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【大航海時代に関する考察】

大航海時代に他のヨーロッパ諸国に先駆けて海を渡ったスペインとポルトガル。
イベリア半島をイスラム勢力から取り戻す過程で、イスラムの進んだ科学技術を学んだのでしょう。そして、大西洋に浮かぶ小さな島々を発見して航海の練習をしたのだと思います。
①アゾレス諸島
②マデイラ諸島
③カナリア諸島
④ヴェルデ岬諸島
世界地図でこの島々を眺めていると、大西洋を越えて新大陸を発見したのもアフリカを西回りで越えてインドにたどり着いたのも納得できます。

アフリカ西回り航路でヴェルデ岬諸島を過ぎると、ギニア湾にたどり着きます。ここが奴隷貿易の拠点になります。「資本主義」を成立させる要因は「大量生産」「大量消費」ですが、それを可能にする労働力はここから供給されました。黒人奴隷がここから大量に世界中に送られて行きました。

ここでひとつ考えなければならないことがあります。
初期の「資本主義」を成立させたのは、労働力とされた黒人奴隷だったということ。現代の僕らは賃金をもらい、一定の権利を認められています。しかし、それは数多くの資本家と労働者との間の闘争を経て「人権」が認められたからなのだな思いました。
本来、「資本主義」は権利を主張しない奴隷のように隷属的な労働力を期待しているのです。

貨幣を使用する商業は世界中に存在したのですから、原始的な資本主義はどこにでもありました。しかし、大航海時代を経て成立した「資本主義」は新しいシステムだったと思います。
ヨーロッパで確立した「資本主義」の最初の消費者はヨーロッパ諸国の富裕層でした。しかし、その後変質していきます。
「資本主義」が探したのは、
①安価な原材料供給地
②安価な労働力供給地
③安定的な商品販売地(消費者)
 こうした動きの中でアジア諸国も西欧と遭遇していきます。幕末日本の黒船来航もその流れに過ぎません。国力に応じて上記①〜③のどれかにされました。弱小国は植民地にされ、未だにその後遺症から脱せず「原材料供給地」「労働力供給地」の状況が続いています。

大航海時代にスペイン・ポルトガル、次いでオランダ、イギリスが大西洋に乗り出して行った理由を考えます。
大航海時代当時に、①宗教改革の反動による「反宗教改革」の動きがあったこと、②「市民」の台頭による商業の発達があったことに注目してみます。大航海時代は「宣教師」の時代でもありました。
スペイン・ポルトガルの世界進出では、宣教師と商人が連携して活動しました。
①宣教師: 布教活動(カトリック教義)への情熱
②商人: 利潤追求の情熱
スペイン・ポルトガルの植民活動は大筋でこの動機で展開したのだと考えています。

スペインの世界進出では、「布教活動」のインパクトがより大きく感じられます。進出した地域をコルテス、ピサロなどの征服者が侵略し、搾取するだけの植民地経営だったからです。スペイン、ポルトガルの進出だけでは「資本主義」は成立しなかったと思います。

大航海時代の当時、オランダはまだスペイン領で独立国家ではありませんでした。本国のスペインから搾取され、隷属的な地位にあったのです。
かつてフランドル地方と呼ばれたオランダ、ベルギーのあるネーデルラントは、毛織物産業が発達し商業のさかんな地域でした。アントウェルペン(ベルギー)、アムステルダム(オランダ)は中継貿易港として、各国の商取引に関与して金融が発達していました。スペインとの違いがここにあります。また、宗教改革の変動があり、ネーデルラントには迫害を受けた新教徒が多く集まっていました。

オランダ独立戦争について考えます。スペインとオランダの対立軸は下記の通り。
①宗教的な対立(旧教と新教)
②封建制度と市民社会
(王侯貴族と新興商人の対立)
オランダ独立戦争は1568年〜1609年にかけて41年の長い期間続き、オランダは1581年に独立宣言を行っています。その後に与えた影響力を考えると、世界史上のインパクトはアメリカ独立宣言よりはるかに上回ると考えています。
そして有名な「オランダ東インド会社(VOC)」が1602年3月20日に設立します。世界初の株式会社とされています。イギリスの東インド会社の設立が1600年12月31日ですから、設立時期はオランダのVOCの方が後です。しかし、イギリスの東インド会社は国営の要素が強く、オランダのVOCの方がより現代の株式会社に近いと言えます。「会社」と言っても条約の締結権、軍隊の交戦権を含む植民経営権を持っていたのです。このVOCが後の帝国主義の先駆けになっていきます。

コロンブスがパロス港を出発して大西洋に出たのを起点とすれば、大航海時代は1492年に始まったことになります。
オランダ東インド会社の設立が1602年ですから、大航海時代開始から凡そ100年の歳月が必要だったことになります。
その間にオランダ独立戦争とイギリスによる無敵艦隊撃破がありました。戦争を通じて、覇権はスペインからオランダ、イギリスに移行して行きました。
時代の推移は下記の通り。
①大航海時代開始→②東インド会社の設立→③産業革命→④帝国主義の時代
オランダ東インド会社の設立に至るまでの過程は既に触れました。続いては産業革命に至るまでについて考えます。

東インド会社を設立したオランダとイギリス。1623年のアンボイナ事件で対立したのを契機に、オランダは東南アジア、イギリスはインドを拠点として活動することになります。
産業革命が起きるきっかけが「綿織物」のブームにあったことを自分は最近知りました。イギリスでは当時、羊の毛で作った糸で作られた「毛織物」が主流でした。そこへインド産の木綿で作られた「綿織物」の衣服が導入され「毛織物」製品は急激に人気を失いました。1700年にインド産製品の輸入が禁止されると、イギリス国内で木綿を生産して綿織物を生産するようになりました。この綿織物生産の過程で紡績機の発明、改良が行われることになり、動力源の開発が工業化に結びついて産業革命を引き起こして行くことになります。

イギリスが世界に先駆けて産業革命を実現した要因を考えます。
産業革命に必要な要素とされた3つの要素は下記の通り。
①資本: お金
②市場: 販売先(植民地)
③労働力: 黒人奴隷
資本については毛織物工業で作った製品をインド市場に売りつけて資金を稼ぎました。販売先については、東インド会社が新たな植民地獲得のため活動を行いました。
もっとも重要なのは、労働力としての黒人奴隷の確保です。「三角貿易」と呼ばれるもので、
①イギリス本国: 武器・雑貨
②西アフリカ: 黒人奴隷
③南北アメリカ:砂糖・綿花
①〜③の順で物を交換(販売)しながら富を蓄えていきました。
三角貿易の拠点として有名なイギリスの港が、リバプールとブリストルです。この貿易で稼ぎ出した桁外れの資金が産業革命の原動力になっていったのです。

大航海時代及び産業革命時期の世界は、お互いの利益が対立した場合の解決策として「武力」や「戦争」を最重要視していました。
現代人は深い洞察があるわけでもなく、お経のように「戦争はいけない」と言います。
しかし、その傾向は世界史的にはごく最近のものだと思います。大きな2度の戦争を経験して、戦争による犠牲に対する反省と教育があったからなのでしょう。しかし、戦後の資本主義はより広範に、深く現代の僕らを束縛していると思うのです。今や、デジタル媒体による結びつきが崩壊した場合の世界を想像することすらできません。不況で経済が壊滅的な状況になった時に、僕達はどんな行動をとるのでしょうか?
「資本主義」について考えたいと思ったのはこうした動機からなのです。

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