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ロマンの町ナスカ

ナスカへ到着

7月某日

朝6時すぎにバスの中で目を覚ます。

永遠にカーブでした

暑い、

夜はありがたかったヒーター、

今は太陽の光が燦々と照りついているので
そろそろ切ってもらいたい。

と耐えながら

10時半ごろにナスカ到着

地上絵のイメージしかなかったナスカ
空はどんよりで
今にも降りだしそうだが
砂漠気候で雨は1万年以上降っていないらしい。
バス到着で
各々休憩
こんなおチビちゃんも
長距離バスがんばっておりました。


我々の乗っていたバスは
リマ行きだったので、ここでおさらばして
11時ごろにタクシーゲットして宿へ

助手席にスーツケーススタイル。
ナスカは小さい車が多かった印象。

チェックインした後
すぐ散策へ出かける

カルロスというペルー人に
営業トークを受け

1人50ソレス(2000円)で
展望台、美術館2つ、丘などに連れて行ってくれる
ことになった。

砂漠の風景にみとれる
ミラドールが早速見えてきた
車無しでは
堪能できない広大さ

MUSEO MARIA REICHE


ひとまず美術館に到着
Maria Reicheという
研究者についての博物館
彼女は生涯をかけて
ナスカの地上絵を研究したらしい
ドイツ出身
95歳で亡くなり
お墓もナスカにある
資料を読めば読むほど、
どうやって描かれたのか
なんで消えないのか
謎が深まるロマン
ヘリコプターも飛行機も
塔もない2000-3000年前、
地上絵作りに貢献した人たちは
完成品を見てないということなのか
どんな忍耐力で
地上絵の線を辿ったのだろう・・
道路の作成によって
地上絵が一部無くなってしまった写真・・
Maria Reicheの部屋を
再現したもの
ナスカで生き尽くし、
死後もここで眠っているなんて
大満足でした

その後、お昼を
ドライバーさんと3人で食べた。

前菜のスープ
メインにはお肉と
アボカドもサラダにしっかり入っていて嬉しい。

MIRADOR


そしてまた塔のところに戻る。

今回はのぼります。
これが確か2020年に
新しくできたミラドール(Mirador)
向かいに見えるのは
古い方
高所恐怖症の細胞が震えだす
おぉー見えるぞ
「木」
こんなしっかり見えるのか
振り向くと
別の地上絵
これは「手」か「トカゲ」なはずだ・・(不確かですんません)
この背景もたまらない
高さ20m
怖いか平気かはあなた次第
いつか人生で一人になりたくなったら
ここに来ればいいのか
近くで見ると、線はこんな感じ
空の広さよ
この、何もない感
かっこいい

正直ここは人も少なくて

ロマンは最高で

この旅で一番感動しました。


Museo Arqueológico Antonini

続いて考古博物館へ

イタリアの大学か調査団が
使用・・もしくは所有している建物っぽい
当時の文化や儀式について
学べる
全部スペイン語なのですが
英語の解説が借りれました。

やはり、解説ありの方が
色々理解しながら見れるので
100倍楽しめます

現代でも需要ありそうな
かわいいデザイン
埋葬レプリカ
さっき地上絵を見てきたので
時系列どこまで被るのか定かでないが
線を描いた人たちはこんな陶器を使っていたのかな
とか想像が膨らむ
結構な時間見学した。

ホテルに戻る

無事に帰ってこれた


ナスカは観光名所がコンパクトに収まっていたので
1日で色々見て回れたのと、
美術館好きな自分にとっては2か所も行けて
それぞれ内容も良く、
大満足な一日でした。


ちなみに
私の父のPCデスクトップ(当時は画面が相当分厚いやつ)は
ナスカの地上絵(ハチドリ)で

よくパソコンで年賀状作るときに隣に立って
そのハチドリを幼少期から見つめていたので
それがある地に実際に行ったなんて
感慨深かった。


夫婦での旅行、海外移住について

その日は宿に戻った後、

「もう観光はやり切った
そろそろ日本帰ろうぜ~」、という結論に至る。

世界一周できる人ってすごい、
私は数か月でお腹がいっぱいになって
最後の方は観光地疲れ、移動疲れを発症していた。

そして、日本でもうすぐ
ラーメン食べれるのかぁ、と思うと
テンション上がって
格安航空券など探しているうちにその夜は寝落ちした。


私は大学・就職と18~26歳の8年間
海外に住んでいた。

彼はブラジル生まれ&育ちで
日本は4年目。

ということでお互い日本&外国での
酸いも甘いも、をある程度経験している。

正直、知れば知るほど、
どこに腰を据えようか迷う。
(据えないのもアリなのかもしれないが)

海外と日本
それぞれ最高ゥ↑↑な部分があるからだ。

家族や友人との距離、食事、治安、ビザ、自由さ、雰囲気、就職、経済、休日の多さ少なさ・・
もちろん時代によって内容はどんどん変化していくし
自分たちの価値観も変わっていくだろうし、全ては流動的だ。

何はともあれ、今年結婚したので
相手の故郷であるブラジルも見てみたいし
コロナでずっと行けなかった国外に
パーッと行きたい、というモチベーションで
はじまったこの旅。

パーッと・・の中には
日本社会の建前とか空気に少し疲れたような感覚がお互いあって
少し息抜きがほしい、という気持ちも少なからずあったと思う。
ただ、どの社会にも生きづらさは有るので
日本が完璧でないのは当たり前で、
馴染めなくてもよし、とは思っている。

出発前から世界一周しているバックパッカーの
YouTubeを見たりして
インスピレーションをもらいながら旅行を始めた。

旅行最高、それぞれの地での人々との出会い最高、
という部分は飛ばして
出発してから感じたのは

  • 思ったより南米旅行には体力が要った

標高が高い所、インフラが整ってない所、
まず国が大きすぎて移動にも体力が要る。
そしてアラサーの自分、まだまだ頑張れるが
18~20代前半の時とは体力の違いを感じた。

  • 治安

夜ふらーっと1人で散歩というのは
憚られる国やエリアが南米には多く
話には聞いていたが今回「実感」した。

  • 言語

英語は通じないことの方が多く
ポル語&スペイン語は相手に頼りっきりだった。

やはり自分でコミュニケーションをとりたい。
次回はもう少し言語を勉強してから来たい。

↑と大きく分けて
上の3つを感じた。

そんなこともあり、
+ 相手の貯金少ない問題発覚
(これもブラジル人あるあるということにしておこう)で
出発前はもっとダラダラ南米にいるのかなぁ、と想像していたけど
色々話し合い、出発から3か月後の
このタイミングで一旦日本へ戻ることにした。

そもそも一人だったら勇気が出ず
ブラジルなんて行けなかっただろう。

と同時に夫婦だからこそ
決断が複雑化した部分もある。

例えば南米の後に
他の英語圏の国にお試しで行ってみる、というのも
選択肢に入っていたのだが

  • ビザ

やはり持っているパスポートが
ブラジルと日本だと条件が違いすぎる。

我々の場合、去年からギリホリも考慮していたが
相手はワーホリ提携国がかなり限られており
オーストラリアの抽選・選考も挑戦したが
狭き門でゲットできなかった。

ブラジル人の場合、
オーストラリアへは観光で行くにしても
ビザを申請せねばならず
少し旅行に・・と思ってもハードルが上がる。

  • それぞれの国に対する情熱

移住となるとその国での就職、文化、経済状況に納得できるか、
何よりその国が好きか、気候や生活スタイルなんかが
肌になじむか、って大事だ。

お互い、経歴が違えば価値観も違う。
双方の条件がある程度合う国を見つけるのは
至難の業(´・ω・`)

他にも、夫婦とかに関係なく
以下のことは頭をよぎった

  • 国の情勢

戦争とまでは行かなくとも、
大統領や政策が変わったばかりで
これからの情勢、国として成長・衰退どっちに向かってるのか
分からんという場合は
「移住するにしても今じゃないな・・」と保留してしまう

  • 円安

これは一番の理由にはならないが
円安によって海外生活のスタートを
後押しされなかった部分もある

そんなこんなで旅行中は
ここまで言語化や分析ができず
色々むしゃくしゃした感情を抱えながら
終えたハネムーンでした。(笑)

まぁ今回の旅行をきっかけに
また海外で住みたいなぁ、という気持ちが
沸々と湧いてきた。

この移住テーマは、完全には正解が出ない気がするので
これからも自分そして相手と
対話を続けていこうと思いまふ。

ナスカ出発

ナスカに話を戻し、

ナスカでの一泊を終え
イカ経由でリマへ向かうことに。

今回はオンラインで
Cruz de surのバスを予約してみた。

しっかりした事務所・待合室があって感動
荷物を預け
売店で軽食を購入

車内快適すぎた・・。

南米最後のバスがCruz de surで良かった。

これに最初に乗ってたらそれはそれで
他社のバスに幻滅していただろう。

そういう意味でも、最後でよかった・・(笑)

さらば、ナスカ


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