和牛が脚光を浴びるのはM-1だけでいい
言うまでもなく、現代に生きる人たちの時間は有限だ。
みんな何かと忙しいし生きるのに必死で、エネルギーが常に枯渇している状態の人も多いと思う。
だから無意識のうちに「省エネ」を考えがちで、起業する前の自分を振り返ってもそんな感じだった。
すべてが面倒で、気力を振り絞ったところでやっぱり何も変わらなくて、エネルギーが減るばかりの状況は容赦なく憂鬱な気分を吹き込んで来た。ホイミが使えないドラクエはまあまあキツイよね。
今の生活を保つという意味では、省エネの意識は重要だろう。
一方で、人生このままじゃ終われないぞと立ち上がるとき。
そのタイミングでは必ず「本気を出す」ことが必要になる。惰性の延長線上で変化は起こせないものだ。
一生懸命に打ち込めた人間だけが新しい何かを掴む、といっても過言ではない。
エネルギーが補充されることは極めて少ない。だけど本気で取り組みたいものを持っている。
そんな状況で僕らは何をするべきかと言うと、1つだけだと思う。
単刀直入に「エネルギーのやり場を絞る」こと。
持ち合わせている気力が少ない割に、あちこちへバラまいているケースは意外と少なくない。
たとえば今、アイツのせいで世界中が大変なことになっていて、僕らが「すこぶる前向きな情報」なんて見聞きする機会はほぼ皆無といってもおかしくないだろう。当然ながらエネルギーは下がるし削られる。
にも関わらず。
結構な勢いで国の対応について、あるいは電車に乗っていた赤の他人など、「どうしようもないこと」に大切なパワーを費やしていたりする。
気持ちはわからないでもないが、やっぱり思うのは「一生懸命になるなら自分の人生にダイレクトに関わること」がいいんじゃないかと。
本気で誰かを叩いて沈めたところで僕らの人生がアガるわけでもないし、結局待っているのは「変わらない現状」だ。
そして国に期待して疲れる。和牛ってなんだよ、となる。和牛が脚光を浴びるのはM-1だけでいい。
なんか、もったいないよね。
いかなる状況においても自分や大切な人がより良くなるために、より面白くなるためにエネルギーを使うべきだと思う。
少なくとも罵り合うことで不安は解消されないし、最終的に自分の精神が病んでは何の意味もない。
時間もエネルギーも有限な中で、今やるべきことは何なのか。
各々がそんなベクトルで今を生きていけたら、きっと大丈夫なんじゃないだろうか。
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