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グラウンド整備と飲み会はほぼ一緒

中学生の頃。野球部だった僕はグラウンド整備が好きだった。

正確に言うと、練習後に仲の良いメンバーと2、3人でグダグダ喋りながら土のグラウンドにブラシをかける時間が好きだった。

「今日の練習、アイツのプレー凄くなかった?」
「やっぱ松井のホームランは打球が違うよな」
「ていうか体育祭このままじゃ勝てなくない?」

なにを話していたかは大して覚えていないのだけど、真っ暗になるまでダラダラとグラウンド整備をした。翌日には超キレイな状態で練習できたから部員たちには感謝された。

たまたま僕がキャプテン、よく一緒にやっていた二人が副キャプテンだったから「さすがチームを引っ張るメンバーだよな」みたいな空気が流れていたが、違うんだ。俺らはただ、どうでもいいことを喋るあの時間が好きだったんだ。

むしろグラウンド整備は一種の言い訳だったかもしれない。


・この練習はもっとこうした方がいいんじゃないか
・うちの守備はここをもっと強化するべきなんじゃ?

そんな建設的な話をしたことはほとんどなかった気がするが、自然と意思の疎通はとれるようになった。

あいつ今ムカついてるな、あいつ今日ノッてるな、という微細な感情が読み取れるようになった。

心地好いコミュニケーションがとれるようになるにはきっと、こういう一見ムダな時間がすごく大切なんじゃないかと思う。

だからなんとなく、あの感覚は大人になっても大事にしたくて、そんな気持ちがあるから僕の仲間関係は基本、「一緒に飲んでいて楽しいか」に帰結する。

起業してから良かったことには「つまらない飲み会がなくなった」というのが割と上位にランクインしてくる気もしている。


大人にとってのグラウンド整備は、きっと飲み会だろう。

さして重要じゃない話を延々として、お互いへの理解を深めたり。バカ話で盛り上がってもいい。

あるいは熱くなって語り合うのも大いにアリだが、それは翌日に覚えていないリスクも孕むからご注意を。


さておき、飲み会には「無理に誘わない」感覚がめっちゃ大事だと思う。

中学時代の僕らもグラウンド整備には一度もチームメイトを誘ったことはないが、結果的に4人、5人と多くなっていった。

楽しそうにしていれば、共鳴する人は勝手に近づいてきてくれる。

飲み会だってそうで、楽しそうな飲み会には勝手に人が集まる。「会社が一緒だから」程度の動機で半強制的に誘うくらいなら、超おもしろそうにしている方が100倍効果的じゃないだろうか。

無理に誘わない価値も確実に存在する。ふとグラウンド整備を思い出して、大事なことに改めて気付かされた気がする。


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