美味美醜 4

 今、こうして拘置所内で綴る理由は単純だ。覚えている限りのことが書ける。それに例のテーマパークについて、もう一度確認しておきたかった。
 あの扉〈楽園〉と書いた砂漠でも、食欲を満たしたのだ。
 医師と助手の女性、それから受付の女性。三人、胃の中に収めてしまった。その後、綱島のアパートで梨奈と会っている。
「失礼ですけど、そのような停留所はないですね。こちらでは運行しておりません」
 信号待ちの運転手は言った。
「九時十六分発、十時の開園に間に合うよう運行してるはずです」
「……聞いたことないですが」
 その時だ。「帰れ」と、背後から別の声が届いた。
 私は車内を見回した。他の乗客も同じ軽蔑の目だ。笑う声が聞こえた。
 梨奈に連絡しようと、携帯電話を取った。右手に震えはなかった。唖然とした男の顔。静まり返って誰もが私を見ている。走行音、コンクリートを走るタイヤの音も聞こえなくなった。バスの床に目を落とすと、自分の顔が赤い血の中に浮かんでいた。ギロリと睨んでいる。つんとした臭いがした。また誰かの声が聞こえた。ばかやろう、ゲロかけんじゃねえよ。きたねえな。ぶち殺すぞ。ぶち殺すぞ。
 私は咄嗟に運転手の首を締め上げ、「いいから早く砂漠に行け」と言った。またあちこちから罵声が飛んで、私を引き剥がす別の声が飛び込んできた。まるでアイドルの握手会みたいだった。運転手の顔は苦しそうだった。だが彼はハンドルを決して離さなかった。車内が揺れていた。どたん、ばたんと不機嫌に揺れていた。
 私は手を離した。一度だけ診てもらった医師も笑っている。喉につかえたままの台詞が溢れた。
「砂漠だ。砂漠に行くんだ」
 そのあと私は陽を浴びながら梨奈に電話した。外に出ていた。誰かが怒鳴りながら私を落としたらしい。
 聞き慣れた着信音が土の上で続いた。梨奈の声を待った。朝、泣きべそをかいて、困らせた声を待った。
 
  由紀美は原稿を閉じた。
 計ったように電話が鳴った。
「由紀美さん、メール確認しましたか?」
 鈴木の声だった。
「すぐにリンク、見てください」
 由紀美は鈴木からの新着メールを開いた。
「それ、僕のアドレスに入ってたんです。あの村の住人からですよ。何人か名刺渡しましたので」
 映像はモノクロだった。若い男性が正面を向いて何か話している。無声だった。後ろには、用水路が見える。わずか数秒程度で映像は切れた。
「その人、たぶんNさん本人ですよ」
 由紀美は言葉を失った。
「何か気付いたこと、ありませんか」
 扉の奥から、声が飛んだ。
「言ったでしょう。呪われたらどうするんですかって。あなた、それを怠った」
「待って」
 扉が開いた。人影が床に伸びた。そこには鈴木が目を見開いて立っていた。ついさっき映像の中にいた男と瓜二つだった。
「……Nって、まさか」
 由紀美がつぶやいた瞬間、男は首元に被りつこうとした。
 弾みで氷が入ったグラスが床に落ち、砕け散った。
 咄嗟に由紀美の手がデスクの引き出しを開けた。
 男の手が止まった。由紀美は渾身の力でアイスピックを抜き取った。男の胸元から血が噴き出し、一瞬で床を染めた。
 呻き声が、窓を破るほど響いている。
 鈍く光ったままの瞳孔が由紀美を睨みつけていた。床に落ちた氷の表面には夕闇が照っている。
「……化け物、化け物、化け物」
 由紀美は死体に跨った。頭から胸に覆い被さった瞬間、言葉にならない声が漏れた。柔らかな肉を噛み砕く口は赤くなった。前歯が凄まじい勢いで肉を切り刻んでいく。
 女は、舌鼓を打って高笑いを上げた。
          
(了)

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