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フリーランスで仕事する覚悟ってなんなの?| 手と仕事 #5


手と仕事
無償で仕事をする人の手にフォーカスして撮影を始めてから、不思議とカメラマンとして依頼してくれる方が増えてきた。

そして、写真で生きていこう、カフェもやろうって個人でやっていくことをぼくは決めたわけだけどその『覚悟』の話にもなった。
 
ぼくもね色々悩んだ。本当にこれでいいのかって、本当にこのクオリティでお金をもらっていいのかと、頭が削れそうなほど悩んだ。
 
好きで始めたことだから、と言い訳をして
お金が欲しいわけじゃないから、と好きなことでお金をもらうことにいつまでも躊躇して、自分の価値を下げているのはそもそもぼく自身だった。
  
技術とか、クオリティとか、金銭のやり取りだとか、どこか敬遠してた世界の構造があって、だってせっかく長野っていう自然豊かな場所に生きると決めてきたのに、お金とかそういうものじゃない価値や対価ってあるはずなんだ!って考えてた。
 でもそもそもそれって自分自身が生きている前提の話じゃない?って、、生きていけないほど、生活を苦しめてまですることじゃないよね。
そう気づき始めてからは視点を変えました。

・生きていくため、食べていくためのお金はしっかり稼ぐ
・好きなことはその余白の時間でやる
(それが収益につながるなら、ラッキーぐらいの気持ちで)

この二つさえ守っていけば何もつらくないし、心の擦り切れ具合も全然違う。
本当は好きなことで生きていたいはずなのに、自信がなくてお金をもらうことに躊躇して、結局自分の価値が下がって他の仕事をしながらになる。
いつか好きだったことが稼げないものになって、稼げないから意欲も上がらずっていうどうしようもないループに入る。

だからぼくはやらないことを決めた。

カメラマンとしてなんでも撮るわけでもなくて
カフェの人として全てを受け入れるわけでもなくて

例えばカメラマンとしての仕事は始めた頃はぼくはなんでもやっていたけれど、今は家族写真や誕生日写真と言われるものを依頼として撮らなくなった。ニューボーンフォト(新生児用)も、初めてお会いする方の子供写真もぼくは撮らない。
その代わりに手元の写真、宣材写真を撮らせたら間違いない。
どこへでもいくし、どこでも撮る。

カフェになるとうちの店の珈琲には砂糖もミルクもつけてない、カフェオレにも砂糖はない。ラテアートもやらないし、エスプレッソもない。
その代わりに極上に美味しいドリップを提供する。

やらないことを決めていくと、自ずとそこに需要が発生する。
こだわりも生まれる。
そのこだわりに共感してくれる人ができて、そんなことをしてるぼくに気づいてくれる人ができて、収益に繋がったり、仕事に繋がったり。

とまあ、ここまで長々と何かを言ってきましたが、ぼくはこれといって『覚悟』ということはあまりしていません。
やらないことと、やることを決めただけで、特にこれと言って覚悟の決め方なんて知らないんです。

  
だけど、やるからには全力で、
SNSをしっかり投稿して覚えてもらう。
外に出たらカフェとカメラマンをやってることを伝える。
挨拶のときにSNSを交換して投稿している写真やお店の雰囲気を知ってもらう。
 
やっていることはこれだけ
ぼくを知って欲しいと思ってるだけ。
 
 

美味しいご飯に使わせていただきます