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ゆたかさという尺度は自分の中にある

ゆたかさは、環境や周りの人間関係によって左右されないものと思ってる。
それに、ゆたかさは数字でも可視化できないものであるし、目に見えないものだ。
だけど、感じることはある。

日本に生まれたからには特に幼少期から貧しいと感じたことがない人は、多いはず。だけど、発展途上国と言われる国に行ってみると、ゆたかさというのを感じることはこれまでにもたくさんあった。

例えば生活水準の違い。日本で生きてたら生命の危機を感じることなんて病気以外ではほぼないだろう。でも生活水準が低い国々は常に生命の危機と隣り合わせ。いつ、動物に襲われて殺されるか、食べるものがなくなって餓死するか。生態ピラミッドのトップに君臨する人間だって隙を突かれたら死ぬ可能性だってある。

生活水準に関しては、ファクトフルネスを読んでみてほしいです。

いくらお金持ちでもいくらモテる男でもそれが必ずしも「しあわせ」なのか「ゆたか」なのかなんて誰も分からないことだ。

食事も同じ。毎日フレンチとイタリアンのフルコースを食べるのがしあわせな人も居れば、ごはんと味噌汁でめっちゃしあわせな人も居る。
僕はココイチのカレーが500円で食べられるだけで幸せだ。カレーのルーと白米だけのカレーでも、ウマいものは美味い。

つまり、ゆたかさとは心が何かによって満たされればそれはそれでゆたかさと言えるんだと思う。

・ホットコーヒーを飲みながら本を読む時
・サウナに入って水風呂に入って外で大の字になって呼吸する時
・大自然で焚火をしながらキャンプしている時
・サーフィンをしている時

挙げたしたらキリがない。

ただ、ゆたかさの定義は人によって違うというのも一理あるし、だったらゆたかさを考えてみればいい。

僕にとってゆたかさとは3つ

好きなように生きること

自分の意志で好きなことをできる人は、極上の幸せを感じる。インドで生まれてヒンドゥー教を信仰していたら、親の職業をつがらなければならない。成功するには猛烈な勉強と幾多の偶然が重ならないと成り上がることはできない。そんな慣習が全くない日本で生まれてきたことさえ感謝しなければならない。

好きな人と好きな場所で過ごせること

例えば、誰にも邪魔されることのない無人島で1人の生活を楽しめるのもゆたかさ。東京の大都会で不自由ない生活を送るのもゆたかさ。

健康であること

健康であることは何よりのゆたかさの証。痛みに苦しみもせず穏やかな日常を過ごせるのは毎日食べられるごはん、しっかりと睡眠ができる住環境のおかげ。

最初に、ゆたかさは環境とか周りの人間関係によって左右されないと言ったので、逆説的に聞こえるかもしれないけど、これは自分にとってのゆたかさの尺度であり、人によってことなる。
だからゆたかさの定義は、自分で決めればよい。
いや、自分でしか決められないものだと言ってもよいかもしれない。
だって価値観は自分の中にもっているものだから。

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