5月4日

祖母の命日。

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朝と昼兼用で、夫がごはんをつくってくれた。
目玉焼きと、パンと紅茶とソーセージとヨーグルト。
私が作るよりちゃんとしている。
夫はちゃんと、どのおかずがいつ冷めてしまうか計算しながらごはんを作っている。
すごい丁寧な人だなあ、と感心する。
冷めたごはんを、夫は嫌う。
冷たいものは冷たい、あたたかいものはあたたかい。
それは、とても大切なことな気がする。

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祖母の作ってくれていた目玉焼きと、夫の作ってくれる目玉焼きが似過ぎている。
作り方まで似ている。
まずフライパンをぬくめて、油を丁寧に塗って(ひいて、というか塗る感じ)卵を静かに割りいれ、見張る。
蓋をして、黄身がいい感じに白濁してきたら火からおろす。
完璧な半熟の目玉焼き。
私は自分では絶対に目玉焼きは作らない。
祖母が死んで、もう目玉焼きは食べれないな、と思っていたら夫がそっくりの目玉焼きを作ってくれるようになったので、安堵のあまり涙が出た。
もし、夫が私より先に死んだら、その先私は目玉焼きにありつけなくなるということだ。
悲しい。

味覚は、いつまでも呪いみたいに私をしばるなあ。

今、思い出すと、もう食べられなくなった好物っていっぱいある。
祖母とよく一緒に行っていた喫茶店のミックスジュース(わたしは「ぶくぶくジュース」って呼んでた。)とか、エンジェルケーキという固いスポンジを更に固いホワイトチョコと砂糖でコーティングしたリング状のケーキとか。
結婚したときに、近所にあった洋菓子屋さんのソフトクリームとか。

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夕方になるまで、サンデル教授の本を読みながらぬいぐるみたちと遊んで、ウルトラQを観た。
寝ころびながら、コロナで行けなくなったちょっと遠くの書店さんに通販をお願いした。
たぶん、どこで買った本かっていうのが、私にとっては、けっこう大事なことなんだと思う。

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サンデル教授のメリトクラシー議論(能力主義議論)を読みながら、
「少なくとも好きな書店を選べる能力はある…」
とかくだらないことを考えた。

友達にメールを出すか、散々悩んで、やめた。
もっと考えてからだそう…。

ばんごはんは、私の当番なので、なにか美味しく作ろうとおもう。

越境できないので墓参りに行けるでもないが、血縁のなかでは一番好きだった祖母の命日に、なんらかのことを想える状態だというのは幸せだな、と思う。


おばあちゃん、孫は元気です。
ハンサムだねえと言っていた孫の旦那も元気ですよ。

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•ө•)♡ありがとうございます٩(♡ε♡ )۶