声をかけてみた。

さんた「たっくん、泣いちゃったね。大丈夫かな…」
そう言いながら、ちょっとだけたっくんの方に足を踏み出そうとした瞬間。

じろー「○△□×・・・」

と、僕には聞き取れない喃語とともに、あの時と同じようにじろーくんが
手を横に広げて僕が動くのを制止したのだ!

あの時と同じ・・・
「さんたは行かなくていいよ」と言いたいのだろうか?

そう感じて僕は足を止めた。
すると、やはりじろーくん、たっくんの元へと歩きはじめたのだ。
疲れていて動けなかったはずなのに。

じろーくんは、スタスタと階段を下りていき、ついにたっくんと同じ段まで降りてきた。さて、どうするんだろう???僕の心はドキドキである。
僕は階段のてっぺんで止まって見届けることにした。二人の空気感に色をつけたくなかったからだ。

前回は、泣いているたっくんの頭をヨシヨシしていた。
しかしたっくんは、じろーくんのヨシヨシの手を振り払って怒っていた。
今日はどうなる??

やはり、じろーくんはたっくんの頭を撫でている。
しかし、今日はたっくん、その手を嫌がってはいないようだぞ。でも、泣き止みはしない。

次にじろーくんは、たっくんの目の前に移動した。
そして腰を下ろし、目線を合わせる。何か声をかけている。。。
たっくんは、やはり嫌がる様子はない。

もしかして、たっくんはじろーくんの気持ちを受けとっているのだろうか?
前回はちょっと拒否したが、じろーくんの気持ちが心地良いのだろうか?

抱っこしてほしい気持ち。仲間の気持ち。

少し待ってみると、下の方から別のスタッフが登ってきた。
「じろーくーん、たっくーーん」
優しい声をかけつつ、二人の元へ。

そろそろ、僕が山の上にいる意味を感じなくなってきた。
山を下ることにした。
まずは二人の元へ・・・と、ここで止まろうとして二人を見ると。
なんとじろーくん、スタッフが持っていたティッシュを手にとり、たろうくんの涙を拭いてあげてるではないか!!

なんだか、やはり僕が二人のところで止まるのは申し訳がなかった。
スタッフにさらりと目配せをしてから、なんとなく、すーーーっと山を下り、ぎりぎり視界に入る位置からひっそりと見守ってみることにした。

あれ。予想ではたっくんの泣きが激しくなると思ったのだが、あまり変わらない。ん、これはじろーくんの影響か、それとももう一人のスタッフさんの影響か。

僕が下の方にきても、じろーくんはしばらくたっくんに心を寄せている。
しかししばらく待ってみると、じろーくんの動きがちょっと変わった。諦めた・・・わけではないが、疲れが出てきた?たっくんへの関わりが少し減ったのだ。

2人とスタッフの元へ行ってみることにした。

ことの経緯をスタッフに伝えるとともに、僕自身の気持ちや感動もぶわーっと溢れ、二人で少し涙した。
「あんなに疲れていたのに、どうして他の人のために動けるんだろう?」
自分がじろーくんの立場だったら、まず同じ行動はせず、自分のことだけ考えていただろう。なのに、じろーくんは・・・どんな気持ちなのか知りたくてたまらなかった。

二人共、そろそろ体力の限界を感じた。
「抱っこでいきましょうか?」
スタッフと二人で話し、それぞれ抱っこさせていただくことにした。

さんた「抱っこでいく?」
僕はじろーくんに聞いた。
もうひとりのスタッフは、たっくんに。

たっくんは、僕との関係が深かった。
なので、「いやだー」と、僕の方を見ていた。
しかし、僕がはじめに声をかけたのはじろーくんだ。
ここでぱっと「じゃあたっくんでいい?」と聞くのも、なんだか申し訳ないというか、ひどいなと感じたので、

「ごめんねたっくん・・・」

と言いかけたそのとき!

なんとじろーくんが、
「いいよ・・・」
と、僕の抱っこをたっくんに譲ってくれたのだ!!

はーーーーーーーーーーーーーーーー・・・・・・・・・・・
言葉にならない。思い出しても泣けてくる。
どうしてそんなことができるのか(涙)

さんた「じろーくん、本当にいいの?」

こういう時、「いいよ」が自己犠牲なのか、それとも自分で納得して決めているのかを見極めるのが、保育士の仕事だと思っている。もしこれが自己犠牲であれば、何かしなければならない。何か、は分からないが。

ただ、自分の本当の気持ちを出せないより、本当の気持ちを出せる方が幸せに生きられるだろうと思っているので、”何か”をその場で考えなければならない。そう思っている。

しかしこの時のじろーくん。
「本当にいいの?」と問うて、
「うん・・・」という目に迷いは感じられなかった。

もちろん、自分だって抱っこされたいはず。
でも、「いい」のだ。
「僕は自分で決めたんだよ」という目に、僕には見えた。

こうして二人共に抱っこで帰路についた。
なんとも温まった自分の心を、もうひとりのスタッフと共に感じつつ。

__

優しさとは何か。強さとは何か。

あなたは、どうするだろうか。

自分が疲れ果てている状態で、
道半ばで悲しんで泣いている仲間がいる。

すぐ傍には、もっと力のある存在がいるのに。
「僕が行くから大丈夫」と言うだろうか?

あなたは、どうするだろうか。
「抱っこしようか?」と抱っこしてほしい人に問われたのに、
となりの仲間が「僕が抱っこしてほしい!」と泣いている。


もしかするともしかすると。
あの時じろーくんは、たっくんの悲しい気持ちを慰めるのを
諦めていなかったのではないだろうか??
僕は、「抱っこしようか?」と余計なことを言ってしまったのではないだろうか?


まだ2歳くらいの子だ。
悲しい気持ちに寄り添えるのが”良い子”というわけではない。
自分の気持ちよりも仲間の気持ちを大切にできるのが”良い子”でもない。

ただ、
僕はひとりの人間として、果たして同じ状況で、
相手の気持ちにじぶんの気持ちを寄せられる人間だろうか?


優しさとは、なんだろうか。
強さとは、なんだろうか。
人間とは、なんだろうか。

まだまだ僕にはよく分からない。

ただ僕はこの時、子どもたちの、
いや、人としての本来の姿。
本当の優しさと強さ、人間らしさを見た気がする。

この記事が参加している募集

#子どもに教えられたこと

32,956件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?