見出し画像

100%でやれば結果はいつか出るし、見てくれる人はいるよ|手と仕事#3



【100人の手と仕事】をはじめてからはただただ、その人の動きが綺麗で、気持ちがまっすぐで、純粋で、ぼくは羨ましかった。
 
だから、だれよりも見ていたかった。
誰よりもちかくで熱を感じたかった。
 
__________________________.
 
見ている世界と考えてる世界と生きてる世界が、なんというかキラキラしてるんですね』
 
とある作家さんがぼくの写真を見て、こう言ってくれました。 
 
始めましての方でしたが、すごくぼくの心を震わせてくれました。

【100人の手と仕事】を始めたばかりにはなかった感情で、きっと綺麗なんだろう、きっと美しいのだろう、って憶測でしかなかった 。
 
実際にオールドレンズで覗くその世界は
それぞれの準備や、気持ちで形成されていって、いずれこの世でもっとも美しい瞬間がやってくるんだ。
 
つくり手さんたちの指使いや、手捌きが綺麗で、ぼくは瞬きなんてしてる暇はない!っていつもよりも目を乾かしながら撮影してる。
 
そんなことが何人も何人も起こる【100人の手と仕事】は、当然ながら始めてよかったと思う企画でもあるし、100人の仕事に向き合う時間になって、
ぼくのカメラの練習にもなるので、ほんとありがたい。

これからどんな仕事をカメラでしていくのかわからない中、【100人の手と仕事】を通して、はじめましての方とのコミュニケーションや、それぞれの着眼点、どんな思いでやってるのかなどなど、きっとこれから先ぼくのためになることがここには詰まってる。
 
だから綺麗じゃないわけないのだけどね
 
作家さんの言葉でぼくの世界がキラキラしてることに気がついて、そうか、だからこんなにぼくはがむしゃらに動けるのかって気づいて、さらに写真に磨きがかかった感覚だ。

こういうことも気づかせてくれるのだからやっぱりやってよかったと思える。
さて、こう何度もnoteを更新していると何を言って、何を言ってないのかわからなくなるほどだけど、言いたいことは山ほどあるから書いていくよ。

なんで100人の手と仕事なんてやってるんだい?

そもそもの疑問かもしれないね。なんて言ったって無償で何枚も写真を撮って提供して、インスタに投稿もしているのだから、何がしたいのかわからないだろう。
ただ、ぼくはこの今の『100人の手と仕事』を自分の代名詞にしようとしている。仕事を撮らせるならなおとだろうって、手元を撮るならなおとだろうっていつの日か言わせてやろうって思って今も動いてる。
まあそれはフリーランスとして当たり前の感情なのですが、始めたきっかけってのがちゃんとありまして、珈琲屋としての側面も持つぼくだからこそなのか『出店するときに使える写真が少なすぎる!カメラを持っているぼくですらこうなのだから持ってない人たちは、もしかしたら一年前の写真をいまだに使い続けてるのではないか?』って勝手ながらに思ったところから始まりました。

だったらぼくが撮っていこうじゃないかと
なんとなく煮詰まった気持ちを解消するように、100人の撮影が始まりました

種をまく隙間が一ミリでもあるならぼくはねじ込む。
今の100人の方がいつの日か『写真』という仕事を意識した時に『やまぐちなおと』の名前を思い出せるようにぼくはいつも種まきをしている。

そうやって来年、再来年へとぼくの企画は仕事に変わっていく。

まあ、ほんとに仕事になるかはぼくの動き次第ってことになるけれど、やるって言ってるんだからやらないわけがないよね、何がなんでもやるんですよ。やりたくてやりたくて仕方ないんだから、何があってもやるんです。

80%じゃ足りないって知ってるから、100%でぶっこむ。
それでもダメなら仕方ないじゃない、今のぼくのできる100%をやりきってもどうしようもないことは絶対あるから、そんなに甘い世界じゃないって知ってるからね。
それでも、気づいてくれる人が必ずいる。
がむしゃらに動き回るぼくの手を掴んでくれる人が必ずいる。
『一緒に仕事しよう』って強く握ってくれる人がいる。


美味しいご飯に使わせていただきます