Okada Naoto

自由自在に生きたいと思って。

Okada Naoto

自由自在に生きたいと思って。

最近の記事

持続していく方法

何かを続けることってなかなかむずかしい。やり始めはやらなきゃという気持ちが強いのだが、いつの間にか燃えていたものがどこかへいってしまう。 どうすればモチベーションが続くのかということはいつも考えているが、ひとつには疲れてしまう、というところがあるのではないかなと最近思う。 疲れる理由はさまざまだが、単にやりたいことに根を詰めすぎて疲れてしまうということもあるし、他のことで時間を取られてしまって、やりたいことへの情熱が相殺されてしまうということもある。 また、やれない日が出

    • 年が明けたということで

      2024年になりました。 元旦から地震が起き、信心深くない日本人がこぞって祈りを捧げる稀な日に、大きな災害があったことはどんな神様の思召でしょうか。 意味深ではありますが意味はわからないのでなんとも言えませんが、もっと自然の脅威や恩恵に感謝をする慎ましさを持つべきなんじゃないかな、と思ったりしています。 いまあるものに感謝したり、もったいないことのないよう省エネな生活を心がける。そういう地球を守っていくという気持ちも天理教の信仰には欠かせないと思うので、この一年はそういう考

      • KOGを中心とした立場の変遷

         「こどもおぢばがえり」(略してKOG)は昭和29年(1954年)に「おぢばがえりこどもひのきしん」として始まって以来、60回を超えて開催されている。戦後からわずか9年後に始まり、今なお続く伝統行事。 その当時小学一年生だったこどもは、いまや76歳のおじいちゃん。そう考えると、ワイワイ楽しい雰囲気のなかにも歴史を感じる。  今年はコロナが流行してから初めての開催。実に3年ぶりの開催で、いろいろと行事が様変わりしていた。一大イベントだった夜のパレード、プール、忍者村、土持ちひ

        • あるもので勝負

           正直、お金がない。1年間の目標を達成するためなら安いものだと、全財産をお供えしてしまい、残っているのは小銭だけ。 基本的にお金をあまり使わない性分なので日常生活で困ることはないのだが、帰参が決まったことによって必要な経費が出てきた。 まず、基礎講座を一緒に受けるので、受講料500円。参拝にいったらちょっとくらいお供えもしたい。ご当地ラーメン「天スタ」もごちそうしたい。でも、それは無理。というか、自分の分を払うことも無理だ。 やりたいことは次々出てくるが、どれもできそ

        持続していく方法

          6月になるということで

           もう5月が終わってしまう。この1ヶ月を振り返って思うことは、4月よりも時間の流れを早く感じるようになったということ。 にをいがけに慣れてきて、日々の生活リズムもだんだん固まってきたのが大きな要因だろう。  6月を目前に控え、あと10ヶ月の間にどんなご守護がいただけるだろうか。 別席者はできるのだろうか。何人の方をおぢばに連れて帰ることができるだろうか。命をかけておたすけさせてもらう人と出会えるだろうか。 時間の進む速さに不安ばかりが募ってしまう。  月末になると翌

          6月になるということで

          信仰って数字じゃない、なんてことは百も承知

           だれでもそうなのかもしれないが、嫌なことがあると気分は落ちるし、良いことがあれば上がる。10日晴天が続かないように、いいことばかり起きるなんてことはない。そんなこと百も承知だが、どうしてもその日の成果に一喜一憂してしまう。  信仰生活において数字的な成果にはまるで価値がなく、いかに心が成人するかしかないと思う。しかし、性格なのかとにかく数字が気になる。何人の人と出会えて、おさづけが何回できて、何回天理教の話ができたか。そういうことばかりに心が囚われてしまう。 とくにおさづ

          信仰って数字じゃない、なんてことは百も承知

          宗教への逆風にいつの時代も

           通い先という言葉があるのだが、ぼくの場合はほとんどが勝手に通っているだけである。向こうからまたきてねと言われたことは一度もない。  今日行ったところもそうで、初めて家を訪ねたとき別れ際に「またきます」と告げると、こなくていいと笑いながらお断りされた。相手は年老いた独り身の男性なのだが、友達も多くぼくを必要とはしていないようである。 今日も別れ際に「またきます」といったのだが、また「来なくていい」とお断りされた。勝手に通い先にしてしまい、迷惑をおかけして申し訳ないと思ってい

          宗教への逆風にいつの時代も

          喜び上手なひとを育てる

           少しでも食材の足しにしようと寮のすぐ前で畑をしている。ナス、きゅうり、トマト、オクラ、大葉、ネギ。5月中旬ごろから成長著しく、花が咲きもう実がなりかけている。 * *  植物の世話はなかなか手間がかかる。抜いても抜いても草は生えるし、風で茎が折れてしまわないように支柱もしなければならない。毎日水もやらなければいけない。 やらないといけないことばかりだが、かといって嫌かといえばそうでもない。手間がかかるからこそ、愛着というか放っておけない気持ちになってしまう。 * *  に

          喜び上手なひとを育てる

          これだけで足りているのだろうかという恐怖

           日々にをいがけに歩くなかで、おさづけを一回取り次ぐ。それだけのことが難しい。道行く人に声をかけるが、はいどうぞと快くおさづけをさせてくれる人は少ない。 周りの目もあるだろうし、忙しいだろうし、おさづけで病や痛みが消えるだなんて信じられないだろう。さまざまなハードルを超えないとおさづけまでたどり着くことはできない。 やはり、ただ一回のおさづけでも、神様に働いてもらわなければ取り次ぐには至らないと思う。  では、神様に働いてもらうにはどうすればいいのか。真っ先の思いつくのは理

          これだけで足りているのだろうかという恐怖

          スピリチュアルと宗教の違い

           スピリチュアルを勉強している方とお会いした。とても気さくな方で天理数の話も否定することなく聞いてくださり、また、自身の神に対する考え方を教えてくださった。  宗教とスピリチュアルとでは何が違うのか。ぼくは宗数に対しての理解はそれなりにあると思うのだが、スピリチュアルに関してはよくわかっていない。幽霊とか占いとかそういう類のものだと、それくらい漠然とした認識しかない。 その方がいうには、神は無限の存在で、留めるものや輪郭、自分を認識する術がない。だから、人という形あるもの、

          スピリチュアルと宗教の違い

          善い人である自覚と責任

           にをいをかけた人のお宅で剪定のひのきしんをさせてもらった。お礼にと五平餅を買ってくださったのだが、なんともいえない香ばしさに舌鼓をうった。  ぼくは数年前まで植木屋で働いていたので、一応剪定の心得はある。以前お会いしたときに、話の流れでお庭の剪定をすることになったのだが、逐一切ったところを褒めてくださるので、とても気持ちよくひのきしんさせてもらえた。 いつもは旦那さんが剪定され、その後始末は奥様がされる。奥様がそれを愚痴られていたの で、今回ばかりはとも思い、後始末まで

          善い人である自覚と責任

          おじいちゃんの愛

           母方の祖母から手紙がきた。心配しているだろうと思い手紙を出しておいたのだが、そのお礼の手紙だった。  心温まる内容だったが、祖父のことを書かれていたところがなかでも心に染みた。祖父は1年ほど前に出直してしまったので、祖母は御霊様の前でその手紙を読んでくれた。 「よく頑張ったなと、とてもうれしそうな顔をして、目を潤ませて喜んでいるように私は思いました。」 とその時の感想を書いてくれていた。  ぼくの祖父は愛の深い人だった。孫は20人以上いるが、分け隔てなく可愛がってくれた

          おじいちゃんの愛

          布教とは勇気と根性

           布教の家に来た当初、30人をおぢばに連れて帰りたいと口にしていた。しかし、5月になった現在でも1人もおぢばにお連れしていない。本当に甘く見積もっていたなと、過去の自分を振り返っている。  でも、大きい目標をもつことは悪いことではない。それがないのとあるのとでも天と地ほど結果は変わってくる。別にたくさんの人数で帰参したからといってすごいわけではないし、数で信仰は測れない。ただ、ここで数を出すために努力することが今後の人生を左右するとは思う。 また、真実を神は受け取るというの

          布教とは勇気と根性

          見えない壁を破れない若者

           両手に杖をもって歩いているおじいさんに、困りごとはないですかと話しかけた。すると、足を生やしてくれといわれ少し戸感った。足はちゃんんと両方あるのに何を言っているかわからず、詳しく聞くみると義足だということが分かった。 その方がいうには、肺炎になって酸素が全身にまわらなくなり、足が焼死してしまい切ることになったらしい。  ものすごくパワフルなおじいさんで、足がないことを感じさせない陽気な雰囲気を醸し出していた。話しだしたら止まらないし、冗談もいうし、自分用に左足だけで運転

          見えない壁を破れない若者

          人のために祈る心の豊かさ

           愛知寮の近く(?)には愛町分教会がある。にをいがけに歩いていると 「私は愛町の信者です」という方とたまに遭遇することがある。 また、友達が愛町の信者さんで、一緒におぢばへ行ったことがあるという方もたまにおられる。  最近もそういう女性と出会ったのだが、とても素敵な方だった。自分の畑でできた野菜を近 所に配ったり、ボランティアに精力的に参加したりと、人助けを趣味にされているような方だった。 その方も人生の勉強にとおぢばに行ったことがあるそうだ。感想を伺うと、廊下がピカピカ

          人のために祈る心の豊かさ

          瞬発力は大事

           どこの布数の家でもそうなのかもしれないが、愛知寮では毎月全体で心定めというものを定める。全員で何件の家を訪ねようとか、おさづけを何件取り次ごうとか、そういったものを紙に記載してお社の横に置く。 この心定めは神様との約束なので、簡単に破る事はできない。出来得る限りの努力をさせて もらって、それでもできなければ改めて思案させてもらうということになる。 それくらい大切なものである。  今月は1日中にをいかけに回れる日がそれほど多くなく、月半ばときて思うほど件数が伸びていない。

          瞬発力は大事