チャイナタウンに行こう
映画『チャイナタウン』の脚本で有名なロバート・タウン氏が亡くなった。
私がこの映画を見たのは7年前、洋画ファンを自称している割に遅い鑑賞だった。
当時は横浜市大倉山で無職、いや正確には何かをしようとしている男で、今振り返っても溜息しか出ない。近くの蔦屋へ足を運び、旧作コーナーから2、3本手に取る。晴れの日、小雨の日、どしゃぶりの日、関係なくそれを繰り返す。どんなに空腹でも、財布に小銭すらなくても、映画だけはノートパソコンで再生できる。古い映画からのカロリーで空っぽの胃を満たそうとしていた。
マンション内でそのような毎日を送っていると、さすがに終わりが見えてくる。中古のパソコンではDVD再生の負担が大きかったのか、図ったようにその日は訪れた。
電源を入れても映らない。ちょうど『チャイナタウン』を2回見た後だった。私はノートパソコンを港北区へ提出(破棄)し、部屋も出ることになった。
この映画を見て、400字原稿用紙に探偵事務所のシーンを書いた。
完成できるとは全く思わなかった。2時間映画を書き終える技術も体力も備えておらず、ただハードボイルド映画を書きたい。その気持ちだけで衝動的に鉛筆を握っていた。
2年後、実家に戻った私はフィルムアート社の本を熱心に読んでいた。ハリウッドで脚本コンサルティングを務める作家が書いた「感情による脚本術」である。
おそらく脚本に関する本で『チャイナタウン』に触れない作家はゼロに等しい。半世紀の間、世界中の映画学校で、本の中で、とてつもないストーリーテリングについて語ってきたはずだ(私が在籍したバンタンでは一度もなかったが)。
では、なぜこれほど長い間、多くの人を魅了するのだろう。
答えはシンプルである。それは主人公の探偵(ジャック・ニコルソン)が自ら動き、知らない間に巨大な陰謀(ここではロスの水事情)に巻き込まれていくからだ。調査をすれば黒幕に近づき、また新たな事実が明るみになる。そのような緊張感がただの一度も緩まず、フィナーレまで進んでいく。
タウン氏は執筆前にチャンドラーを読んだという。DVD特典に収録したインタビュー内で、葉巻を燻らせながら語っていた。
どんなジャンルでも、主人公が動かなければ面白くならない。
ケガをして思うように動けなくても、とりあえず向かい側のアパートを覗くことくらいは可能だ。自らそのように「行動」を起こせば、グレース・ケリーのような美女とも会話できる。
別にスポーツカーに乗ってアクセルを踏まなくても、助手席にボンドガールみたいな人を乗せなくても、主人公が与えられた場所で動けるかがキーとなる。
私立探偵がメソメソしていたら、皆さんはどんな感想を持つだろう。誰もが「早く外で尾行しろ」と思うはずだ。聞き取れないほどの小声で話していたら、「もっとはっきり話せ」と思うはずだ。
突然、子供の父親になったら、何か食べさせようとキッチンに行く。自分に自信がないなら、まず子供とフレンチトーストを作ってみてはどうだろう。フライパンに綺麗な形で焼きあがるその瞬間こそ、成長と言えるのに。ダスティン・ホフマン演じる男性は、確かにパパとして奮闘していることがわかる。
拙さを健気と評価するなら、誰でもプロになれる。私は下手な会話を書く作家が嫌いだし、その作家を褒める業界人もそれ以上に嫌いだ。
往年のハリウッドが持つ影響力を軽視している以上、日本のドラマ、映画は絶対によくならない。
さて、『チャイナタウン』のultraHDが発売する。
北米版の音声解説(ロバート・タウンとデイビッド・フィンチャーの二人による)が待望の初収録だ。
映画学校に戻る気持ちで、コメンタリーを聞きたいと思っている(もう少し先かも)。
7年前に書いたシナリオは長い時間を得て仕上がった。そろそろ提出する時が来たようだ。
ハードボイルドだって「繊細」である。ロバート・タウン氏は最高のお手本を見せてくれた。