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高校最後の夏が教えてくれたこと

今日はすこしだけ、野球にのめり込んでいた学生時代の話をする。

僕は小学生から高校まで野球一筋で打ち込んでいて、「学生時代の思い出=野球」といっても過言ではない。

それこそ高校球児のときなんかは文字通り、朝から晩までグラウンドにいた。夏休みなんかは特に。自主練も含めたら12時間以上はグラウンドにいた。

振り返ると昭和の名残というか、今のようなロジカルな雰囲気はそんなに浸透していなかったように思う。

野球部の仲間と集まって話しても「もっと頭を使えば良かったよな」という話にはなる。やや根性論が過ぎた感は否めない。


それでも当時の僕にとっては、野球がすべてだった。

中学では全国大会ベスト8のキャプテンで、それなりに推薦をいただいたりもした。

進路や将来設計なんてのは一切無視して、野球だけで高校を選んだ。


だけど僕は、高校最後の夏、最後の試合に出ることが出来なかった。


高校3年の春に右肘を疲労骨折して、手術した怪我の完治が間に合わなかったから。

最後のバッターのレフトフライが相手選手のグラブに収まったとき、僕はベンチから動けなかった。


人生のすべてを懸けて打ち込んだものが、勝負することも出来ずに散る。

なんとなく心境がわかっていただけるだろうか。


ずっと支えてくれた両親への感謝も、楽しみにしてくれていた祖父へのアピールも叶わなかった。仲間たちから掛けられる「ごめんな」が苦しかった。謝るべきは俺の方だと思った。

そして当時付き合っていた彼女の前でクソほど泣いた。いま思うと結構引くレベルだったと思う。


このときの話は高校卒業後も、みんなで集まると定期的に話題になった。

仲間
「あれ?最後の試合出てないヤツいたっけ?」


「おい!そこえぐるなお前!」

一同爆笑

みたいな流れは普通におこなわれていたのだけど、ぶっちゃけ数年は結構苦しかった。


人生で間違いなくTOP3に入るレベルで沈んだ。そして引きずった。

父親から言われた「この経験が生きるときが来る」という言葉も、当時の僕からしたら綺麗事としか受け取れなかったことを記憶している。


だけど、今となっては心の底から良かったと思う。

あれはあれで自分の人生に必要だったんだろうなと。

死ぬほど悔しかったけど、人として成長させてくれる大事な出来事だったように思う。


本気になることの尊さや自信、仲間と共にゴールを目指す楽しさ。誰かの応援に応えられなかったときの悔しさや絶望。

そして何より「人の痛み」を、あの夏を通して知った。

これでも昔より少し、優しくなれたのだと思う。


生きていれば楽しいことばかりではないし、何もかも報われてくれるわけでもないだろう。

それこそ人生を懸けて挑んだとしても、結果が伴わず傷を負うことだってある。

恋だって仕事だって、本気が打ち砕かれるのは痛いし辛い。


だけど、どんなに苦しくても僕らの道は「そこで終わりでは決してない」。

だから仮に砕け散ったとしてもその意味を決めるのは今じゃない。もっと先だ。


むしろこれから次第でその敗戦は、プラスにもマイナスにもなる。

だったらもう一度立ち上がり、でっかいプラスに変換してやった方が「あのとき本気でやった自分」をかっこいいものにしてあげられるんじゃないだろうか。


挫折がない人生なんて退屈だ。

人の痛みがわからない人間の声に誰が耳を傾ける?


自分を誇れ。周りを頼れ。

こんなところで終わらせないよ。


大丈夫。本当に面白くなるのはこっからだ。



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