脚本公開 1 

〇真一のマンション・キッチン(夜)
   死体のような皿が沈むシンク。
   バシャ! 蛇口から水が噴き出す。
   電話から、長岡千亜紀(29)の声。    
千亜紀の声「帰りに美味しい餃子でも食べに行かない? 真一さんの奢り
  で」
   携帯電話を持つ浅村沙紀(36)。
沙紀「餃子どころじゃないの、今」
千亜紀の声「なんで?」
   沙紀、シンク横に置いた台本を一瞥。
沙紀「……台詞。ニンニクより入れなきゃいけないものあるの」
千亜紀の声「パパの舞台」
沙紀「そう。アドリブなんてあの人が許すと思う?」 
   沙紀、シンクに片手を突っ込む。カチャ、カチャとぶつかる皿。
沙紀「何か私、余計な電話しちゃったかも。せっかくの台詞忘れそう」
千亜紀の声「待って。お皿の音してる」
沙紀「同時にやらなきゃいけないんだってば」
千亜紀の声「お姉ちゃん」
   沙紀、電話を切る。
   離れたソファで携帯電話をいじる浅村真一(43)。
   画面から目を逸らさず、
真一「千亜紀ちゃん、元気そうだね」
沙紀「あのさ」
真一「今度、美味しい餃子でも食べに行こうよ。俺の奢りで」
沙紀「千亜紀は甘えてるだけ」
   真一、携帯を手放し、
真一「自分は甘えていない宣言のつもりかな。姉の言い分、千亜紀ちゃんだ 
 ってそんなに聞きたくないと思うよ」
沙紀「お皿、こんなに増やしたくない」
真一「小さな皿、増やしたいって言ったの誰だっけ」
   沙紀、沈黙。
真一「亭主の言い分もあるんだからさ」
   沙紀、シンクから離れる。
 
〇同・寝室(夜)
   ダブルベッドに駆け寄る沙紀。枕をつかみ、素早く部屋の外へ出る。
   一個だけベッドに残る枕。 
   壁に、一枚の写真。
   沙紀と真一、二人の背に自由の女神。
   
〇同・リビング
   枕を抱えて駆け寄る沙紀。
   ソファから飛び起きる真一。
真一「風邪引いても知らないよ」
沙紀「別にいいもん。一人で寝る」
   沙紀、枕をソファに投げる。
真一「この間ニューヨークに行ったなんて嘘みたい」
沙紀「嘘のまま過ごすよりいいでしょ。女神なんかどこにいるの」
真一、沙紀から離れる。
真一「僕も一人で寝る」
沙紀「待って」
   沙紀、真一に詰め寄る。
   手に持った鍵を見せる。
沙紀「この鍵、覚えてるよね」
真一「……枕に入れたのは知ってる」
沙紀「あなたがくれた物でしょ。錆びついていいわけない」
真一「気持ちをこじ開けるつもりなのかい? そんな箱、どこにあるか知らないけど」 
沙紀、沈黙。
真一「ダイヤの方がいいに決まってる。錆びそうな鍵なんかより」
沙紀「ピカピカがいいの。見てくれる?」 
   沙紀、キッチンへ。
   水浸しのシンクに鍵を投げ入れる。
   唖然とする真一。
   黙々と皿を洗う沙紀。
真一「僕は間違ったことしてないつもり」
   沙紀、洗った皿を一枚ずつ重ねていく。
真一「いろんなゲストの方が来た。これから指輪を受け取る美しい人も」
沙紀「やめて」
真一「夜を長くしてるのは君の方だ」
   沙紀、手を拭いてキッチンから離れる。
 
〇劇場・舞台(夜)
    棺桶が開く。
    体を起こし、欠伸をするドラキュラ伯爵。または俳優、長岡拓馬    
   (73)。
沙紀M「おはよう、父さん。あの日のことから話してよね」
    拓馬、不敵に笑う。
 
〇テレビ局・番組スタジオ(夜)
   トークライブ『グッド・イヴニング』収録中。やや薄暗い照明。
   司会者の真一、左のゲスト席にマントを羽織った拓馬。
真一「ドラキュラ役のご苦労などございますか? 例えば、焼肉や餃子が食 
 べられなくなるとか」 
拓馬「それはあるね。ニンニクは千秋楽まで食べないようにしている。ミン
 トのガムで我慢だよ」
真一「やはり役に入り込んでいる」
拓馬「実際は台本通りやっているだけだよ。普段からこのマントを着ている
 わけじゃない。俳優とは誰かを演じる人なんだ。ドラキュラは何度演じて 
 もいいね。慣れたことはないけど」
真一「ルーマニアも暑いと聞いていますが」
拓馬「ここも昼間みたいだよね。まるで太陽がもう一つある」
真一「申し訳ないです。これでも随分落としているんですけど。やはり目覚
 めたばかりでそう感じていらっしゃる」
拓馬、沈黙。
真一「(カメラに)いつもより雰囲気が違うと思われた方、大丈夫です。今
 夜は少しばかり照明を落としています。(拓馬に)私も夜中、トイレに起 
 きた時は眩しくて」
拓馬、席を立つ。
拓馬「少しばかり時間を」
真一「……どうぞ」 
   拓馬、観客席近くまで歩く。
拓馬「今宵は、私のために足を運んで頂きありがとう。伯爵から礼を言いま
 す。先程彼が言ったように、目覚めたばかりでせっかくの笑顔も霞んで見
 える。だが美しい」
拓馬、真一に寄る。 
拓馬「君にあげよう」
   拓馬、マントを脱ぎ、真一の肩に掛ける。
   席を立つ真一、くるっと体を一周捻る。
   黒々と舞う、大きなマント。
真一「誰の生き血を吸いに行けばいいのでしょう?」
拓馬「素晴らしい。ぜひ舞台で」
真一「何を仰るんですか。大根を晒すことになるだけです。(観客に)皆さ
 ん、お分かり頂けました? 私、明日にも伯爵デビューです。冗談」
拓馬「一つ、いいかな」
   真一、額の汗を拭く。
拓馬「本気でドラキュラを演じる気はあるかい?」
真一「……相手が美女なら」
拓馬、苦笑い。
真一、右手を差し出し、
真一「長岡拓馬さんでした!」
拓馬、深く一礼。
拍手する観客席。  
真一「今晩は玄関に十字架のご用意を! また来週。(長岡に)ありがとう
 ございました」
   拓馬、親指を立てる。グッド。 
   ぞろぞろと席を立つ観客。
   拓馬、ADの案内で退場。慌ただしい技術スタッフたち。
   拓馬、足を止めて正面(視聴者)に話す。
拓馬「こんばんは、皆さん。ご覧の通り、たった今、私は収録を終えたばか
 りだ。司会者の彼になぜ自慢のマントをあげたのか、どうぞ見届けてくれ
 たまえ。また会おう」
 
(つづく)

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