れもん。
小さな小さな出来事に、死ぬほど驚いてしまう瞬間がある。
30秒後には忘れてしまうような、でも確かな手触りを持った驚き。
今日は、なんとなくいつもはあまり開けない窓を開けて、
あ。
と声が出た。
れもんの樹に、びっちり花がついてる。
ドキドキする。去年はこんなに咲いてなかったのに!
思わず植物に詳しい友人にLINEしたら、これはあんまり果樹にとって良くないらしく、摘花することを薦められた。
そっか。
と、思った。
花の次は、実が成るかもしれないんだ。
いま、れもんの白い花がうつくしいので、私はそれを見ていたかったけど、最終的に実を結ぶのが、このれもんにとっての正解だよなぁ、と。
それに、きっと、庭で採れたれもんは格別いいものだろう。
大きな籠いっぱいに、れもんの実。
黄色い実を手に取って笑っているたくさんのともだち。
こんなちいさな、若い樹だから、籠いっぱいの果実なんて、あり得ないけど、想像してしあわせな気持ちになった。
ときどき、風がサァっと吹いて、れもんのか細い枝が窓を、コツんコツんとやさしく叩く。
あまり「心が晴れる」という実感を持ったことのない私だけど、れもんの枝がやさしく窓を叩いているこんな日は、素直に空のあおさを眺めていられそうな気がした。
もっと気楽にやってもいいのかもしれない。
例えば、私はこうやって文章を書くのが好きだけど、一生懸命やればやるほど、コンテンツ性とかウケ、とか、絶対に向いてない方向に思考を巡らせてしまう。
あとで自分の中がカラカラになってしまうのに。
だから、これからはもっと、小さいスケッチみたいな文章をいっぱい書きたいなって思った。
ともだちが貸してくれたムーミンのパズルみたいな、いい感じのやつを。
実は成らないかもしれない。
もしかしたら、花も咲かないかも。
でも、風に揺れている枝を、その枝に日が射して出来る影を、観察していることは出来る気がする。
できれば、私はやっぱり、小さな小さな出来事に、死ぬ程びっくりしてしまう自分でいたい。
すぐに忘れられてしまうとしても、確かに居たんだよと囁き続けていたい。
•ө•)♡ありがとうございます٩(♡ε♡ )۶